🏯✨ 全国八幡神の総本宮へ!

宇佐神宮

全国数ある神社で最も多いのが「八幡神」。その全国八幡神の総本宮が大分県宇佐市にある「宇佐神宮」です。奈良時代には「東大寺」や「道鏡」などの神託関連が史実として残っています。宇佐といえば、子供の頃、「大分県にはアメリカがある。USA(宇佐)」と言っていた、全く面白くなかった学校の先生の話を思い出します。歴史とユーモアが交錯する宇佐神宮、まさに訪れる価値ありです!🏯✨

宇佐神宮

【住所】〒872-0102 大分県宇佐市南宇佐2859

【主祭神】八幡大神(応神天皇)、比売大神、神功皇后
【別名】宇佐八幡、宇佐八幡宮
【創建】神亀2年(725年)
【札所等】日本三大八幡宮
(Wikipediaより)

※Geminiによる解説

歴史

  • 欽明天皇32年(571年)?: 鍛冶翁が降り立ち、大神比義命が祈ると三才童児となり、「我は、譽田天皇廣幡八幡麻呂(註:応神天皇のこと)、護国霊験の大菩薩」と託宣があったとされる。
  • 天平2年(725年): 一之殿造営
  • 天平元年(729年): 二之殿造営
  • 弘仁14年(823年): 三之殿造営
  • 神護景雲3年(769年): 宇佐八幡宮託宣事件
  • 鎌倉時代: 元寇でも加持祈祷を行った。
  • 戦国時代: 大友氏と大内氏の間で板挟みになり、大内氏と対立した。
  • 江戸時代: 中津藩・佐賀藩飛び地・天領などが複雑に入り組む土地となった。
  • 1871年(明治4年): 官幣大社に列格

観光

  • 上宮本殿(一之御殿、国宝): 八幡造と呼ばれる、2棟の切妻造平入の建物が前後につながった形をとる。
  • 下宮(御炊宮(みやけみや) )
  • 西大門 (さいだいもん): 文禄(1592年 - 1596年)頃の建造とされ、安土桃山時代の様式。
  • 呉橋(くれはし): 西参道途中、屋根のついた神橋。鎌倉時代以前からあるとされ、呉の国の人が掛けたという伝承がある。県指定文化財。
  • 南中楼門 (勅使門): 入母屋造檜皮葺。神宮内郭の南正門で、通常は開かない。県指定文化財。
  • 宇佐鳥居: 西大門前に立つ木造鳥居。宇佐古来の形式をもち、額束はなく台輪を柱上に置く。県指定文化財。
  • 高倉 (たかくら): 寄棟造檜皮葺。県指定文化財。
  • 頓宮 (とんぐう): 御旅所に相当する。神幸祭の際に祭神が一時滞在する。
  • 大尾神社 (おお-): 祭神:八幡大神。境内東方に立つ大尾山頂に鎮座。八幡大神が奈良への行幸ののち、上宮に移るまで鎮座したとされる。
  • 大元神社 (おもと-) - 奥宮: 祭神:比売大神(宗像三女神)。境内南方に立つ御許山(おもとさん)山頂に鎮座。御許山は、比売大神が地上に最初に降り立った地とされている。3つの巨石を比売大神(宗像三女神)の顕現として祀る。
  • 行幸会八社: 当社と関係が深い境外8摂社で、かつては数年ごとに巡行する行幸会が行われていた。
  • 八幡造: 本殿は国宝に指定されている建築様式。

お勧めポイント

  • 歴史ある神社で、様々な史跡を見ることができる。
  • 国宝の本殿をはじめ、多くの文化財を見ることができる。
  • 広い境内を散策するだけでも楽しめる。
  • 季節ごとの行事や祭りが開催されている。

その他

  • 上宮参拝用スロープカーが設置されており、高齢者や車椅子の方も安心して参拝できる。
  • 1965年まで日豊本線宇佐駅からこの地までのアクセスを担った大分交通宇佐参宮線の蒸気機関車が境内近くに保存されており、当時の歴史を感じることができる。

八幡神

宇佐神宮は、八幡神を祀る総本宮として知られており、全国に約4万社ある八幡社の頂点に位置します。この深い関係性には、歴史的背景と神話の要素が複雑に絡み合っています。

