【多賀大社・多賀】⛩️伊勢参りと並ぶ人気!驚きの発見「おたまじゃくし」の由来とは✨

多賀大社

滋賀県にある多賀大社⛩️✨
古くから「お多賀さん」の愛称で親しまれ、『古事記』にも登場する由緒ある神社です。

以前から名前は知っていましたが、実際に参拝してみると、その歴史の深さとご利益の多さに驚かされました😊
御祭神は、日本神話において国生みを行った伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)。
まさに、日本の神話を代表するご夫婦です。

そのため、境内には延命長寿・健康・縁結び・家内安全・厄除けなど、実にさまざまなご利益が集まっているような雰囲気があります🙏✨

「神々のオンパレード」という表現がぴったりで、「これだけの神様に見守っていただけるなら、何だか心強いなあ」
そんな気持ちになりました😊

そして昔は、「伊勢参らばお多賀へ参れ。お伊勢お多賀の子でござる」という言葉があるほど、伊勢神宮への参拝と並んで「多賀参り」が盛んだったそうです。
現地に立ってみると、その理由も納得。境内にはどこか特別な空気が流れ、多くの人々が信仰を寄せてきた歴史を感じます。

しかし、今回いちばん驚いたのは、歴史でも神話でもありませんでした。
それは境内で見かけた「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という言葉です🥄
最初は、「お守りかな?」くらいに思っていました。

ところが説明を読んでビックリ!
なんと、「おたまじゃくし」という言葉の語源は、この「お多賀杓子」から来たという説があるそうなのです😲

思わず、「えっ、本当に!?」と声が出そうになりました。
神社を訪れて、まさか普段何気なく使っている言葉のルーツに出会うとは夢にも思いませんでした。
こういう思いがけない発見があるから、寺社巡りは本当に面白いですね✨

古事記の神々、日本屈指の信仰の歴史、そして意外な言葉の由来。
多賀大社は、参拝するたびに新しい発見がある、まさに歴史と文化の宝庫でした。
驚きの連続で、心も知識も満たされる素晴らしい神社。
次に訪れる時は、またどんな新しい発見が待っているのか楽しみです⛩️✨📖

多賀大社

【住所】〒522-0341 滋賀県犬上郡多賀町多賀604

【主祭神】伊邪那岐大神、伊邪那美大神
【札所等】神仏霊場巡拝の道第133番
【創建】伝・上古

【Wikipedia】

※Gemini による解説

滋賀県犬上郡多賀町に鎮座する「多賀大社」について、お尋ねの項目ごとに分かりやすくまとめました。

古くから「お多賀さん」の名で親しまれ、伊勢神宮との深い関わりを持ちます。

1. ご利益:主祭神との関係

多賀大社の主祭神は、日本の神話において初めての夫婦となり、八百万の神々や日本国土を生み出したとされる伊邪那岐大神(イザナギノオオカミ)と伊邪那美大神(イザナミノオオカミ)です。

主な御利益

すべての神々の親であるという神格から、人生の根幹に関わる非常に力強い御利益で知られています。

  • 延命長寿(長寿祈願): 伊勢神宮の祭神である天照大神(アマテラス)の親神であることから、「親神様にお願いして寿命を延ばしてもらう」という信仰が古くからあります。
  • 縁結び・夫婦円満: 日本で最初の夫婦の神様であるため、男女の縁だけでなく、仕事や人間関係の良縁を結ぶ御利益があります。
  • 厄除け・家内安全: 多くの神々を生み出し、家庭や国土の基盤を作った神様として、災いを祓い家族を守る力が強いとされています。

参拝時に何をお願いするとよいか? 最もふさわしいのは**「自分や大切な人の長寿・健康」、そして「大切な人との絆(縁結びや夫婦円満)」です。また、すべての始まりの神様ですので、新しく事業を起こす際や、人生の転機に「良きスタートと発展」**を祈願するのも非常におすすめです。

2. 歴史と由緒

多賀大社は、日本最古の歴史書『古事記』にもその名が登場する、屈指の古社です。

創建と由緒

『古事記』には、伊邪那岐大神が淡海(近江・滋賀県)の多賀に鎮座されたという旨が記されており、神話の時代にまで遡る由緒を持っています。古くから「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」と俗謡に唄われ、伊勢神宮(子神)と多賀大社(親神)をあわせて参拝することが江戸時代に大流行しました。

