🏯 九州の黒田官兵衛ゆかりの城 🌟

中津城

黒田孝高(官兵衛)の築城として名高い、大分県中津市の中津城。出生地の姫路市、幽閉されていた伊丹市に並ぶ、まさに黒田孝高の史実の3大拠点と言えるのではないでしょうか。歴史のロマンを感じるこの場所で、戦国時代の名将の足跡を辿る旅はいかがですか?✨

中津城

【住所】〒871-0050 大分県中津市二ノ丁本丸1273−2

【築城主】黒田孝高
【築城年】天正16年(1588年)
【主な改修者】細川忠興
【別名】中津川城、扇城、小犬丸城、丸山城
【城郭構造】梯郭式平城(海城)
【主な城主】黒田家、細川家、小笠原家、奥平家、中津勧業株式会社、一般社団法人中津城、株式会社千雅商事
【廃城年】明治4年(1871年)
(Wikipediaより)

※Geminiによる解説

大分県中津市にそびえる中津城。軍師・黒田官兵衛(孝高)が築いた城として、歴史ファンにはたまらない魅力が詰まっています。


1. 中津城の歴史

中津城は、豊臣秀吉の天下統一の過程で生まれた「近世城郭」の先駆け的な存在です。

創建と黒田官兵衛の時代
  • 築城の始まり(1588年): 九州平定の功績により豊前国を与えられた黒田孝高(官兵衛)が、周防灘に臨む中津川の河口に築城を開始しました。
  • 日本三大水城: 堀に海水を引き入れる構造から、今治城・高松城と並び「日本三大水城」の一つに数えられます。
  • 石垣の秘密: 官兵衛時代の石垣は、野面積み(自然石を積み上げる技法)で現存しており、後の細川氏による切り石積みとの「継ぎ目」が現在も見られる貴重な遺構です。
細川氏の入封と完成
  • 関ヶ原の戦い後: 黒田氏が福岡へ加増移封されると、細川忠興が入城しました。忠興は大規模な改修を行い、中津城を近代的な城郭へと完成させました。
奥平氏の統治と幕末
  • 中津藩の定着: 1717年に奥平昌成が入封してからは、明治維新まで奥平氏が城主を務めました。
  • 福澤諭吉との縁: 中津藩は教育に熱心で、一万円札の顔として知られる福澤諭吉を輩出した藩としても有名です。

2. 観光としての魅力

中津城は、単なる「古い建物」以上の、知的な発見と景観の美しさを兼ね備えています。

独特の石垣「黒田・細川の境界線」

城郭ファンにとっての最大の見どころは、本丸北側の石垣です。

  • 左側のゴツゴツした石(黒田時代)
  • 右側の整えられた石(細川時代) この新旧の継ぎ目がはっきりと確認できる場所は、全国的にも非常に珍しいスポットです。
扇形に広がる「扇城」の美

上空から見ると、城郭の形が扇を広げたような形をしていることから「扇城(せんじょう)」という優雅な別名を持っています。堀に満ち引きする海水が、城下町の風情を一層引き立てます。

充実の展示と展望台
  • 奥平家史料館: 天守閣内部には、武具や古文書が展示されており、特に徳川家康から拝領したとされる貴重な品々は見応えがあります。
  • 最上階からのパノラマ: 天守閣からは中津市街地や周防灘を一望でき、天気が良ければ対岸の山口県まで見渡せます。
周辺の歴史散策

城のすぐそばには、福澤諭吉が幼少期を過ごした「福澤諭吉旧居」や、官兵衛ゆかりの「黒官寺(合元寺)」の赤壁など、徒歩圏内に歴史スポットが密集しています。


豆知識 現在の天守閣は1964年に再建されたものですが、その美しい姿は「中津のシンボル」として市民に深く愛されています。

中津城を訪れる際は、ぜひ石垣の「継ぎ目」を間近で探してみてください。当時の石積みの技術の進化を肌で感じることができますよ。

黒田官兵衛

黒田官兵衛(孝高)にとって、中津城は単なる拠点ではなく、彼の「野心と知略の結晶」とも言える特別な場所です。

官兵衛がこの地にどのように関わり、どのような足跡を残したのか、3つの視点で深掘りします。


1. 官兵衛の理想を形にした「要害」

1587年、豊臣秀吉から豊前6郡を与えられた官兵衛は、翌年から中津城の築城を開始しました。

  • 海を味方につける「水城」: 中津川の河口に位置し、堀に海水を引き入れることで、干満の差を防御に利用しました。これは高松城攻めなどで「水」の威力を知り尽くしていた官兵衛らしい設計です。
  • 「石垣」の先駆者: 当時としては珍しい本格的な石垣造りを採用しました。現在も残る本丸北側の野面積み(のづらづみ)の石垣は、官兵衛が築いた当時のままと言われており、荒々しくも力強い、彼の性格を映し出すような遺構です。