歴史的背景
  • 神話の起源: 神話によると、八幡神は第15代応神天皇として即位した誉田天皇(譽田別尊)と同一視されています。応神天皇は、海神である綿津見命と山神である木花開耶姫の間に生まれたとされ、神武天皇の孫にあたります。
  • 宇佐宮への降臨: 欽明天皇32年(571年)、八幡神は神託によって九州の宇佐国(現在の大分県宇佐市)に降臨し、宇佐宮(現在の宇佐神宮)に祀られたと伝えられています。
  • 国家神としての発展: 古代国家において、八幡神は武勇と勝利の神として信仰を集め、朝廷の重要な祭祀においても祀られました。特に、奈良時代以降は、宇佐神宮は国家鎮護の重要拠点として位置づけられ、歴代天皇や貴族たちの崇敬を受けました。
神話の要素
  • 神仏習合: 仏教伝来以降、八幡神は仏教の神々と習合し、本地垂迹説に基づいて、釈迦如来や阿弥陀如来の化身であると解釈されるようになりました。宇佐神宮境内にも、八幡神と関連する仏教寺院が建立されています。
  • 神話の多様性: 八幡神に関する神話は、地域や時代によって様々なバリエーションが存在します。これらの神話の中には、八幡神が海神や山神、太陽神など様々な神格と結びつくものもあります。
現代における信仰
  • 全国への広がり: 中世以降、八幡神は武家政権の守護神としても信仰され、全国各地に八幡社が建立されました。現在でも、八幡神は全国各地で広く信仰されており、宇佐神宮は八幡信仰の中心地として多くの参拝客を集めています。
  • 年間行事: 宇佐神宮では、年間を通して様々な祭祀や神事が行われています。特に有名なのが、7月29日に行われる「御神幸祭」で、八幡神が神輿に乗って宇佐市街を巡幸する様子は、多くの観光客を魅了しています。
まとめ

宇佐神宮八幡神は、歴史と神話、そして現代の信仰が深く結びついた特別な存在です。八幡神への信仰は、日本の文化や歴史を理解する上で重要な要素であり、宇佐神宮はその中心的な役割を担っています。

宇佐八幡宮託宣事件

概要

769年(神護景雲3年)に起こった、宇佐八幡宮の神託を称徳天皇に奏上し、僧侶の道鏡が皇位継承を企てた事件です。この事件は、奈良時代の政治と宗教が深く関わりあった様子を象徴する出来事として知られています。

事件の経緯
  • 764年(天平宝字8年): 恵美押勝の乱平定後、称徳天皇は皇太子を立てずに、祥瑞の出現を演出するなど皇嗣に道鏡を意識した宣命をたびたび行っていました。
  • 767年(神護景雲元年): 称徳天皇は、病の快復を祈願して宇佐八幡宮に参詣しました。
  • 769年(神護景雲3年): 大宰府管内豊前国の宇佐八幡神道鏡を天皇にしたならば天下太平ならんと、称徳天皇に神託を奏上しました。
  • 称徳天皇は、この神託を根拠に道鏡を征夷大将軍に任命し、政治的権力をさらに強めました。
  • しかし、参議・藤原真鳥や和気清麻呂らは、道鏡の皇位継承を阻止するために、神託が捏造であることを証明しようとしました。
  • 和気清麻呂は、宇佐八幡宮に参拝し、神託の真偽を確かめました。しかし、道鏡の側近たちは、和気清麻呂を暗殺しようとしました。
  • 和気清麻呂は、辛くも暗殺を逃れ、都へ戻って称徳天皇に神託が捏造であることを報告しました。
  • 称徳天皇は、和気清麻呂の報告を聞き、道鏡への信頼を失墜しました。
  • 770年(神護景雲4年): 称徳天皇が崩御し、光仁天皇が即位しました。
  • 光仁天皇は、道鏡を左遷し、和気清麻呂を厚く賞えました。
事件の影響
  • この事件は、宇佐八幡宮の権威を大きく高めました。
  • また、僧侶の政治関与に対する批判を強めることにもなり、その後、朝廷と仏教の関係は次第に希薄化していくことになりました。
  • 和気清麻呂は、道鏡の陰謀を阻止した忠臣として称賛され、現在でもその事績は語り継がれています。
道鏡
  • 道鏡は、宇佐八幡宮の出身ではありませんが、称徳天皇の信任を得て、神託を奏上することで、自身の政治的地位を強化しようとしたと考えられます。
  • 一方、宇佐八幡宮側は、道鏡の皇位継承を支持することで、自身の権威を高めようとした可能性があります。
  • しかし、道鏡の失脚によって、宇佐八幡宮は朝廷からの影響力を失うことになりました。
現代における評価
  • 道鏡は、権力欲にまみれた悪僧として描かれることが多いですが、近年では、政治手腕に優れた人物であったという評価も得ています。
  • また、宇佐八幡宮の神託についても、必ずしも捏造であったとは限らず、当時の政治情勢の中で利用された可能性があるという指摘もあります。
まとめ

