🏯📜 鎌倉末期の英雄! 歴史の転換点、楠木正成公を祀る神社 🌟🛡️

湊川神社

🏰 楠木正成公が祀られている湊川神社。日本の歴史で多く取り上げられるのは、戦国時代か幕末で、私も関心はその2つの時代ばかりでした。真田広之さん主演のNHK大河ドラマ「太平記」を観て、鎌倉末期から室町幕府の成立の時代の面白さを知りました。平安末期といえば源平ですが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、鎌倉幕府初期の話も面白いと思いました。当然かもしれませんが日本の歴史の転換点はいつの時代も激動の時代ですね。🌸🎭

湊川神社

【住所】〒650-0015 兵庫県神戸市中央区多聞通3-1-1

【主祭神】楠木正成
【創建】1872年(明治5年)
【札所等】神仏霊場巡拝の道第70番
Wikipediaより

※Geminiによる解説

湊川神社は、兵庫県神戸市中央区多聞通にある神社です。祭神は楠木正成で、地元では親しみを込めて「楠公さん」と呼ばれています。建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社、現在は神社本庁の別表神社に列格されています。

歴史

創建前史
  • 楠木正成の英雄化:
    江戸時代中期、徳川光圀は南朝正統論に基づき、楠木正成を忠臣の筆頭に挙げました。光圀は『大日本史』の編纂事業を進める中で、南朝を正統と認め、北朝を否定しました。その結果、楠木正成は忠義の象徴として広く称賛されるようになりました。
  • 徳川光圀による楠公墓碑:
    元禄5年(1692年)、光圀は湊川に楠木正成の墓碑を建立しました。碑には「嗚呼忠臣楠子之墓」と刻まれ、光圀自身の撰文による碑文も添えられています。この墓碑建立は、楠木正成に対する国家的な顕彰の第一歩となりました。
  • 楠公墓の維持・管理:
    光圀の死後、尼崎藩は楠公墓の維持・管理に努めました。宝暦元年(1751年)には燈籠を寄進し、宝暦9年(1759年)には楠木正成の末裔と称する者が参道を整備しました。文化10年(1813年)には地元の大庄屋が墓域を拡張しました。
  • 楠公の祭祀:
    享保20年(1735年)と天保6年(1835年)には、楠木正成の400年祭と500年祭が盛大に営まれました。江戸時代後期になると、広く勤皇家の間で正成への祭祀が行われるようになり、国家による祭祀を求める声も高まりました。
  • 国家による祭祀の提案:
    会沢正志斎は『新論』の中で、国家に功績のあった人物を神として祀るべきだと主張しました。これは、楠木正成を国家レベルで顕彰すべきという考えの先駆けとなりました。
神社の創建
  • 明治維新後の動き:
    明治維新後、楠木正成は皇室に忠義を尽くした第一の功臣として顕彰されました。明治天皇は、正成の忠義を後世に伝えるため、湊川に神社を創建することを命じました。
  • 創建の経緯:
    湊川神社の創建には、薩摩藩、尾張藩、水戸藩などが主導権を争いました。最終的に、神社は国家が祀るものとして、政府が主導して建てられました。
  • 創建の意義:
    湊川神社の創建は、これに続く南朝関連の人物を祀る神社創建の嚆矢となり、別格官幣社に代表される、功績のあった人物を神社に祀る風習のさきがけとなるなど、近代神社史上、無視できない重要な位置を占めることとなりました。
戦後
  • 戦災:
    湊川神社は、第二次世界大戦中の空襲で社殿を焼失しました。
  • 復興:
    戦後、社殿は再建され、現在に至っています。

境内

  • 本殿:
    祭神である楠木正成を祀る。
  • 拝殿:
    参拝者が神様を拝む場所。
  • 宝物殿:
    楠木正成にゆかりのある宝物などを展示。
  • 能楽殿:
    神能殿と呼ばれる。
  • 楠公会館:
    結婚式などのための施設。
  • 兵庫県神社庁:
    兵庫県内の神社の事務を管轄。

その他

  • 祭礼:
    例祭は5月24日。

大楠公御一代記

大楠公御一代記は、湊川神社境内にある絵画資料です。楠木正成公の生涯を絵と文章でわかりやすく解説したもので、歴史的価値の高い資料として知られています。

内容
  • 大楠公御一代記は、全20巻から構成されています。
  • 各巻には、楠木正成公の誕生から湊川の戦いでの戦死まで、主要な出来事が描かれています。
  • 絵は、当時の様子を忠実に再現しており、歴史資料としても貴重な価値を持っています。
  • 文章は、わかりやすく読みやすい文章で書かれており、楠木正成公の生涯を理解するのに役立ちます。
観光

大楠公御一代記は、楠木正成公の生涯を理解するのに最適な資料です。
絵と文章でわかりやすく解説されているので、歴史に詳しくない方でも楽しめます。

徳川光圀公銅像

江戸時代初期の水戸藩主である徳川光圀(水戸黄門)をモデルにしています。

建立の経緯
  • 徳川光圀は、楠木正成公を深く尊敬しており、その遺徳を顕彰するために、湊川神社に銅像を建立することを発案しました。
  • 銅像は、光圀の死後に完成し、1697年に設置されました。
像の特徴
  • 銅像は、高さ約3メートルの坐像です。
  • 光圀は、狩衣姿で、右手には笏を持っています。
  • 顔は、穏やかで慈悲深い表情をしています。
歴史的価値
  • 徳川光圀公銅像は、光圀の楠木正成公に対する敬意を表すだけでなく、江戸時代の文化や思想を知る上でも貴重な資料です。
観光
  • 徳川光圀公銅像は、湊川神社境内にある他の銅像と比べて、比較的新しいものです。
  • 光圀の穏やかで慈悲深い表情は、見る人に安らぎを与えてくれます。
  • 銅像の周辺には、光圀に関する解説板が設置されています。

大楠公御一代記

史跡 楠木正成公御墓碑

徳川光圀公銅像

最寄り駅 高速神戸駅(阪急電車、阪神電車)

最寄り駅 神戸駅(JR西日本)

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