2. 関ヶ原の戦いと「中津からの天下取り」

官兵衛の中津城時代における最大のハイライトは、1600年の関ヶ原の戦いに際しての動きです。

  • 貯め込んだ軍資金の放出: 天下分け目の戦いが始まると、官兵衛は中津城に蓄えていた金銀を惜しみなく使い、周囲の浪人や百姓を雇い入れました。わずか数日で数万の軍勢を組織したと言われています。
  • 九州平定の拠点: この「急造部隊」を率いて中津城を出陣した官兵衛は、瞬く間に九州各地の城を攻略。徳川家康(東軍)と石田三成(西軍)が戦っている隙に、九州を制圧して「第三の勢力」として天下を狙おうとしたという野望説が今も語り継がれています。

3. 「如水」への隠居と宇都宮鎮房の悲劇

中津城は、官兵衛が息子・長政に家督を譲り、「如水(じょすい)」と号して隠居生活を送った場所でもあります。しかし、その裏には冷徹な軍師の一面も見え隠れします。

  • 宇都宮鎮房(うつのみや しげふさ)の暗殺: 豊前の旧領主であった宇都宮氏が秀吉の国替えに従わず抵抗した際、官兵衛は彼を中津城に誘い出し、酒宴の席で暗殺するという非情な手段をとりました。
  • 合元寺(赤壁)の伝説: この時、城下にある「合元寺」で待機していた宇都宮氏の家臣たちも全滅させられました。その返り血を浴びた寺の壁は、何度塗り替えても赤く染まったと言い伝えられ、現在も「赤壁の寺」として中津城の歴史の陰の部分を物語っています。

まとめ:官兵衛にとっての中津城

官兵衛にとって中津城は、秀吉への忠誠を示す拠点であると同時に、自らの知略を存分に発揮し、あわよくば天下を揺るがそうとした「勝負の地」でした。

城内にある「黒田如水」を祀る神社などを訪れると、今でも彼の息遣いを感じることができます。

中津城本丸

薬研堀と祇園車

黒田官兵衛(如水)と正室光姫

黒田本丸の石垣と細川時代の石垣

黒田が持ち込んだ古代山城の石

中津城ビューポイント

旧中津藩主 奥平家

中津公園

中津城公園(公演地)ご案内

中津城旧地図

西南役中津隊之碑

三斎池

なかつ 城下町道案内

蘭学の里・中津と中津城

芭蕉句碑  蛙飛込 古池や 水の音

奥平神社

武運と戦勝 奥平神社御由来

中津大神宮・中津神社

中津大神宮

【主祭神】天照大御神、豊受大御神、倭姫命、天宇豆売命
【創建】1881年(明治14年)

中津神社

【主祭神】素盞鳴尊、応神天皇、仁徳天皇
【創建】1883年(明治16年)
(Wikipediaより)

※Geminiによる解説

歴史的な出来事や史実

1. 中津城と松の御殿

  • 1863年(文久3年):中津城本丸南側に松の御殿が建てられ、中津藩江戸藩邸から戻った姫君らが居住。
  • 1871年(明治4年):廃藩置県後、松の御殿は小倉県中津市庁舎や大分県中津支庁舎として使用。
  • 1877年(明治10年):西南戦争勃発。西郷軍に呼応した中津隊が松の御殿を襲撃して焼失。

2. 中津大神宮と中津神社の創建

  • 1881年(明治14年):中津城址に神宮豊前教会が創建(伊勢神宮の分霊を奉迎)。
  • 1883年(明治16年):松の御殿跡地に中津神社が創建(新魚町の六所神社、片端町の丸山神社、御小屋の稲荷神社、諸町の蛭子神社、八幡大江神社の分霊を合祀)。

3. 中津祇園

  • 永享2年(1430年):中津祇園の起源とされる祭礼が初めて行われる。
  • 1962年(昭和37年):中津祇園が大分県の選択無形民俗文化財に選択。
  • 2004年(平成16年):中津祇園が大分県指定無形民俗文化財に指定。

4. その他

  • 中津大神宮と中津神社は、中津城跡の一角に鎮座しており、歴史的な関係が深い。
  • 中津城跡には、黒田孝高(如水)を祀る奥平神社もある。

観光おすすめポイント

  • 歴史を感じられる境内:中津城跡の一角に鎮座しており、歴史を感じられる境内が広がっている。
  • 中津大神宮と中津神社の両方を参拝できる:境内には、中津大神宮と中津神社の両社が鎮座しており、両方とも参拝することができる。
  • 中津祇園を見ることができる:毎年7月下旬に行われる中津祇園は、大分県を代表する祇園祭のひとつであり、中津大神宮・中津神社は祭礼の中心となる場所である。

中津大神宮

中津神社

城井神社

扇城神社

松の御殿

最寄り駅>>中津駅(JR九州)

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