
曹洞宗には二つの大本山があります。
一つは福井県の永平寺、そしてもう一つが横浜市鶴見区にある總持寺です⛩️✨
永平寺には以前訪れたことがありましたが、總持寺は今回が初めて。
長年「いつか行ってみたい」と思っていた場所に、ようやく足を運ぶことができました😊
總持寺と聞いて、私が真っ先に思い浮かべるのは——
実は石原裕次郎さんです🎬✨
その理由は、昔ワイドショーで見た石原裕次郎さんの大規模法要。
当時の映像では、駅前から總持寺まで本当に大勢の人が集まり、沿道が人で埋め尽くされていました。
そして今回、その總持寺を実際に訪れてみると、テレビで見たあの光景が自然と頭の中によみがえってきました。
もちろん、總持寺そのものも大本山にふさわしい広大な境内と厳かな雰囲気に包まれており、永平寺とはまた違った魅力があります🌿✨
歴史ある禅寺としての格式。
そして石原裕次郎さんにまつわる個人的な記憶。
その二つが重なり合い、總持寺は私にとって特別な場所となりました🙏✨
長年の念願が叶い、歴史と記憶をたどる印象深い参拝となりました⛩️🌿✨
總持寺
【住所】〒230-8686 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2丁目1−1
【宗旨】曹洞宗
【山号】諸嶽山
【寺格】大本山
【本尊】釈迦如来
【開基】行基
【創建年】奈良時代
※Geminiによる解説
福井県の永平寺と並び、曹洞宗の「大本山」として知られる總持寺(そうじじ)。鶴見の広大な敷地にそびえる国際的な禅の道場であり、深い歴史と多くの魅力を備えた名刹です。
1. ご利益
總持寺は、特定の現世利益(目先のお願い事)だけを追求するというよりは、曹洞宗の教えに基づき、「自己の心を整え、感謝を捧げる」ことが基本の参拝姿勢となります。
しかし、広大な境内にはそれぞれ特有の信仰を集めるお堂があり、以下のような具体的なご利益を祈願することができます。
- 心願成就・己を見つめ直す(大雄宝殿・大祖堂)本尊の釈迦如来、そして太祖・瑩山(けいざん)禅師、高祖・道元(どうげん)禅師を祀る中心的なお堂です。ここでは日々の感謝を伝え、自らの誓いを立てる「心願成就」を祈るのが最適です。
- 開運厄除・諸縁吉祥(香積台の「大黒尊天」)総受付にあたる「香積台(こうしゃくだい)」には、日本最大級といわれる大きな木彫りの大黒尊天が祀られています。福を招き、貧困を救う神様として、商売繁盛や開運、諸々の良縁(諸縁吉祥)を願う参拝者が絶えません。
- 火災除け・家内安全(三寶殿)總持寺の守護神である「三寶大荒神」が祀られており、火の災いから家を守る火防(ひよけ)や家内安全のご利益があるとされています。
2. 歴史:能登からの移転と激動の軌跡
總持寺の歴史は、大きく「能登時代(元々の創建)」と「鶴見への移転」の2つの大事件に分けられます。
① 始まりは能登(石川県)
元亨元年(1321年)、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師が、能登半島(現在の石川県輪島市)にあった「諸嶽寺(もろおかでら)」を譲り受け、「總持寺」と改名したのが始まりです。翌年には後醍醐天皇から「曹洞賜紫出世第一の道場」との綸旨(りんじ:天皇の命令書)を受け、永平寺と並ぶ大本山として全国に約1万6,000以上の末寺を持つまでに発展しました。
② 明治の大火と、鶴見への大移動(最大の転換点)
明治31年(1898年)、能登の總持寺は大部分の伽藍を焼失する大火災に見舞われます。この悲劇を契機に、当時の貫首(住職)であった石川素童禅師らは、「禅の教えを国内外へより広く普及させるためには、交通の便が良い首都圏へ移るべきだ」と決断。明治44年(1911年)、現在の神奈川県横浜市鶴見区へと壮大な移転を果たしました。能登の旧地は現在「總持寺祖院」として、今も大切に守られています。
3. 観光する上での魅力
総敷地面積は約50万平方メートル(東京ドーム約11個分)におよび、近代的な大都市・横浜の中にありながら、一歩足を踏み入れると厳かな静寂に包まれます。
