歴史と遊びの探求!聖徳太子、雪丸、松永久秀、そしてだるまさんに出会う旅

片岡山 達磨寺

今回は奈良県の秘宝、達磨寺に行ってきました!実は知らなかったお寺だったんだけど、行ってみたらめちゃくちゃ楽しい発見がありました!
聖徳太子の愛犬「雪丸」像!この可愛らしい犬の像が迎えてくれます。雪丸、お前も歴史の一部かい?って感じです。それに、松永久秀のお墓もあって、なんだか豪華な雰囲気が漂っていました。
なんと言っても驚いたのが、「だるまさんがころんだ」の発祥地だってこと!これは驚きでした。みんなが遊ぶあの「だるまさんがころんだ」が、ここから始まったんですって!すごく感慨深い。
新しいことを学びながら、楽しい発見もあった達磨寺。次回も新たなお宝を見つけに行きたくなるなぁ。みんなも機会があれば、達磨寺の不思議な世界を体験してみてください!🏯🐶🤹‍♂️

達磨寺

【住所】〒636-0012 奈良県北葛城郡王寺町本町2丁目1番40号

【宗派】臨済宗南禅寺派
【山号】片岡山
【本尊】千手観音、達磨大師像、聖徳太子像
【開基】聖徳太子
【創建】推古天皇21年(613年)
(Wikipediaより)

※Geminiによる解説

歴史的な出来事

  • 推古天皇21年(613年): 聖徳太子が片岡山で飢えた達磨大師に衣食を施す (片岡山飢人伝説)
  • 鎌倉時代: 解脱上人貞慶によって達磨像や堂宇が修理され、達磨寺と称するようになる
  • 嘉禄年間(1225年-1228年): 興福寺によって焼き討ちされる
  • 延応年間(1239年-1240年): 松尾の勝月上人によって再興される
  • 永享年間(1429年-1441年): 建仁寺の南峯禅師が住持として入り、山名時熙、足利義満、足利義持、足利義教などから援助を得る
  • 永禄年間(1558年-1570年): 松永久秀によって焼かれる
  • 正親町天皇の綸旨や豊臣秀頼の支援により再興
  • 江戸時代: 徳川家康から30石の朱印地の安堵を受ける
  • 2004年: 新たな本堂が建てられる

史実

  • 聖徳太子と達磨大師が実際に会ったかどうかは不明
  • 達磨寺は、聖徳太子ゆかりの寺院として信仰を集めている
  • 松永久秀の墓がある

観光

  • 達磨大師像: 聖徳太子が自ら刻んだとされる
  • 方丈: 寛文7年(1667年)建立。西面は入母屋造、東面は切妻造になっている珍しい建物
  • 庭園「亀集庭」: 枯山水庭園
  • 松永久秀の墓: 天正5年(1577年)10月の信貴山城の戦いで自害し、当寺に葬られた
  • 雪丸像: 聖徳太子の愛犬
  • 達磨寺中興記石幢: 重要文化財。本堂背後に立つ高さ185cmの八角石柱。文安5年(1448年)建立。各面に達磨寺の由緒が刻まれている
  • 古墳: 6世紀頃に築造された古墳が3つある

石造雪丸像

達磨寺石造雪丸像は、奈良県王寺町にある達磨寺境内にある石造の犬像です。聖徳太子の愛犬「雪丸」をモデルとしており、王寺町の公式マスコットキャラクター「雪丸」のモデルにもなっています。

像の特徴
  • 花崗岩製
  • 高さ約65cm
  • 江戸時代後期に作られたと考えられる
  • 台座に「雪丸」と刻銘
雪丸伝説

聖徳太子には「雪丸」という名の愛犬がいました。雪丸は非常に賢い犬で、人の言葉を理解し、お経を読むこともできたと言われています。

ある日、太子が雪丸を連れて出かけたとき、雪丸が突然いなくなり、太子は悲しみに暮れました。しかし、数日後、雪丸は宝物を持って帰ってきました。雪丸は宝物を見つけるために山奥まで行ったことを太子に告げ、太子は雪丸の忠誠心に感動しました。

雪丸像の見どころ

達磨寺石造雪丸像は、雪丸の忠誠心と賢さを偲ぶことができる像です。像は、愛らしい姿で表現されており、訪れる人の心を癒してくれます。

問答石

問答石は、達磨寺境内にある2つの石です。聖徳太子と達磨大師が会見した際に座ったとされる石で、推古天皇21年(613年)に聖徳太子と飢人姿の達磨大師が歌を詠み交わした場所と伝えられています。

問答石の構成

問答石は、北側の「達磨石」と南側の「太子石」の2つの石から構成されています。

  • 達磨石:高さ約40cm、幅約60cm、長さ約180cm
  • 太子石:高さ約30cm、幅約50cm、長さ約150cm

2つの石は南北に約10m離れて置かれています。

問答石伝説

推古天皇21年(613年)の冬、聖徳太子は片岡山で飢えた異人に出会い、衣食を与えました。翌朝、太子が様子を見に行くと、異人はすでに亡くなっており、墓には衣服だけが置かれていました。太子は異人が達磨大師の化身であったことを悟り、自ら達磨像を刻んで祀ったのが達磨寺の始まりとされています。