史実に基づいた有名な出来事
  • 武田信玄の祈願(戦国時代): 武田信玄が領土拡大や自身の病気平癒を願って奉納したとされる「武田信玄祈願文」が残されています。
  • 豊臣秀吉の厚い信仰(安土桃山時代): 秀吉は母・大政所の病気平癒を多賀大社に激しく祈願しました。その願いが成就したお礼として、米1万石を奉納し、境内に築庭や「太閤橋」と呼ばれる見事な石橋を築かせました。これが現在の境内の景観に大きく影響しています。

3. お勧めの参拝時期

四季折々の美しさがありますが、歴史的な祭りや景観を楽しめる以下の時期が特にお勧めです。

  • 4月22日:古例大祭(多賀まつり) 多賀大社で最も盛大なお祭りです。騎馬武者や美しい装束をまとった総勢約500名におよぶ「御神幸(ごしんこう)」の行列が街を練り歩き、まるで時代絵巻を見るような活気にあふれます。
  • 8月3日〜5日:万灯祭(まんとうさい) 夏の夜の境内を数千張もの提灯が照らし出す、非常に幻想的なお祭りです。先祖供養の祭りとして知られ、光の中に浮かび上がる社殿は息をのむ美しさです。
  • 11月中旬〜下旬:紅葉の時期 秀吉ゆかりの「名勝庭園(奥書院庭園)」や境内周辺が鮮やかな紅葉に染まります。特に国の名勝に指定されている庭園の池に映る紅葉は見事の一言です。

4. 観光としての魅力

歴史や信仰だけでなく、境内巡りや門前町の散策など、観光地としての見どころも非常に充実しています。

  • 秀吉ゆかりの「太閤橋」と「奥書院庭園」 鳥居をくぐると目を引く反り橋(太閤橋)は、秀吉の奉納によって築かれた歴史的遺構です。また、奥書院にある庭園は室町時代の面影を残す名園で、四季の移ろいを静かに楽しめます。
  • 寿命石(じゅみょういす) 平安時代、東大寺の再建を任された重源上人(ちょうげんしょうにん)が、長寿を祈願してあと20年の寿命を授かったという伝説に由来する石です。現在も延命長寿のパワースポットとして多くの人が訪れます。
  • 門前町の名物グルメ「糸切餅(いときりもち)」 多賀大社の目の前に広がる門前町には、歴史ある和菓子屋が並びます。名物の「糸切餅」は、お米の粉で作った白いお餅に青と赤の3本の線が入り、三味線の糸で切った上品な生菓子です。蒙古襲来の際、兵の魂を慰めるために作られたのが始まりとされる伝統の味で、参拝後の休憩やお土産に欠かせません。

主祭神:伊邪那岐大神、伊邪那美大神

1. 神話から見る「多賀大社」と二柱の神様の関係

日本の神話(『古事記』や『日本書紀』)において、イザナギとイザナミは、それまで混沌としていた世界に現れ、「初めて夫婦となった神様」です。

二柱は天の沼矛(あめのぬぼこ)で海をかき混ぜて日本列島(大八島国)を生み出し(国生み)、続いてアマテラス(太陽の神)やスサノオ(海の神)など、あらゆる自然や命を司る八百万の神々を生み出しました(神生み)。

なぜ滋賀の「多賀」なのか?

国生み・神生みという大業を成し遂げた後、イザナギは一線を退き、静かに余生を過ごす場所を探しました。『古事記』には、その地が「淡海(おうみ=近江・滋賀県)の多賀」であると記されています。 つまり多賀大社は、日本という国と神々の基盤を作り終えた大親神が、最後に鎮まり、息を引き取られた(あるいは隠居された)「終焉の地・聖地」として特別な意味を持っています。

