韓非子(第一冊)

韓非子

はじめに

書評?第3弾

最低月1回のアップをノルマとして、なんとか3回目のアップです。この間に、名馬ランキングを作成しました。そのランキングは誰も納得しないと思いますし、名馬、最強馬については競馬ファンの間で、議論の的となることがしばしばです。

競馬の面白さは、歴史的な名馬たちの活躍を振り返りながら新たな発見があることです。私が競馬に興味を持ったのはオグリキャップの時代。ラストの有馬記念はオグリキャップのレースをリアルタイムで観た唯一のレースで、もっと早く競馬に興味を持っていればオグリキャップ伝説を体感できたと思うとちょっと残念です。

その後も数々の名馬が誕生し、名馬ランキングの作成を通して知らなかった過去の名馬たちと出会うことができました。個人の趣味としてランキングを更新していきたいと思っています。

書評と関係のない話になってしまいました。今回は「韓非子」を紹介します。韓非子の教えからの影響や新たな知識を得ることは、読者にとっても興味深い要素だと思います。

1.どんな本か?

韓非子

出版社:岩波文庫
著者:韓非
発売日:1944年4月18日
要約してくれたYoutuber:アバタロー

「韓非子」は、古代中国の名著で、現代の成功哲学にも通じる洞察と知恵を詰め込んだ古典です。この古典は、人間の行動心理を鋭く分析し、厳しい現実社会での生き抜き方を教えています。

「諸子百家」と呼ばれる学者集団の中でも、韓非はその代表的な存在として輝いています。秦の始皇帝の中華統一や、諸葛孔明の軍略に影響を与えるなど、その影響力は大きく、彼の哲学は今もなお多くの人々に影響を与え続けています。

「韓非子」は、現代社会での成功への鍵を提供する、まさに知恵の宝庫です。古代の知恵が、多くの人の人生に光を当てることでしょう。

2.この本(動画)を選んだ理由

中国古典の中でも、手に取りにくかった「韓非子」。その名前は知っていても、実際の内容は全く知りませんでした。興味はありましたが難しそうで敬遠していました。しかし、YouTubeチャンネルを通じて手軽に紹介されているおかげで、古代中国の叡智に触れるチャンスが広がりました。

「韓非子」は、古代から現代に続く宝庫のような教訓が詰まった名著です。その内容を知ることは人生において明らかなプラスとなることでしょう。手に取りにくいと感じていた中国古典も、今なら手軽に学び、あなたの人生を豊かにする知恵を得られるのです。

3.登場人物

韓非 韓の王族。学者集団「諸子百家」の代表的人物
荀子 性悪説を唱えた思想家。韓非の師
李斯 秦の宰相。荀子の門弟、韓非の同門
嬴政 後の秦の始皇帝
趙高 秦の宦官
胡亥 秦の第二代皇帝
管仲 斉の名宰相
鮑叔 管仲の友人

4.あらすじ

① 韓非と李斯:権謀術数と運命の歯車

韓非は紀元前3世紀ごろ韓という国の王族として誕生しました。当時、戦国の七雄と呼ばれる7つの国が抗争に明け暮れ、覇権を争っていました。韓はその一角をなす諸侯国で、隣接する二大国、秦と楚からの圧力によって次第に弱体化、そして戦国の七雄、最初の消滅国という運命をたどります。

韓非は学問への情熱は人一倍あり、衰退しつつあった祖国を救うため、性悪説を唱えた思想家荀子のもとで学びました。その時、同門には秦の天下統一に貢献し、後に宰相に抜擢される李斯がいました。こんなエピソードが残されています。「ある時、地元の役人となった李斯は、便所に住んでいるネズミを見てこう思った。便所のネズミは常に人や犬に怯え、汚いものを食べている。すると今度は食料庫に住んでいるネズミを見てこう思った。食料庫に住んでいるネズミは腹いっぱいになるまで穀物を食べて、人や犬などを心配せず悠々と暮らしている。結局のところ人間もネズミと同じではないか。賢さも愚かさも環境で決まるのだ。それから李斯は役所をやめ荀子の門を叩いたのであった。」このエピソードから当時の李斯がどれほど悲惨な状況にあり、その環境から抜け出したかったのかが伺えます。国家復興のために、純粋に学問を志す王族出身の韓非。立身出世のために、泥臭く学問をする平民出身の李斯。