宇佐八幡宮道鏡の宇佐八幡宮託宣事件は、奈良時代の政治と宗教が深く関わりあった様子を象徴する出来事であり、その後の歴史にも大きな影響を与えました。この事件について詳しく知ることは、奈良時代の政治や宗教、そして宇佐神宮の歴史を理解する上で重要です。

東大寺

歴史的な関係
  • 東大寺大仏建立の守護神: 奈良時代の聖武天皇は、疫病や社会不安から国を鎮護するための国家的大事業として東大寺を建立しました。しかし、大仏鋳造事業は難航し、天皇は大変な悩みを抱えていました。そんな時、749年(天平勝宝元年)に宇佐八幡神から「われ天神地祇を率いて必ず成し奉らん」という託宣があり、大仏建立に協力することを約束しました。この託宣をきっかけに、宇佐八幡神は東大寺の守護神として祀られることになりました。
  • 神輿の起源: 749年(天平勝宝元年)に宇佐八幡神が東大寺に勧請された際、宇佐八幡神やお供の巫女を乗せた輿が東大寺の転害門をくぐったことが、神輿の起源とされています。
  • 東大寺薬師院別当: 奈良時代から平安時代にかけて、宇佐神宮の別当(神職の長)が東大寺薬師院の別当を兼任することがありました。これは、宇佐八幡神と東大寺薬師如来が深い信仰上の繋がりがあったことを示しています。
現代における関係
  • 友好都市: 2004年に奈良市と宇佐市は友好都市提携を結びました。これは、両市が東大寺宇佐神宮という歴史的な繋がりを大切にしていることを示しています。
  • 交流: 毎年、東大寺と宇佐神宮の間で交流行事などが行われています。例えば、東大寺二月堂のお水取りの際に、宇佐神宮から神職が招かれ、祈願を行っています。
その他
  • 八幡信仰: 宇佐八幡神は、平安時代以降、武神として広く信仰を集めました。東大寺もまた、武家政権の庇護を受けながら発展してきたため、宇佐八幡神への信仰が根付いていたと考えられます。
  • 文化交流: 奈良時代から平安時代にかけて、宇佐神宮と東大寺の間では、僧侶や文化人の交流も行われていました。こうした交流を通じて、両者の文化が互いに影響を与え合ったと考えられます。
まとめ

宇佐神宮東大寺は、奈良時代から深い関係で結ばれてきた歴史ある寺院です。東大寺大仏建立の守護神として勧請された宇佐八幡神は、現在でも東大寺と宇佐神宮の信仰的な繋がりを象徴する存在となっています。

宇佐神宮

宇佐神宮御由緒

宇佐神宮 境内図

神様と仏様 日本で最初に出会ったのは この場所でした

上宮参道

下宮

History of Usa-jingu

大尾神社・宇佐八幡神託事件

皇統護持御託宣の地 大尾山 護皇神社

流鏑馬神事

神武天皇聖蹟莵狭顕彰碑

伝教大師 安南豊前宝塔院 顕彰碑

宇佐八幡神輿 東大寺御神幸記念碑

神輿発祥の地 顕彰碑

宮本武蔵 誠心直道の碑

種田山頭火

南尚翁顕彰碑

宇佐参宮線26号蒸気機関車 大分県指定有形文化財

宇佐市 豊後高田市 宇佐・高田地域観光連絡会

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