2. 【深掘り】主祭神との関係から生まれる「3つの大御利益」

多賀大社の御利益がこれほどまでに強力とされるのは、この二柱が「すべての生命の親」であり、「日本最初の夫婦」だからです。

① 延命長寿(長寿祈願)
  • 神様との関係性: イザナギとイザナミは、最高至上の神とされる天照大神(アマテラスオオカミ)の「親」です。伊勢神宮に祀られているアマテラスが子神であるのに対し、多賀大社はその親神。ここから「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」という信仰が生まれました。
  • なぜ長寿なのか: 「命を生み出した親神様にお願いすれば、壊れかけた命(病気)を治し、寿命を延ばしてくれる」という全国的な親神信仰へと発展しました。平安時代に東大寺の再建を担った重源上人が、多賀両神に祈って20年の寿命を授かったという有名な伝説も、この強力な生命のエネルギーを象徴しています。
② 縁結び・夫婦円満
  • 神様との関係性: 二柱は、日本で「一番最初に結婚の儀式(天の御柱を回る儀式)」を行い、正式な夫婦となった神様です。
  • なぜ縁結びなのか: 世界にまだ何もなかった状態から、力を合わせて多くの国土や神々を生み出した(=新しい価値を生産した)ことから、男女の結びつきだけでなく、「まだ見ぬ良縁を引き寄せる」「すでにある絆をより強固にする」という御利益があります。ビジネスにおける「良きパートナーとの出会い(商売繁盛)」を願う参拝者が多いのも、この国生みのクリエイティブな神格に由来します。
③ 厄除け・家内安全・子孫繁栄
  • 神様との関係性: 神話の中で、イザナミが亡くなった後、イザナギは黄泉の国(死の世界)へ妻を連れ戻しに行きます。そこで穢れ(けがれ)に触れてしまったイザナギは、現世に戻って川の清流で体を洗い流しました(これが日本における「禊(みそぎ)」の始まりです)。この禊の最中に、アマテラスなどの尊い神々が次々と誕生しました。
  • なぜ厄除け・家内安全なのか: あらゆる災いや穢れをシャットアウトし、清める力(禊の力)がイザナギにはあります。そのため、身に降りかかる厄を祓う力が非常に強いとされています。また、たくさんの神々を誕生させた歴史から、新しく家庭を築く、あるいは家族が健康で途切れることなく続いていく「家内安全・子孫繁栄」の御利益も絶大です。
3. 参拝時に意識すると良いこと

多賀大社を訪れる際は、ただ「健康になりたい」「良い出会いが欲しい」と願うだけでなく、一歩踏み込んで「全ての生命の源である親神様へ、今の自分の命があることへの感謝」を最初に伝えてみてください。

その上で、

  • 人生の大きな転機(結婚、独立、引っ越しなど)での成功
  • 病気平癒や、親・大切な人の健康長寿

を祈願すると、始まりの神様、そして親の神様としての温かく力強いエネルギーをより深く授かることができると言われています。

豊臣秀吉

多賀大社と天下人・豊臣秀吉との間には、秀吉の歴史の中でも特に有名で、彼の「人間らしい一面」が色濃く出た非常に深い関わりがあります。

一言で言えば、その関係性は「最愛の母の命を救ってもらったという、生涯最大の感謝の絆」です。

1. 関係の始まり:母・大政所の病と秀吉の「必死の祈願」

天正16年(1588年)、秀吉が天下人としての地位を固めつつあった頃、彼の最愛の母である大政所(おおまんどころ)が重病に伏してしまいます。

当時、すでに「延命長寿の神様」として全国に名を馳せていた多賀大社の噂を聞いた秀吉は、母の平癒を願って一通の強烈な祈願文(命乞いの書状)を送り、大社に深く祈りを捧げました。

秀吉の「命乞い」の凄まじい内容

この時、秀吉が多賀大社の神職に宛てた書状の内容が、彼の必死さを今に伝えています。

「母の命をあと3年(あるいは2年)延ばしてほしい。もし願いを叶えてくれるなら、多賀大社に1万石の社領(寄進)を差し上げよう。 もしこれを聞き入れてもらえないなら、お社をことごとく破却し、神領を取り上げる」

一見、神様を脅迫するような凄まじい内容ですが、これは裏を返せば、天下の権力者であった秀吉が、なりふり構っていられないほど必死に「お多賀さんの延命の霊力」を信じ、すがりついていた証拠でもあります。