荀子のもとで学び、首都に戻った韓非は、敵国である秦に次々と領土を奪われている現状に愕然としました。そこで彼は法律を定めた上で有能な人材を登用し、富国強兵をわかるべきであると意見書を提出。しかし、当時の韓の国王は、自分に媚びへつらう人間ばかりを周りに置き、韓非の意見に一切耳を傾けようとしませんでした。「国家が消滅しかかっている、こんな一大事に、なぜ国王はうわべだけを飾っている者たちに権限を与え、彼らの言いなりになっているのか。」怒りを心中に収めておくことができなくなった韓非は膨大な論文を書き上げました。

やがてその著作が敵国秦に伝わると、国王嬴政の目に留まります。記録によればこの論文を読んだ時、嬴政はこう叫んだと言います。「これを書いたものは誰だ。この者にあり語り合うことができれば私は死んでも悔いはない。」すると、ある側近はこう答えました。「この書物を表したのは韓の公子である韓非という男でございます。」その声の主は、かつて荀子のもとで共に学んだ李斯でした。彼は望み通り、立身出世を果たし、君主の近くに仕えていたのです。それから嬴政は韓に向けて猛攻撃を仕掛け、講和の使者として韓非を派遣することを要求。そして、念願の韓非との面会を果たし、大いに喜んだと言います。

しかし、嬴政にとって韓非はあくまで敵国の公子であり、すぐに信用し役職を与えるわけにもいきませんでした。そうした中、李斯は嬴政に近づき、こんな耳打ちをします。「韓非は韓の王家の血を引くものです。そのような人間が秦の天下統一のために働くでしょうか。結局は祖国を第一に考えるに決まっています。最も得策なのはあの男に罪を着せ、今ここで始末しておくことです。」 荀子の下で学んでいた時から、李斯は韓非の才能には及ばないと気がついていました。そのため、このまま君主の寵愛を奪われてしまえば、いずれ自分の立場が危うくなると考えたのです。李斯からの進言を受けると嬴政は「その通りである」と納得し、なんと韓非を裁判にかけて投獄。さらに李斯は韓非に毒薬を送って自害を迫りました。無実であった韓非は必死に弁明し、嬴政との面会を訴えますが、その願いは一切聞き入れてもらえませんでした。そうした中、嬴政は韓非に下した処罰を後悔し、ある時使いの者を送り、彼を獄中から出そうとしました。しかし気づいた時には遅く、すでに韓非は毒薬を仰ぎ、誹謗の死を遂げていたのです。

それから3年後、韓が消滅すると、紀元前221年、ついに秦は天下を統一。嬴政は始皇帝と呼ばれるようになります。そして大変皮肉なことに秦の天下統一にあたって理論的支柱となったものこそ、韓非が残した著作 「韓非子」だったのです。

ちなみに李斯はその後どうなったのかといえば、実は韓非と同じような運命を辿ることになります。始皇帝亡き後、李斯は趙高という人物と共謀し後継者であった太子を殺害。そして自分たちが操りやすい始皇帝の末っ子「胡亥」を第二代皇帝に立てます。その後、趙高はなんと邪魔になった李斯を罠にはめて投獄。李斯は獄中の中で何度も自分の無実を訴えました。しかし、彼の弁明は全て趙高の手によって握りつぶされ、その後拷問を受け極刑に処せられます。このように李斯はかつて自分が韓非に与えた以上の苦しみをその身に受けるという大変悲惨な最期を迎えたのです。

