日本最古の寺院と仏像、古代ロマンの必見スポット

飛鳥寺

本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院。そして、日本最古の仏像、飛鳥大仏を本堂に安置している貴重な寺院です。ご住職の素晴らしい説明を受け、飛鳥大仏の写真を撮る機会もいただきました。
その写真はネットにアップしてよいか確認を取っていませんので、私は個人的に大切に保存しようと思っています。京都市や奈良市と比べると観光客はまだ少ない飛鳥。しかし、この地域には古代の歴史と文化が息づいており、今後、より多くの人々が興味を持ってくれれば、観光客も増えることでしょう。
飛鳥寺西門跡近くには、蘇我入鹿の首塚もあり、悠久の地・飛鳥を至るところで感じることができます。
乃木坂46の齋藤飛鳥さんも、「飛鳥」繋がりでこのお寺を訪れ、飛鳥大仏を拝んでいたそうですね。
観光客がまだ少ない今こそ、飛鳥の魅力を十分に堪能しておきたいですね。🏯📸🌟

飛鳥寺(鳥形山 安居院)

【住所】〒634-0103 奈良県高市郡明日香村飛鳥682

【宗派】真言宗豊山派
【山号】鳥形山
【本尊】釈迦如来(飛鳥大仏)
【開基】蘇我馬子
【正式名】鳥形山 安居院
【別称】法興寺、元興寺(共に旧法号)
【創建年】6世紀末頃
【札所等】新西国三十三箇所第9番
(Wikipediaより)

※Geminiによる解説

飛鳥寺は、現在は正式には安居院という。開基(創立者)は蘇我馬子で、蘇我氏の氏寺である法興寺(仏法興隆の寺意)の後身です。思惟殿は新西国三十三箇所第9番札所で本尊は聖観音です。

寺号

飛鳥寺には複数の呼称があります。法号は「法興寺」または「元興寺」(がんごうじ)であり、平城遷都とともに今の奈良市に移った寺は「元興寺」と称します。一方、蘇我馬子が建立した法興寺中金堂跡に今も残る小寺院の公称は「安居院」(あんごいん)です。『日本書紀』では「法興寺」「元興寺」「飛鳥寺」などの表記が用いられています。

創建

飛鳥寺(法興寺)は蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたもので、本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院です。発願から創建に至る経緯は『日本書紀』、『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』(醍醐寺本『諸寺縁起集』所収、以下『元興寺縁起』という)、ならびに同縁起に引用されている「露盤銘」と「丈六光銘」に記載がある。

本尊の造立

推古天皇13年(605年)、天皇は皇太子(聖徳太子)、大臣(馬子)、諸王、諸臣に詔して、銅(あかがね)と繡(ぬいもの)の「丈六仏像各一躯」の造立を誓願し、鞍作鳥(止利)を造仏工とした。

隆盛と官寺化

貞観4年(862年)の太政官符で「聖教最初之地也」と評されるように、飛鳥寺は蘇我氏の氏寺に留まらず仏教隆昌の中心地になっていった。

平城遷都以後

都が平城京へ移るとともに飛鳥寺も現在の奈良市に移転し元興寺となった。

その後

飛鳥寺はその後も幾多の変遷を遂げ、現在に至っています。

釈迦如来像(飛鳥大仏)

飛鳥寺(安居院)の本尊で、飛鳥大仏の通称で知られる。1940年(昭和15年)に重要文化財に指定されており、指定名称は「銅造釈迦如来坐像(本堂安置)1躯」である。像高は275.2センチメートル。

飛鳥大仏

正式名称

飛鳥大仏の正式名称は「銅造釈迦如来坐像」で、国の重要文化財に指定されています。

概要
  • 建立年代:606年
  • 高さ:約2.75メートル
  • 材質:銅
  • 構造:鋳造
  • 姿勢:坐像
  • 印相:説法印
歴史

飛鳥大仏は、推古天皇14年(606年)に造立されました。聖徳太子の母である穴穂部間人皇后の発願によるものとされています。飛鳥寺創建当初から本尊として安置されていたと考えられています。

特徴

飛鳥大仏は、日本最古級の仏像として知られています。体全体に力強さが感じられ、衣文の表現も写実的です。また、頭部には螺髪(らほつ)が表現されており、飛鳥時代の仏像の特徴をよく表しています。

飛鳥大仏は、飛鳥寺の講堂に安置されています

入鹿の首塚

飛鳥寺周辺には、蘇我入鹿の首塚とされるものが2つ存在します。

1つ目は、飛鳥寺境内にある五輪塔です。

飛鳥寺西門を出たところにあり、高さ約1.5メートルの五輪塔です。蘇我入鹿が中大兄皇子らによって暗殺された際、その首が飛んでここに落ちたと伝えられています。

2つ目は、飛鳥寺から西へ約500メートルの場所にある石塔です。

高さ約2メートルの石塔で、こちらも入鹿の首塚と伝えられています。

どちらが真の入鹿の首塚であるかは定かではありませんが、いずれも飛鳥時代の歴史を物語る貴重な史跡です。

補足
  • 蘇我入鹿は、飛鳥時代後期に活躍した豪族です。蘇我氏の宗家である蘇我蝦夷の嫡男であり、大臣として大きな権力を握っていました。
  • 中大兄皇子は、後の天智天皇です。蘇我入鹿の専横を恐れた中大兄皇子は、645年に蘇我入鹿を暗殺しました。
  • この事件は「乙巳の変」と呼ばれ、日本史における重要な転換点となりました。

飛鳥寺

飛鳥大仏標石

遠路ようこそ飛鳥寺へ!御一読を

平成二十年(西暦二〇〇八年) 飛鳥大仏開眼一四〇〇年

飛鳥寺略縁起

飛鳥寺西門跡

最寄り駅>>飛鳥駅(近鉄電車)

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