2. 奇跡の平癒と、秀吉による壮大な「お礼」

祈願の後、驚くべきことに母・大政所の病気はみるみる回復し、結果として秀吉が願った通りにそれから約3年間、無事に天寿をまっとうすることができました。

大喜びした秀吉は、神様との約束(あるいはそれ以上)の感謝を形にするため、約束通り1万石(現在の価値で数億円〜十数億円規模)という破格の寄進を行い、多賀大社の境内をきらびやかに大改修しました。これが、現在の多賀大社の美しい景観のベースとなっています。

3. 現在も境内に遺る「秀吉の足跡」

秀吉の寄進によって造られ、現在も私たちが多賀大社で見ることができる重要な文化財が主に3つあります。

① 太鼓橋(たいこばし)

正面の鳥居をくぐると最初に見える、非常に急勾配な石造りの美しい橋です。秀吉の寄進によって築かれたため、別名「太閤橋(たいこうばし)」とも呼ばれています。当時は遷宮などの神事の際、神輿や神職が渡る神聖な橋として造られました。

② 奥書院(おくしょいん)と庭園

秀吉の奉納米1万石を元手に震災や再建を経て江戸時代初期に整備された、格式高い書院と見事な池泉観賞式庭園です。 この庭園は「国の名勝」に指定されており、秀吉が母の延命への感謝を込めて築かせた、当時の華やかな桃山文化の面影を今に伝えています。

③ 文庫(ぶんこ)や社殿の修築

秀吉の莫大な経済的バックアップにより、大社全体の社殿が整備され、多賀大社はそれまで以上に「天下人が認めた延命長寿の聖地」として、江戸時代の爆発的な庶民信仰(お多賀参り)へと繋がっていくことになります。

まとめ:秀吉にとっての多賀大社

戦国時代の冷徹な実力者というイメージのある豊臣秀吉ですが、多賀大社との関わりにおいては、「母の死を恐れ、神様に必死に涙を流して命乞いをした、一人の親孝行な息子」としての素顔が見えてきます。

多賀大社に参拝し、正面の太鼓橋を眺めるとき、あるいは美しい庭園を拝観するときは、ぜひ「ここには、天下人が母を想った究極の家族愛が詰まっているんだな」と感じてみてください。多賀大社の「命を守る尊さ」が、より深く胸に響くはずです。

お多賀杓子とおたまじゃくし

多賀大社を参拝すると、お守りやお札、お土産のモチーフとして「しゃもじ(杓子)」が数多く使われているのが目に留まります。

実は、私たちが日常的に使っているスープをすくう「お玉(おたまじゃくし)」や、カエルの子の「オタマジャクシ」という言葉の語源は、すべてこの多賀大社の「お多賀杓子(おたがじゃくし)」にあるのです。

1. 始まりは奈良時代:元正天皇の病を癒した「しでの木」の杓子

お多賀杓子の歴史は、今から1300年以上前の奈良時代(養老年間)にまで遡ります。

当時の女帝・元正(げんしょう)天皇が重い病に伏せられた際、多賀大社の神職たちは天皇の平癒を祈り、境内の神木である「しでの木」を切り出して1本の杓子(しゃもじ)を作りました。 そして、その杓子でお米のご飯をすくい、強加持(深い祈祷)を施して天皇に献上したのです。

これを召し上がった天皇の病気はみるみるうちに回復し、健康を取り戻されました。この奇跡的なエピソードから、多賀大社の杓子は「ご飯をすくう=命を救う」という、究極の延命長寿・無病息災のお守り(お多賀杓子)として世に広まることになりました。

2. 秀吉も使った?全国へ大爆発した「杓子信仰」

先ほどご紹介した通り、のちに豊臣秀吉も最愛の母(大政所)の命乞いを多賀大社に行っています。この時も、秀吉は母に多賀大社の祈祷米をこの「お多賀杓子」ですくって食べさせたと言われており、見事に延命を果たしました。

天下人をも動かしたこの霊験は、中世から江戸時代にかけて、伊勢参りと並ぶ「お多賀参り」のブームとともに全国へ爆発的に広がります。 参拝者はこぞって「お多賀杓子」をお土産として買い求め、我が家の台所に祀って家族の健康と長寿を祈りました。