② 願望を露わにするデメリット

「君主は自分の願望を表に出してはいけない。願望を露わにすると周りのたちは必ずそれに合わせて自分を飾ろうとする。また君主は自分の意向も外に漏らしてはいけない。思惑が露わになれば周りの者たちはそれに合わせて自分を取り繕うようになる。君主が自分の好むもの、嫌うものを語らなければ、周りの者たちは本来の自分をさらけ出すのである。リーダーが自分の好き嫌いや意向などを前面に押し出せば、周りはそれに合わせて自分を飾るようになる」

カリスマ的な強いリーダーからしてみれば、周りが何でもかんでも自分に合わせてくれた方が早い意思決定ができるため好都合なのかもしれません。しかし、こういった独裁的なリーダーシップは組織内にイエスマンを大量発生させたり、人材の自主性が発揮されなくなったり、リーダーに負担や責任が一点集中したりと様々なリスクを抱えることになるのです。そのため安定的かつ持続的な成長が求められる組織のリーダーは周りに忖度をさせないよう、日々の言動に注意する必要があると言えます。

「人の上に立つものはどれだけ知識があっても決してひけらかしてはならない。ただ相手に語らせ相手を観察するのである。リーダーが自分の知識を表に出さなければ、周りの者たちは自ら学ぶようになる。また、どれだけ勇気があっても決して自ら奮い立ってはならない。自分以外のものに、その役目を与え、組織を活気づけるのである。自分の知識や賢さを隠し、勇気を捨て去ることによって成果を出し強さを保ち続ける。それが真に優れたリーダーである。 本当に優れたリーダーは自分を一歩引いた場所に置き、人材の能力を最大に発揮させることによって成果を上げる」

責任ある立場を任せられた結果、周囲の人になめられてはいけないと肩に力が入り、自分の優秀さをアピールしすぎ、かえって信頼を落としてしまった。こういった事例は現実社会ではよくあることです。しかし本当に優れたリーダーは自分の対面を保つことよりも、どうすれば組織を安定的持続的に成長させられるのかということに主眼を置いているものです。

中国北宋時代に活躍した文学者の蘇軾(そしょく)は、「大智は愚の如し」という言葉を残しています。これは真に知恵のあるものは自分の知識をひけらかしたりしないため、一見すると愚かな人物に思えるという意味になります。

さらに韓非は組織をダメにしてしまう指導者の特徴について次のように語っています。「褒美を与えると言いながら与える時に与えず、罰を加えると言いながらそれを行わない。このようにトップの人間が賞罰に対していい加減だと民衆は決して本気にはならない。名君が褒美を与えれば気持ちのいい雨のように優しく、すべての人民はその恩恵にありつける。一方、罰を与えれば、それは雷のように恐ろしく、神や聖人でさえもその怒りを鎮めることはできない。だから名君と呼ばれるものは半端な気持ちで褒美を与えないし、罰を緩くすることもないのだ。もし、褒美がいい加減であれば優れた家臣も怠惰になり、罰をそのまま許しておけば悪い家臣はさらなる悪事を働くだろう。したがって、功績があるならば疎遠で低い身分のものでも必ず褒美を与え、過失があるならば身近で愛するものでも必ず罰を与えなければならない」

功績のあるものには必ず賞を与え、罪を犯した者には必ず罰を与えることを「信賞必罰」と言いますが、この言葉は韓非子に由来するものになります。信賞必罰は頭で理解することはできても、実際に行うのは決して簡単なことではありません。なぜなら人間は情に流されやすいからです。

③ チャンスをつかむ優秀な人、チャンスが逃げていく危険な人

「物にはそれ相応の使い道があるものだが、これは人間も同様である。それぞれ、適材適所に置けば君主は特別なことをする必要は何もないのだ。例えば、鶏には時を告げさせ、猫にはネズミを捕らえさせるように、それぞれの能力を活用すれば良いのである。もし君主が自分の得意分野を誇り、部下たちの前でそれを披露していれば、本来うまくいくものも、うまくいかなくなる。そういった傲慢さはかえって足元を救われるものだ。また話がうまく知恵が回り、自分の力にうぬぼれるものも同様である。逆に周りの人間たちに 付け入る隙を与え、上下の役割も曖昧になり、やがて国が乱れていくのである」

