上野の秘密基地🌳🏛️ - 超有名公園の魅力!

上野公園。正式には「上野恩賜公園」なんですね。上野動物園、不忍池、そして西郷さんの銅像など、有名なスポットが盛りだくさん🦁🍃。
次の機会には、上野動物園や国立西洋美術館にも足を運んでみたいですね。上野公園での新たな発見が待っていそうです!👀✨
上野恩賜公園
【住所】 〒110-0008 東京都台東区上野公園池之端3丁目
※Geminiによる解説
上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)は、歴史の重みと現代の文化が見事に融合した、日本を代表する公園です。
1. 歴史:動乱の舞台から「日本初の公園」へ
上野公園の歴史は、単なる憩いの場として始まったわけではありません。ここは日本の大きな転換点となった場所です。
- 徳川将軍家の菩提寺: 江戸時代、この地は寛永寺(かんえいじ)の境内にありました。江戸城の鬼門(北東)を守る重要な拠点であり、多くの将軍が眠る聖域でした。
- 上野戦争(1868年): 幕末、旧幕府軍の「彰義隊(しょうぎたい)」がこの山に立てこもり、新政府軍と激突しました。この戦いで寛永寺の堂塔の多くが焼失しました。現在も公園内に立つ西郷隆盛像は、この時代の象徴です。
- 日本初の指定公園(1873年): 明治に入り、オランダ人医師ボードウィンの提言によって、日本で最初の公園として指定されました。
- 「恩賜」の由来: 1924年、大正天皇のご成婚を記念して、宮内省から東京市に払い下げられた(下賜された)ことから「恩賜」の名がつきました。
2. 観光としての魅力:文化・自然・癒やしの凝縮
上野公園は「文化の森」と呼ばれ、1日では回りきれないほどの魅力が詰まっています。
圧倒的なミュージアム群
日本トップクラスの施設が徒歩圏内に集結しています。
- 東京国立博物館: 日本の国宝や重要文化財が並ぶ、日本最古の博物館。
- 国立西洋美術館: ル・コルビュジエ設計の本館は世界文化遺産に登録されています。
- 国立科学博物館: シロナガスクジラの原寸大模型は圧巻の迫力です。
都会のオアシスと四季
- 不忍池(しのばずのいけ): 夏には池一面に咲き誇るハス、冬には渡り鳥が訪れる癒やしのスポットです。
- 桜の名所: 江戸時代から続く桜の聖地。約800本の桜が咲く春の景色は、日本を象徴する風景の一つです。
家族で楽しめるスポット
- 上野動物園: 日本で最も有名な動物園の一つ。パンダの観覧は今もなお絶大な人気を誇ります。
- アメ横へのアクセス: 公園のすぐ隣には、活気あふれる商店街「アメヤ横丁」があり、観光とグルメをセットで楽しめます。
豆知識: 公園内にある「上野大仏」は、度重なる災難で顔以外が失われてしまったことから、これ以上落ちることがない=「合格祈願」の聖地として受験生に人気なんですよ。
恩賜とは
「上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)」が正式名称で、「上野公園」はその省略形として一般的に親しまれている呼び名です。
しかし、なぜわざわざ「恩賜(おんし)」という言葉がついているのか、その背景には深い歴史的理由があります。
1. 「恩賜(おんし)」という言葉の意味
「恩賜」とは、「天皇陛下(皇室)から賜った(いただいた)もの」という意味です。
もともとこの土地は明治政府が所有する国有地(宮内省が管理する御料地)でしたが、1924年(大正13年)に当時の東京市へ下賜されました。これを記念して正式名称に「恩賜」が冠されるようになったのです。
2. 名前が変わった歴史的背景
公園の呼び名の変遷をたどると、日本の近代化の歴史が見えてきます。
| 年代 | 呼称の変化 | 背景 |
| 江戸時代 | 東叡山 寛永寺 | 徳川将軍家の菩提寺として、寺院の敷地だった。 |
| 1873年 | 上野公園 | 日本初の「公園」として指定された当初の名称。 |
| 1924年 | 上野恩賜公園 | 大正天皇のご成婚を記念し、宮内省から東京市へ下賜された。 |
3. なぜ今も「上野公園」と呼ばれるのか?