3. 「お多賀杓子」から「おたまじゃくし」へ:言葉の誕生

全国に「お多賀杓子(おたがじゃくし)」が普及した江戸時代、この言葉が時代とともに変化し、私たちがよく知る2つの言葉が生まれました。

① 調理器具の「お玉(おたまじゃくし)」

元々はご飯をよそうフラットな「しゃもじ」の形をしていたお多賀杓子ですが、時代が進み、スープや汁物をすくうための丸く窪んだ形状の器具が普及した際にも、その便利な「すくう道具」の代表として「お多賀杓子(おたがじゃくし)」と呼ばれ続けました。 それがやがて省略され、現代の汁杓子を指す「お玉(おたま)」や「おたまじゃくし」という言葉になりました。

② カエルの子の「オタマジャクシ」

春になると田んぼや池で見かけるカエルの子。頭が丸くて長い尻尾がある独特のフォルムが、まさに「多賀大社の杓子(おたがじゃくし)の形にそっくりだ」ということで、当時の人々が親しみを込めて「オタマジャクシ」と呼び始めました。これがそのまま現代の正式な生物名として定着したのです。

まとめ:現代の食卓や自然に生き続ける「お多賀さん」の力

何気なく「お玉でスープをすくう」とき、あるいは田んぼで「オタマジャクシ」を見かけるとき、その言葉のルーツには、1300年前に「大切な人の病気が治りますように、命が救われますように」と祈った多賀大社の優しい親心と歴史が息づいています。

多賀大社を訪れた際は、ぜひこの「お多賀杓子」に触れ、大切な人の健康やご自身の長寿のビジョンを重ね合わせてみてください。現代まで言葉として残り続けるほどの、強固で温かい「命を救うパワー」を受け取ることができるはずです。

桜田門外の変

歴史を揺るがした幕末の大事件「桜田門外の変(1860年)」。大老・井伊直弼が暗殺されたこの事件と、滋賀県の多賀大社には、実は「事件の引き金となった、ある宗教的な大論争」という驚くべき深い関係があります。

一言で言えば、「井伊直弼の故郷(彦根藩)と多賀大社が、伊勢神宮を巻き込んだ国家レベルの主導権争いに巻き込まれ、それが直弼への激しい恨み(暗殺へのカウントダウン)へと繋がっていった」という歴史の裏舞台です。

1. 背景:日本を二分した「お札(配札)」の大論争

江戸時代、伊勢神宮のお札(神宮大麻)を全国の家庭に配る「御師(おんし)」という人々がいました。しかし、滋賀県(近江国)においては、伊勢神宮だけでなく多賀大社のお札(お多賀杓子のお札)も非常に強い力を持っていました。

事件が起きる数年前、この「お札を配る権利(主導権)」を巡って、伊勢神宮側と多賀大社(および地元の彦根藩)の間で、国家を揺るがす大論争が勃発します。

  • 【伊勢神宮側】:「日本全国のお札の総元締めは伊勢神宮であるべきだ。多賀大社が独自にお札を配るのは認められない!」
  • 【多賀大社・彦根藩側】:「多賀の親神様(イザナギ・イザナミ)は、伊勢の神様(アマテラス)の親である!親の神社が子の神社に遠慮してお札を配れないなど、筋が通らない!」

この論争は単なる神社同士の揉め事ではなく、それぞれのバックにいる公家や大名、志士たちが絡む「国家の宗教的イデオロギー(どちらが上か)の闘い」へと発展していったのです。

2. 井伊直弼の決断と、志士たちの「怒りの火」

この論争の決着をつけたのが、彦根藩主であり、のちに幕府の最高権力者(大老)となった井伊直弼(いいなおすけ)でした。

直弼は自分の地元である多賀大社を非常に篤く信仰していましたが、同時に現実的な政治家でもありました。当時、幕府はアメリカとの条約調印などで大混乱しており、これ以上国内の宗教的な混乱(特に朝廷や皇祖神である伊勢神宮を怒らせること)を避けたかったのです。

そこで直弼は、苦渋の決断を下します。 「多賀大社側の一歩譲歩(伊勢神宮の権威を認める形)」でこの論争を強制的に収束させたのです。

これがなぜ暗殺(桜田門外の変)に繋がるのか?