各自の能力や適正にふさわしい仕事を与えれば、リーダーは特別なことをしなくて良いとありました。つまり、適材適所こそが組織運営の要なのです。ただ実際に人を採用したり、人を配置したりするのは決して容易なことではありません。

ご参考までに、今日の組織でもよく使用されている人材マネジメントの指標を紹介します。「モルトケの法則」。モルトケといえば19世紀に活躍したプロイセンの軍人で、鉄血宰相ビスマルクの参謀総長を務め上げた世界最高の軍師の一人です。彼は人材を能力と意欲という2つの観点から4タイプ に分類し、部下として登用すべき優先順位を次のように定めました。第1位、能力が高くて意欲が低い人材。第2位、能力も意欲も低い人材。第3位、能力も意欲も高い人材。第4位、能力は低いが 意欲が高い人材。これは人間の良し悪しを優先順位付けするものではありません。

第1位。能力が高く意欲が低い人材こそ重要なポストにふさわしいと考えました。意欲が低いと聞きますと、どこかマイナスイメージがありますが、裏を返せば私利私欲にとらわれないと解釈することができます。したがって、こういったタイプの人は自我を前面に出さず、組織が求めるゴールに向かって淡々とハイレベルな仕事をしてくれるため、リーダーの参謀といった重要なポストを与えられやすいのです。

第2位。能力も意欲も低い人材でした。いかにも一番冷遇されそうですが 、意外にも大事にされるのがこのポジションになります。その理由として、例えば組織に重大な損失をもたらす危険性が少ない、能力や意欲がなくてもできる仕事を任せやすい。自分の色を出したがらないので柔軟な配置がしやすい。さらにそこから経験値を積み、スキルアップしていけば化ける可能性も秘めており育成がしやすいといった点が挙げられます。したがって、従順で素直な気持ちさえ失わなければ、組織の中では比較的生き残りやすく安全なポジションと言えるわけです。

第3位。能力も意欲も高い人材です。本来であれば最も優遇されそうなタイプがまさかの3位という結果に驚かれた方も多いのではないでしょうか。能力も意欲も有り余っているタイプの人は、一度権限を与えると暴走して手がつけられなくなる可能性があるため、優秀だが扱いにくいと警戒されやすいのです。そのため現実社会では、能力も意欲もある人材なのになぜか潰されてしまったというケースは少なくありません。このような場合は能力と意欲の平均値が高い環境に身を移したり、チームプレーではなく個人プレーの仕事についたり、あるいは自ら組織を作ったりと自分の特性にふさわしい選択を検討する必要があると言えます。

第4位。能力は低いが意欲が高い人材について見ていきます。これは要するに実力もないのに富、名声、権力に対する欲望だけは人一倍あるといったタイプが該当します。もしこのような人に舵取りを任せれば、組織は壊滅的な被害を受ける可能性が高いと言えます。そのためどれだけ言葉巧みに近づいてきても、リーダーは決して警戒心を解いたり 、重要なポジションを与えたりしてはならないというわけです。

韓非は、リーダーが自分の得意分野を誇ったり、またそれを部下たちの前で披露するべきではないと忠告していました。リーダー自らが自分の方がうまくできるという理由で部下の仕事を奪ってしまえば、適材適所の意味がないからです。

韓非は、組織における役割の重要性のエピソードを交えて次のように強調します。「昔、韓のある王様が酒に酔ってうたた寝をしていた。すると冠係は君主が風邪をひいてはいけないと思い、その体の上にそっと衣をかけた。王様は目覚めると左右にいるものにこう尋ねた。『この衣をかけたのは誰だ』すると、左右の者たちはこう答えた。『冠係でございます』。その言葉を聞いた王様は衣服係と冠係両者を処罰したのだった。なぜなら、衣服係は職務を怠り、冠係は己の職分を超えたからである。もちろん王様は風邪をひきたかったわけではない。役人が人の職分を犯すことの方が、風邪を引くことよりもはるかに重要な問題だと考えたのである」