正式名称が「上野恩賜公園」になった後も、多くの人が「上野公園」と呼ぶのにはいくつか理由があります。
- シンプルさ: 「恩賜」という言葉が日常会話では少し硬いため、短く省略して呼ばれるのが定着しました。
- 駅名の存在: 最寄り駅が「JR上野駅」であり、周辺一帯を「上野」と呼ぶため、その中心にある公園として「上野公園」が通りやすいのです。
- 施設名の影響: 「上野動物園」も正式には「東京都恩賜上野動物園」ですが、一般的には「上野動物園」と略されます。
4. 他にもある「恩賜」公園
実は、上野以外にも皇室ゆかりの「恩賜公園」はいくつか存在します。これらはすべて、かつては皇室の離宮や御料地だった場所です。
- 恩賜箱根公園(神奈川県):旧函根離宮跡
- 井の頭恩賜公園(東京都):旧御料林
- 有栖川宮記念公園(東京都):旧有栖川宮御用地
まとめ:
普段のお出かけや会話では「上野公園」で十分通じますし、間違いではありません。ですが、公的な書類や地図、歴史的な文脈では、敬意を込めた正式名称である「上野恩賜公園」が使われています。
不忍池
上野恩賜公園の南端に位置する不忍池(しのばずのいけ)は、都会の真ん中にありながら豊かな自然と信仰が息づく、非常に歴史の深い天然池です。
1. 不忍池の歴史と「見立て」の思想
江戸時代、この地を設計した僧・天海は、不忍池を滋賀県の「琵琶湖」に見立ててデザインしました。
- 琵琶湖への見立て: 琵琶湖に浮かぶ「竹生島(ちくぶしま)」になぞらえて、不忍池の中央に「中之島」を築きました。
- 弁天堂: その島に、竹生島の宝厳寺から勧請した「弁財天」を祀る八角形のお堂を建てました。これが現在の不忍池弁天堂です。
- 歴史の変遷: 明治時代には、池の周りを競馬場として利用していた時期や、戦後の食糧難の際には池を干拓して「田んぼ(水田)」として利用していたという驚きの歴史もあります。
2. 3つのエリア
不忍池は、遊歩道によって大きく3つのエリアに分かれています。
- 蓮池(はすいけ): 夏になると池一面が巨大なハスの葉で覆われ、ピンク色の花が咲き誇ります。
- ボート池: スワンボート、サイクルボート、手漕ぎボートの3種類が楽しめます。カップルや家族連れに一番人気のエリアです。
- 鵜の池(うのいけ): 上野動物園の中に位置しており、多くの水鳥が息づく自然豊かなエリアです。
3. 季節ごとの見どころ
- 夏のハス(7月中旬〜8月中旬): 都内屈指のハスの名所です。ハスの花は「早朝に咲き、お昼には閉じてしまう」ため、鑑賞するなら午前中(特に朝7時〜9時頃)がベストです。
- 冬の渡り鳥: 冬になるとキンクロハジロやユリカモメなど、多くの渡り鳥が飛来し、バードウォッチングの聖地となります。
- 春の桜: 池の周囲は約2kmの遊歩道になっており、桜並木が水面に映る景色は格別です。
4. 観光のポイント
- 金運・芸事のパワースポット: 弁天堂に祀られている「八臂(はっぴ)弁財天」は、音楽や芸能、そして「辯財天」と書くことから金運のご利益があるとされています。
- ユニークな碑: 弁天堂の周りには「ふぐ供養碑」「めがね之碑」「包丁塚」など、少し変わった記念碑がたくさん建っており、散策の隠れた楽しみになっています。
プチ情報: 1924年以前の古い地図を見ると、不忍池は今よりももっと広かったことがわかります。周囲の地形を感じながら歩くと、かつてここが海(入り江)だった頃の名残を感じられるかもしれません。
上野動物園
恩賜上野動物園(おんしうえのどうぶつえん)は、1882年(明治15年)に開園した日本で最も歴史のある動物園です。
上野恩賜公園の中に位置し、都会の真ん中にありながら約300種・3,000点もの動物たちが飼育されています。その魅力と歴史的な出来事を詳しくお伝えします。
1. 歴史:日本の動物園の「はじまり」
上野動物園の歩みは、日本の近代化や戦争の歴史と深く関わっています。