直弼としては国家の平穏を願った決断でしたが、これが当時の尊王攘夷派(天皇を尊び、外国を追い払おうとする過激な志士たち、特に水戸藩士など)の目にはこう映りました。

「井伊直弼は、日米修好通商条約を勝手に結んで天皇をないがしろにしただけでなく、神道の秩序(伊勢と多賀の親子の関係)までも政治的に歪め、神国・日本を汚した大罪人である」

元々、安政の大獄などで直弼に激しい怒りを抱いていた水戸浪士たちにとって、この多賀大社を巡る一件は「直弼は神をも恐れぬ悪人である」という決定的な大義名分(暗殺の正当化)の1つになってしまったのです。

3. 事件の直前:多賀大社で「直弼の身代わり」となった灯籠

大老となった井伊直弼は、命を狙われる危険性が高まるなかでも、故郷の多賀大社への信仰を忘れませんでした。万延元年(1860年)の正月、直弼は多賀大社に「国家安泰」と「自身の安全」を祈願して、一対の立派な石灯籠を奉納します。

しかし、そのわずか2ヶ月後の3月3日、直弼は江戸城の桜田門外で水戸浪士らの襲撃に遭い、暗殺されてしまいます(桜田門外の変)。

驚くべきことに、直弼が暗殺されたちょうどその時刻、多賀大社に奉納されたばかりの石灯籠の片方が、何の前触れもなく突然「真っ二つに割れた」という不気味な伝説が残されています。 地元の島根や彦根の人々は、「お多賀さんの神様が、直弼公の最期の苦しみを少しでも和らげようと、灯籠を身代わりにされたのではないか」と涙ながらに語り合いました。

まとめ:幕末の荒波に呑まれた親子の絆

延命長寿の優しい神様として知られる多賀大社ですが、幕末という激動の時代においては、「日本の神々の中心(親と子)のあり方」を巡る、極めて政治的で緊迫した歴史の舞台裏に位置していました。

現在も多賀大社の境内(正面鳥居の近くなど)には、井伊家や彦根藩ゆかりの奉納物が遺されています。 静かな境内を歩くとき、幕末の志士たちが命をかけて「神国のあり方」を議論し、その激流の中で故郷を、そして日本を守ろうと散っていった井伊直弼の、多賀大社への深い祈りに想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

摂社・末社

多賀大社の広い境内には、本殿の主祭神(イザナギ・イザナミ)をお支えするように数多くの魅力的な摂社・末社が鎮座しています。

1. 日向神社(ひゅうがじんじゃ)

境内でも特に清らかで厳かな空気が流れる独立したお社です。

  • 御祭神:瓊々杵尊(ニニギノミコト)
  • 参拝すべき理由: 天照大神(アマテラス)の命を受けて天から地上へと降り立ち、日本の国づくりの基盤を固めた「天孫降臨(てんそんこうりん)」の主人公です。主祭神(イザナギ・イザナミ)から見ると直系の「ひ孫」にあたり、大親神が開いた国土に豊かな暮らしをもたらした大功労者です。
  • 御利益:
    • 五穀豊穣・事業発展(日本に稲作をもたらしたお米の神様。ビジネスをゼロから育てて花開かせる)
    • 開運誘導・新しい挑戦の成功(未知の地に降り立った勇気から、転職・独立・新生活の第一歩を後押し)
2. 金咲稲荷神社(かねさくいなりじんじゃ)

参道沿いに美しい朱色の千本鳥居が連なり、参拝者に非常に人気が高いお稲荷様です。

  • 御祭神:宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
  • 参拝すべき理由: 「金咲(かねさく)」という大変縁起の良いお名前の通り、多賀大社の中でも随一の金運・商売繁盛のパワースポットです。主祭神の血を引くお米・食物の神様であり、命の糧を豊かに満たしてくださいます。
  • 御利益:
    • 金運隆昌・商売繁盛(「お金が咲く」のごとく、収入アップや商売の繁栄をもたらす)
    • 千客万来・事業繁栄(店舗や企業にお客さんや良縁を引き寄せる)
3. 神明両宮(しんめいりょうぐう)