冠係の善意が仇となり、2人とも処罰されてしまうという大変気の毒な事例でございました。冠係が衣服係に王様の状況を伝え、ただそれだけに留めておけば、この悲劇は防ぐことができたのかもしれません。仕事でもプライベートでも自分が代わりにやってしまった方が早いし、いい結果が出るし、明らかに合理的だという場面は多々あるかと思います。しかし、だからといって自分以外の誰かの責任範囲に軽々しく介入して良いかといえばそうではありません。人によっては善意を押し付けられ、恩を着せられた、顔を潰されて恥をかいた、成長の機会を妨げられたと、感謝されるどころか、むしろ恨みを買う危険性が高いからです。もし組織においてこういった事例が増えてくれば、規律も秩序も乱れていき、リーダーは頭を抱えることになります。

韓非は人を説得する時にも相手の心の内をよく想像すべきであるとし、次のように語っています。「説得の難しさとは何だろう。それは自分が伝えたい内容を正確に理解することでも上手に説明することでもない。伝えるべき相手の心を読み、それに合わせて自分の考えを述べることが難しいのである。例えば、名誉を求めている相手に対し、儲け話で説得しようとしたらどうなるだろう。きっと相手は自分のことを、金をちらつかせればなびくような卑しい人間だと思っていると気分を害するに違いない。一方、儲け話が好きな人間に対し名誉をちらつかせて説得を試みたらどうなるだろう。きっと相手は、この人間は思慮が足りず話のわからないものだと判断さことになるだろう」

人間は自分の力を過信し、油断すると良い提案さえすれば、きっと相手は納得してくれるだろうとか、良い結果を出しさえすれば、きっと相手は評価してくれるだろうというように、つい独りよがりの発想になりがちです。そうならないためにはまずは相手が何を求めていて、何を求めていないのかをリサーチし、その上で相手に働きかけることが重要だと言えます。
高い能力や善良な精神を持っていたとしても思わぬところで空回りし、落とし穴にはまってしまうといった事例はよくあることです。

④ 非凡に勝る平凡

「この世の中には信じるべきことが3つある。1つは、どれだけ知恵があっても成果が得られない場合があるということ。2つは、どれだけ力があっても持ち上げられないものがあるということ。3つは、どれだけ勇気があっても勝てない戦いがあるということである」

要するに韓非は人間一人の力には限界があるということをよく理解しておきましょうと言っているわけです。確かに人生をよりよく生きる上で知恵を蓄えたり能力を高めたりすることはとても大切なことです。しかし、それだけで人生がうまくいくかといえばもちろんそうではありません。

世の中には知恵や力があっても大失敗する人もいますし、知力がなくても大成功する人もいます。韓非は次のように語っています。「どんなに名のある職人であろうと定規を捨てて勝手な推量をすれば車輪を作ることはできない。これと同じように法律を捨てて人の心で国を治めようとすれば、どんな聖人君子であろうと一国を正すことはできない。平凡な指導者こそ規律やルールをしっかりと守り、平凡な職人こそ定規できちんと測ることである。確実な道を通れば余計な失敗をすることがない」

不確実な方法を取るのではなく、確実で間違いのない方法をとりましょうというお話でした。
人間は自信過剰になると奇をてらうようになり、逆に自信がなくなると特別な方法に頼りたくなるものです。こういった誘惑に駆られることなく、確実で間違いのない道を選び続けること。それこそが平凡な人が非凡な成果を上げる秘訣なのです。

何らかの組織を率いている場合であればカリスマ性、天才的な話術、圧倒的な人徳を欲しがるのではなく、規律やルールを定め、堅実なマネジメントをすることが肝要であるというわけです。