- 日本初の開園: 明治15年、農商務省が管轄する博物館の付属施設として誕生しました。開園当初は、日本各地の動物が中心の展示でした。
- 「恩賜」の由来: 1924年(大正13年)、昭和天皇のご成婚を記念して、皇室から当時の東京市へ下賜(かし)されたため、「恩賜」という名がつきました。
- 悲しい「戦時猛獣処分」: 第二次世界大戦中、空襲で猛獣が逃げ出すことを恐れた東京都の命令により、ライオンやゾウなどの動物が殺処分されるという悲劇もありました。この出来事は、童話『かわいそうなぞう』などの題材にもなっています。
2. パンダの聖地
上野動物園といえば、やはりジャイアントパンダです。
- 1972年の熱狂: 日中国交正常化を記念して、日本で初めてパンダ(ランランとカンカン)が来園。日本中に「パンダブーム」を巻き起こしました。
3. 観光・見学の魅力(エリア別の特徴)
園内は「東園」と「西園」の2つのエリアに分かれており、それぞれ異なる雰囲気が楽しめます。
- 東園(ひがしえん):迫力ある大型動物と歴史
- ゾウのすむ森・クマたちの丘: 活発に動くアジアゾウや、ホッキョクグマ、ゴリラ、トラなど、動物園の「スター」たちが集まっています。
- 旧寛永寺五重塔: 園内に江戸時代の重要文化財(五重塔)がそびえ立つ、上野ならではの景観が楽しめます。
- 西園(にしえん):ユニークな動物と自然
- 不忍池(しのばずのいけ): 野生の鳥も訪れる広大な池を背景に、フラミンゴやハシビロコウ(「動かない鳥」として有名)を見ることができます。
- アイアイのすむ森: 国内ではここでしか見られない珍しいアイアイや、マダガスカルの動物たちが展示されています。
- 両生爬虫類館(ビバリウム): ワニやカメ、カエルなどが生息環境を再現した空間で暮らしています。
4. 訪れる際のヒント
- 入園料: 一般600円(都立のため、非常にリーズナブルです)。
- 休園日: 基本的に月曜日が定休日です。
- アクセス: 公園の正門(東園)へはJR上野駅「公園口」から徒歩約5分。不忍池側の「弁天門」や「池之端門」からも入園可能です。
豆知識: 動物園の中に「モノレール」が走っていたことをご存知でしょうか?日本初のモノレールとして親しまれてきましたが、現在は車両の老朽化のため運行を休止しており、代わりに新しい乗り物の導入が検討されています。
歴史の重みを感じながら、ゆっくりと動物たちの生態を観察できる素敵な場所です。不忍池の散策とあわせて、ぜひ足を運んでみてください。
西郷隆盛の銅像
上野恩賜公園のシンボルといえば、真っ先に「西郷隆盛像」を思い浮かべる方も多いはず。実は、この銅像がこの場所に立っているのには、深い歴史的な理由があります。
1. なぜ「上野」に立っているのか?
それは、上野が西郷隆盛にとって「勝利と終焉の始まり」の地だからです。
- 上野戦争(1868年): 戊辰戦争の際、西郷隆盛は新政府軍の指揮官として、上野の山(寛永寺)に立てこもった旧幕府軍「彰義隊」をわずか1日で撃破しました。
- 近代日本の幕開け: この勝利によって、江戸(東京)における旧勢力の抵抗がほぼ終結し、明治新政府の基盤が固まりました。
- ゆかりの地として: 上野公園は西郷さんが軍功を挙げた舞台であり、彼が切り拓いた「新しい日本」を象徴する場所として、建立地に選ばれたのです。
2. 銅像が建てられた経緯
西郷隆盛は一度、新政府に反旗を翻した(西南戦争)ため「逆賊」とされました。しかし、後に名誉が回復され、彼を慕う人々によって銅像建設の機運が高まりました。
- 建立: 1898年(明治31年)に完成。
- 制作者: 日本彫刻界の巨匠・高村光雲(たかむら こううん)が手がけました。ちなみに、連れている犬の「ツン」は別の彫刻家(後藤貞行)の作です。
- 寄付金で建設: 当時の全国のファンからの寄付金によって建てられました。いかに彼が国民に愛されていたかがわかりますね。
3. なぜ「浴衣姿に犬」というラフな格好なのか?