本殿裏手の合祀殿に鎮座する、境内でも最も格式が高いエリアです。

  • 御祭神:天照大神(アマテラスオオカミ)・豊受大神(トヨウケノオオカミ)
  • 参拝すべき理由: 三重県の伊勢神宮(内宮・外宮)の神様がそのまま二柱揃ってお祀りされている大変贅沢な聖域です。天照大神は主祭神(イザナギ)の「最愛の娘」。「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」と唄われた通り、親神(本殿)と子神(神明両宮)をセットで参拝することで、伊勢と多賀を結ぶ究極の親孝行・感謝の参拝が完成します。
  • 御利益:
    • 国家安泰・家内安全・子孫繁栄(太陽のごとくすべてを照らし、家族を平和に包み込む)
    • 衣食住の守護・生活安定(一生涯、食べるものや住まいに困らない基盤を作る)
4. 夷神社(えびすじんじゃ)

親しみやすい笑顔の「えべっさん」として親しまれているお社です。

  • 御祭神:事代主神(コトシロヌシノカミ)
  • 参拝すべき理由: 出雲の大国主神(オオクニヌシ)の息子であり、主祭神から見ると「ひ孫」にあたる神様です。国譲りの神話において誠実で平和的な決断を下し、日本に平和をもたらした智恵者です。
  • 御利益:
    • 商売繁盛・大漁満足(釣竿と鯛を抱え、ビジネスで大きなチャンスや成果を釣り上げる)
    • 福徳円満・家内安全(にこやかな「えびす顔」で家庭や職場を笑顔と調和で満たす)
5. 子安神社(こやすじんじゃ)

本殿に向かって左手の豊かな緑の中に佇む、優しさに満ちたお社です。

  • 御祭神:木之花咲哉姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
  • 参拝すべき理由: 桜の化身と称される日本一美しい女神様であり、主祭神の「ひ孫」にあたります。身の潔白を証明するため「燃え盛る産屋の中で無事に出産した」という凄まじい神話を持ち、命を生み出す母性の象徴です。お社の前には無事な出産を願う「安産杓子」がたくさん奉納されています。
  • 御利益:
    • 安産祈願・子授かり・子孫繁栄(燃える火の中でも無事に産み落とした圧倒的な生命力で子寶を授ける)
    • ビューティー運・才能開花(桜のように美しく心身を磨き、温めてきた才能を見事に咲かせる)
6. 聖神社(ひじりじんじゃ)

病気平癒や健康維持を願う方が多く訪れるお社です。

  • 御祭神:少彦名命(スクナヒコナノミコト)
  • 参拝すべき理由: 大国主神とともに全国を巡って国造りを行い、人々に医術や薬の知恵、温泉の効能を教え歩いた「医療と薬の神様」です。一寸法師のモデルとも言われる小さな神様ですが、その知恵と救済の力は絶大です。
  • 御利益:
    • 無病息災・病気平癒(病魔を払い、心身の健康と元気を回復させる)
    • 身体健全・かぬき(健康維持)(日々の体調を整え、健康で長生きできるよう見守る)
お勧め参拝ルート
  1. 本殿:すべての生命の生みの親であるイザナギ・イザナミ様に「今、ここに生きていること」への感謝を伝える。
  2. 境内社(日向神社・金咲稲荷・子安神社など):それぞれの神様へ、自分の人生の具体的な願い(仕事、健康、家族、新しい挑戦)を伝える。

親神様(主祭神)の大きな温もりに包まれた境内で、その子や孫にあたる個性豊かな神々をお参りすることで、あなたの人生のあらゆる側面(仕事・健康・家族・お金)が完璧に整い、大きなご加護を実感できるはずです。

寿命石と祈願の白石
熊野神社、天神神社、熊野新宮
三宮神社、聖神社
金咲稲荷神社
年神神社、竈神社
子安神社
さざれ石の由来
文庫
大釜
神輿庫
梵鐘
太閤藏
般若院 跡
夷神社
神明両宮
日向神社
天満神社
お多賀しゃくし
愛宕神社
秋葉神社

最寄り駅>>多賀神社駅前(近江鉄道)

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