太子と達磨大師はこの問答石の上で歌を詠み交わし、仏法について語り合ったと伝えられています。

問答石の見どころ

達磨寺問答石は、聖徳太子と達磨大師が会見したという歴史的な場所です。2つの石は、当時の様子を想像させてくれる貴重な遺物です。


「だるまさんがころんだ」発祥の地

達磨寺は、「だるまさんがころんだ」の発祥の地とされ、境内には記念碑が建立されています。

発祥の由来

達磨寺には、「だるまさんがころんだ」の起源とされる「片岡山飢人伝説」があります。推古天皇21年(613年)の冬、聖徳太子は片岡山で飢えた異人に衣食を与えました。翌朝、太子が様子を見に行くと、異人はすでに亡くなっており、墓には衣服だけが置かれていました。太子は異人が達磨大師の化身であったことを悟り、自ら達磨像を刻んで祀ったのが達磨寺の始まりとされています。

この伝説から、達磨寺は「だるま」発祥の地とされ、境内にある「だるまさんがころんだ」発祥の地記念碑には、以下のように記されています。

推古天皇二十一年、聖徳太子は片岡山で飢人に衣食を与え、翌朝訪ねると飢人は亡くなり、衣だけが置かれていた。太子は達磨大師の化身と悟り、自ら達磨像を刻んで祀った。これが達磨寺の発祥であり、「だるまさんがころんだ」の起源とされる。

記念碑について

「だるまさんがころんだ」発祥の地記念碑は、達磨寺境内の中央付近にあります。高さ約1.5m、幅約1mの石碑で、碑文には「だるまさんがころんだ」の歌詞と、発祥の由来が記されています。

記念碑は、平成22年(2010年)に建立されました。建立のきっかけは、地元住民が「だるまさんがころんだ」の発祥地であることを広く知ってもらいたいと考えたことからです。

遊び方

「だるまさんがころんだ」は、鬼役が「だるまさんがころんだ」と唱えながら後ろを向き、他のプレイヤーが鬼の背後へ進む遊びです。鬼が振り返った時に動いているとアウトとなり、最後の一人になるまでゲームを続けます。

松永久秀墓

松永久秀墓は、達磨寺境内にある松永久秀の墓です。天正5年(1577年)に信貴山城で自害した松永久秀の首が筒井氏によってここに葬られたと伝えられています。

墓の特徴
  • 無縫塔と呼ばれる五輪塔の一種
  • 高さ約50cm
  • 風化により銘文は確認できない

松永久秀は、戦国時代の武将であり、大和国の戦国大名でした。信貴山城を居城とし、織田信長に臣従しながらも、度々謀反を起こしました。天正5年、信長軍の攻撃を受けて信貴山城で自害しました。

歴史的価値

松永久秀墓は、戦国時代の武将の墓として貴重な史跡です。また、松永久秀は茶人としても知られており、彼の美意識が反映された墓であるとも言われています。

見どころ

松永久秀墓は、達磨寺本堂の西側にあります。周囲は竹林に囲まれており、静寂な雰囲気があります。松永久秀の生涯に思いを馳せながら、歴史を感じられる場所です。

片岡八郎・春利墓

片岡八郎・春利墓は、達磨寺境内にある2つの墓です。南北朝時代の武将である片岡八郎利一と、戦国時代の武将である片岡春利の墓が並んでいます。

片岡八郎利一

片岡八郎利一は、南北朝時代の名将として知られています。後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王に仕え、鎌倉幕府の倒幕運動に尽力しました。元弘2年(1332年)、十津川で戦死しました。

片岡春利

片岡春利は、戦国時代の武将です。戦国期に片岡城(奈良県上牧町)を築いて拠点とし、周辺地域を勢力圏に置いていました。

墓の特徴
  • 片岡八郎利一の墓は、五輪塔
  • 片岡春利の墓は、宝篋印塔
  • どちらも高さ約1.5m

2つの墓は、達磨寺本堂の北側に並んでいます。

歴史的価値

片岡八郎・春利墓は、南北朝時代と戦国時代の武将の墓として貴重な史跡です。また、片岡氏は達磨寺の菩提寺としていたため、ここに墓が設けられたと考えられています。

見どころ

片岡八郎・春利墓は、達磨寺の歴史と深く関わっている貴重な史跡です。2つの墓を並べて見ることで、それぞれの武将の生涯に思いを馳せることができます。

一夜竹

一夜竹は、達磨寺境内にある竹です。推古天皇21年(613年)の冬、聖徳太子が片岡山で飢えた異人に衣食を与えた際、その異人が杖を地面に挿すと、一夜にして竹が生えたという伝説に由来します。

一夜竹の伝説

推古天皇21年(613年)の冬、聖徳太子は片岡山で飢えた異人に衣食を与えました。翌朝、太子が様子を見に行くと、異人はすでに亡くなっており、墓には衣服だけが置かれていました。太子は異人が達磨大師の化身であったことを悟り、自ら達磨像を刻んで祀ったのが達磨寺の始まりとされています。

この伝説の中で、異人が地面に挿した杖が一夜にして竹になったとされています。これが達磨寺一夜竹の伝説です。

現在の状況

現在、達磨寺境内には、一夜竹とされる竹が2本あります。

  • 1本は、本堂の西側にある高さ約10mの竹
  • もう1本は、庫裏の北側にある高さ約5mの竹

いずれも孟宗竹です。

達磨寺

石造雪丸像

問答石

だるまさんがころんだ 発祥の地

片岡山飢人伝説と聖徳太子の名の由来

松永久秀墓

片岡八郎・春利墓

一夜竹

最寄り駅>>王寺駅(JR西日本)、王寺駅、新王寺駅(近鉄電車)

達磨寺の雪丸


 

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