① 圧倒的なスケールを誇る「木造建築群」
大正から昭和にかけて建てられた伽藍の多くが登録有形文化財に指定されています。
- 三門(さんもん): 鉄筋コンクリート造りとしては日本最大級。左右には巨大な金剛力士(仁王)像が安置されており、その圧倒的な存在感に息をのみます。
- 大祖堂(だいそどう): 千畳敷(床が畳1000枚分)の広さを持つ巨大な本堂。これほど巨大な木造大建築は国内でも滅多に見られません。
② 石原裕次郎さんをはじめとする有名人のお墓
總持寺の広大な墓地には、昭和の大スター・石原裕次郎さんが眠っていることで非常に有名です。今でも多くのファンが献花に訪れます。その他、清浦奎吾(元首相)や、漫画家・前谷惟光など、歴史的な著名人の墓所が点在しています。
③ 開かれた禅寺としての体験
總持寺は「国際的な禅の道場」として、一般の参拝客にも広く門戸を開いています。
定期的に開催される「坐禅会」に参加して本格的な禅の精神に触れたり、予約制の「精進料理」をいただいたり、修行僧(雲水)の方々が慌ただしく、しかし静かに立ち居振る舞う日常の風景そのものが、他では味わえない深い魅力となっています。
御本尊:釈迦如来
大本山・總持寺において、御本尊である「釈迦如来(しゃかにょらい)」は、お寺の信仰の最も中心に位置する存在です。
曹洞宗という宗派の成り立ちから見ると、釈迦如来と總持寺(ひいては参拝する私たち)の間には、非常に深いつながり(関係性)があります。その結びつきを踏まえた上で、どのような御利益を願うべきなのか、分かりやすく丁寧に紐解いていきましょう。
1. 總持寺と釈迦如来の「関係性」
① 仏教の開祖であり、「直系の師匠」
釈迦如来は、約2500年前にインドで実際に生き、仏教を開いたお釈迦様その人です。 曹洞宗において、お釈迦様は単なる「遠い過去の偉大な神様」ではありません。お釈迦様が悟った正しい教え(正法)は、弟子から弟子へと途切れることなく、2500年間バトンリレーのように手から手へ受け継がれてきたと伝承されています。
そのバトン(面授:めんじゅ)を受け継ぎ、日本に伝えたのが高祖・道元禅師であり、それを全国に広げたのが太祖・瑩山禅師です。つまり總持寺にとってお釈迦様は、「自分たちの教えの源流であり、直系の偉大なる大師匠」という極めて密接な関係にあります。
② 本尊として祀られる「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」
總持寺の境内で、釈迦如来が安置されているのが「大雄宝殿」です。 「大雄(だいゆう)」とは、偉大な英雄、すなわちお釈迦様の別名です。このお堂の中央に釈迦如来が、その左右に脇侍(わきじ)として「迦葉尊者(かしょうそんじゃ)」と「阿難尊者(あなんそんじゃ)」というお釈迦様の二大弟子が並び、總持寺の最も厳かな中心地を形成しています。
2. 釈迦如来からいただける「御利益」とは?
仏教において、釈迦如来は「現世(今、私たちが生きているこの世界)の苦しみから人々を救う仏様」です。 他力本願で「宝くじが当たりますように」といった即物的な願いを叶える神様というよりは、「生きる苦しみを取り除き、心に平穏をもたらす」という、人生の根本に関わる大きな御利益(功徳)をいただけます。
主には以下のようなお導きをいただけます。
- 「精神の安定・心の平穏(息災)」 お釈迦様は心の迷いや怒り、不安を鎮める名医(大医王)に例えられます。日々のストレスや迷い、人間関係の悩みなどで波立った心を穏やかに整えてくれる御利益があります。
- 「智慧(ちえ)の開現」 物事の本質を正しく見極める「智慧」を授けてくれます。人生の選択を迫られたときや、ビジネス、学びにおいて、正しい道を見つけ出す力を内側から引き出してくれます。
- 「自己の成長(福徳智慧)」 曹洞宗の禅の精神に基づき、お釈迦様の前で手を合わせることは「自分自身の仏の心(仏性)」に気づくことでもあります。自らを律し、人間性を高めていくという大きな成長の後押しをいただけます。
3. 参拝する際は、何をお願い(誓い)するとよいか?