その上で韓非は優秀な人に共通して見られる態度について次のように語ります。「かつて斉の国に管仲と鮑叔(しゅうほう)という2人の男がいた。彼らは春に出陣し、冬に凱旋したため、帰り道がわからなくなっ てしまった。そこで管仲は、年老いた馬の知恵を借りるべきだと言い、老馬を放した。その向かう先についていくと何と道が見つかったのである。そして山道を進んでいると今度は水がなくなってしまった。すると鮑叔は蟻の知恵を借りるべきだと言った。彼によれば蟻は冬には山の南にいて、夏には山の北にいる。高さ一寸の蟻塚なら、その下には水があるという。そして地面を掘ったところ、なんとその通り水が湧き出たのだ。管仲と鮑叔は聡明な男である。そんな彼らですら馬と蟻から学ぼうとするのだ。にもかかわらず世の多くの人はどうだろう。自分の心が愚かであってもそれを問題とせず、聖人からも学ぼうとしないのである」

本当に優秀な人は自分の能力を過信するのではなく、その能力が及ぶ範囲を冷静に見極めて、足りない部分があれば立場や身分など関係なく知恵を借りるといったお話でした。もちろん韓非は管仲と鮑叔が示した謙虚な振る舞いを美徳として注目しているではありません。何でもかんでも自分でやろうとするのではなく、できないものについては誰かに補ってもらうという姿勢こそ、合理的かつ現実的であると強調しているのです。

さらに韓非は優秀な人が陥りがちな罠についてこんなエピソードを紹介しています。「かつて宋という国に弁舌が巧みな男がいた。彼は『白馬は馬ではない』という論理を操り、多くの弁論家を論破していた。そんなある日のこと、男が白馬に乗って関所を通ろうとしたところ、馬の通行勢を取られたのである。どんなに空虚な議論に優れどんなに多くのものを論破できたとしても具体的な事実を見極められると、誰一人騙すことはできないのである」

これは「白馬は馬に非ず」と呼ばれる古代中国の有名な学説のもとになったお話です。要するにどんなに理屈をこねたところで、たった一つの事実には勝ち目がないと言っているわけです。
大事な会議に遅刻したり、大切な約束を守らなかったりしたとき、 つい人はいろんな言い訳を考え、理論武装して自分を守りたくなるものです。しかし、どれだけ言葉巧みに理由を説明したところで、遅刻をした、約束を守らなかったという事実は変わりませんし、その事実を覆すことは誰にもできません。こういった道理を理解せず事実に対して、理屈で反論すれば、仮に相手を論破することができたとしても自分の印象は悪くなり、信頼も地に落ちてしまいます。従って事実は事実として素直に認めて反省し、同じ失敗を繰り返さないよう努めることが大切だと言えます。

戦国の世に生まれた韓非は不運にも、当時これだけの知恵を持っていながら、それを人に利用され、当の本人は何も生かすことができないまま生涯を終えてしまいました。しかし、そんな彼の無念を晴らすかのように韓非子は2000年以上人間学の古典として読み継がれ、世界中の人々に生きる指針を与え続けています。

5.感想

YouTuberアバタローさんの動画を通じて「韟非子」を知ることで、歴史とマンガの世界が繋がりました。多くのストーリーが横山光輝氏の漫画「史記」で読んだ内容で親しみやすかったです。また、秦の始皇帝が主役の人気漫画「キングダム」は読んだことがないのですが、李斯や韓非も登場しているようす。これを機に「キングダム」の世界にも足を踏み入れて、歴史とマンガの魅力を楽しんでみたいと思います。

6.最後に

横山光輝の漫画「史記」で学んだ、李斯のネズミの逸話は、私の人生に深い影響を与えました。この話を通じて、環境がどれだけ大切か、そして環境を整えることの重要性を認識し、仕事や生活において環境への意識を高めるようになりました。優れた学びや仕事を追求するためには、適切な環境と共に進む仲間を選ぶことが不可欠です。YouTubeの動画でさわりに触れ、実際に本を読むことで、さらなる洞察を得ることができるでしょう。新しいライフスタイルができました。
YouTuberにはトラブルや問題になるニュースを見聞きし、あまり良いイメージを持っていませんでした。書評系のYouTuberの方の存在を知って、今ではYouTuberの方には感謝しかありません。博識の人からすると、本要約の動画は「浅い」とか「間違っている」とか指摘があるようですが、私にとっては本当に有難い存在です。今後も大いに参考にさせて頂きます。


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