西郷さんといえば軍服姿のイメージが強いですが、上野の像はとてもリラックスした姿をしています。
- あえての「普段着」: 西郷さんの「飾らない、庶民的な人柄」を表現するために、あえて軍服ではなく、うさぎ狩りに出かける際の「着流し(浴衣)」姿で造られました。
- 奥様の驚き: 除幕式でこの像を見た西郷さんの妻・糸子さんは、「うちの主人はこんな格好で人前に出るような人ではありませんでした」と驚いて声を上げたという有名なエピソードが残っています。
西郷隆盛像をさらに楽しむための「注目ポイント」
| ポイント | 詳細 |
| 腰の刀 | よく見ると、着流し姿なのに腰に短刀を差しています。これは武士としての魂を忘れていない表現です。 |
| 場所 | JR上野駅の「正面玄関口」からすぐの階段を上がったところにあります。不忍池を見下ろすような位置に立っています。 |
| 犬の「ツン」 | 実はモデルになった犬はオスでしたが、像のモデルが間に合わず、別のメス犬を参考に造られたと言われています。 |
まとめ:
西郷隆盛像は、「上野戦争の勝利の指揮官」としての功績を称えつつ、「情に厚く飾らない男気」を後世に伝えるために、あの場所に立っています。
彰義隊
上野恩賜公園を語る上で、「彰義隊(しょうぎたい)」との関係は避けては通れない、最もドラマチックで激しい歴史の一幕です。
現在の平和な公園の風景からは想像もつきませんが、ここはかつて幕末最大の激戦地でした。
1. 彰義隊とは?
徳川幕府が終わりを告げようとしていた1868年(慶応4年)、将軍・徳川慶喜の助命と、徳川家の菩提寺である寛永寺(現在の上野公園)の守護を目的に結成された旧幕府軍の精鋭部隊です。
彼らは、新政府軍に対して最後まで江戸で抵抗を続けた、いわば「徳川家への忠義を貫いた武士たち」でした。
2. 上野戦争(1868年5月15日)
新政府軍(西郷隆盛が指揮)と彰義隊が激突したこの戦いは、わずか1日で決着がつきました。
- 戦場となった公園: 当時、彰義隊は約3,000人で上野の山に立てこもりました。
- 圧倒的な火力差: 新政府軍は、佐賀藩が投入した最新鋭の大砲「アームストロング砲」を本郷(現在の東大付近)から撃ち込みました。
- 寛永寺の焼失: この激しい砲撃により、寛永寺の壮大な伽藍(お堂の数々)のほとんどが焼け野原となってしまいました。
- ※現在残っている「清水観音堂」や「五重塔」は、奇跡的に焼け残った貴重な建物です。
3. 公園内に残る「戦いの痕跡」
今でも上野公園を歩くと、彰義隊の悲劇と戦いの激しさを物語るスポットが点在しています。
① 黒門(くろもん)の弾痕
かつて寛永寺の正門だった「黒門」は、現在は南千住の円通寺に移築されていますが、無数の鉄砲の弾痕が今も生々しく残っています。上野公園内の「上野の森美術館」付近に、かつてこの門があったことを示す碑が立っています。
② 彰義隊の墓(戦死者の墓)
西郷隆盛像のすぐ近く(裏手)にあります。
- 歴史の皮肉: 勝利した西郷さんの像のすぐそばに、敗れた彰義隊の供養碑があるのは、非常に考えさせられる光景です。
- 建立の苦労: 戦後、彰義隊は「賊軍(敵)」とされたため、長らく供養が許されませんでした。明治14年になってようやく、生き残った隊士らによってこの墓が建てられました。
4. なぜ「公園」になったのか?
上野戦争で寛永寺の建物のほとんどが焼けてしまい、そこが「広大な空き地(廃墟)」になったことが、実は上野公園誕生のきっかけです。
- 病院建設の計画: 当初、明治政府はこの場所に軍の病院を建てる予定でした。
- ボードウィンの提言: 視察に来たオランダ人医師ボードウィンが、「これほど素晴らしい自然と歴史がある場所を病院にするのはもったいない。市民のための公園にすべきだ」と強く主張し、1873年に日本初の公園として整備されることになったのです。
まとめ: 上野恩賜公園は、「彰義隊が散った戦場」であり、その戦いによって建物が失われたからこそ、皮肉にも「市民の公園」として生まれ変わることができたのです。






敬天愛人
西郷隆盛と銅像の由来


彰義隊の墓

彰義隊の墓(台東区有形文化財)


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