大本山總持寺の大雄宝殿で、釈迦如来に向き合うとき。心の中で何を唱えるのが最もお釈迦様の御心に叶うのでしょうか。
おすすめしたいのは、単に「〜してください」とお願いするだけでなく、「感謝」と「誓い」を伝える参拝です。
【参拝時の心構えの例】 「今、こうして生かされていることに感謝いたします。 私はこれから、〇〇(仕事や家族、目標など)に対して、誠実に、一生懸命に取り組んでまいります。 どうか迷うことなく、正しい道を歩めるようお見守りください。」
このように、「自分の足でしっかり生きていくので、どうか進むべき道を照らしてください」と祈ること。それこそが、2500年前に自らの足で歩み、悟りを開いたお釈迦様(釈迦如来)と最も深く響き合う、最高のご縁の結び方です。
永平寺
曹洞宗(そうとうしゅう)の歴史を語る上で、總持寺(そうじじ)と永平寺(えいへいじ)は、切っても切り離せない特別な関係にあります。
一言でいうと、両者は「曹洞宗のツートップ」であり、正式には「両大本山(りょうだいほんざん)」と並び称されます。
一つの宗派に最高峰のお寺が2つあるのは、日本の仏教界でも非常に珍しい形です。。
1. 例えでわかる「二大巨頭」の関係性
両者の関係を分かりやすく現代の組織やシンボルに例えると、以下のようなイメージです。
- 「車の両輪」や「鳥の両翼」:どちらが欠けても曹洞宗という大きな組織は前に進みません。
- 「お父さんとお母さん」:厳しく基盤を作った父(永平寺)と、優しく皆を包み込んで広げた母(總持寺)。
- 「最高裁判所(法と伝統)」と「行政府(展開と実践)」:教えの純粋性を守る場所と、それを社会に広く活かす場所。
曹洞宗では、この2つのお寺を全く同等のものとして等しく敬うことが定められています。
2. なぜ「大本山」が2つあるのか?(歴史的背景)
これには、曹洞宗を開いた2人の偉大な祖師(お坊さん)の役割の違いが関係しています。
① 永平寺:教えの源流を作った「高祖(こうそ)」
鎌倉時代、中国から禅の教えを持ち帰った道元(どうげん)禅師が、福井県の山奥に開いたのが永平寺です。道元禅師は、ひたすら座禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」の純粋なスタイルを追求しました。権力に近づかず、厳しい修行のルールを確立したため、永平寺は「曹洞宗のふるさと(源流)」と位置づけられています。
② 總持寺:教えを全国に広げた「太祖(たいそ)」
道元禅師から数えて4代目にあたる瑩山(けいざん)禅師が、石川県(能登)に開き、後に横浜へ移転したのが總持寺です。瑩山禅師は、道元禅師の厳しい教えをベースにしつつも、一般の人々の祈祷や地域の信仰なども柔軟に取り入れ、親しみやすい形で教えを全国に広めました。これにより、曹洞宗は日本最大級の宗派へと大躍進したため、總持寺は「曹洞宗の育ての親(大発展の祖)」と仰がれています。
【一仏両祖(いちぶつりょうそ)】
曹洞宗では、御本尊の**「釈迦如来」、お父さんのような「道元禅師(高祖)」、お母さんのような「瑩山禅師(太祖)」**の3尊を、等しく最も大切な存在として信仰しています。
3. 永平寺と總持寺の「違い」を比較
同じ最高峰のお寺ですが、その「まとう空気」や「役割」にははっきりとした違いがあります。
| 項目 | 永平寺(えいへいじ) | 總持寺(そうじじ) |
| 場所 | 福井県吉田郡永平寺町 | 神奈川県横浜市鶴見区 |
| 開山(創設者) | 道元禅師(教えの源流) | 瑩山禅師(教えの普及) |
| 立地と環境 | 深い山の中、樹齢数百年の杉木立に囲まれた**「山の道場」** | 大都市・横浜の交通の要所に位置する**「都市の道場」** |
| 主な役割・雰囲気 | 伝統的な厳しい修行の規律を、当時のまま厳格に守り伝える | 国際社会や現代社会に門戸を開き、禅の精神を広く発信する |
| 聖地としての性格 | 道元禅師の御廟(お墓)がある精神的聖地 | 全国の末寺(約1万5千)を統括する宗務の中心地としての機能 |
まとめ:対立ではなく「調和」
歴史の途中(明治時代など)では、どちらがトップかを巡る本山争いのような摩擦が起きた時期もありました。しかしそれを乗り越え、現代では「一山(いっさん)の如く」、つまり2つで1つのお寺であるかのように強い絆で結ばれています。
- 永平寺が、時代が変わっても揺るがない「縦の伝統」を守り、
- 總持寺が、時代に合わせて世界へ教えを届ける「横の広がり」を担う。
この絶妙なバランスこそが、両大本山の素晴らしい関係性であり、曹洞宗が今も多くの人々に親しまれている理由なのです。
石原裕次郎
横浜の總持寺(そうじじ)を語る上で、昭和の大スター・石原裕次郎さんの存在は欠かせません。「總持寺といえば石原裕次郎さんのお墓がある寺」として全国的に広く知られており、両者には極めて深い結びつきがあります。
1. なぜ總持寺にお墓があるのか?(結びつきの理由)
一言でいうと、「石原家の菩提寺(代々のお墓があるお寺)が總持寺であったから」です。
石原裕次郎さんは逗子(神奈川県)や成城(東京都)など、海や都心にゆかりが深いイメージがありますが、石原家(父・潔さん、兄・慎太郎さんら)の宗派が曹洞宗であり、横浜・鶴見の広大で厳かな總持寺を墓所に選びました。
1987年に裕次郎さんが52歳という若さで亡くなった際、遺骨の一部は本人がこよなく愛した湘南の海に海洋散骨されましたが、分骨された遺骨がこの總持寺の石原家墓所に埋葬されました。
2. 總持寺における「石原裕次郎さんのお墓」の特徴
總持寺の広大な墓地の一角にある石原家の墓所は、現在も「聖地」として多くのファンが訪れる場所です。
- トレードマークのブロンズ像 墓石の傍らには、生前の裕次郎さんをかたどったリアルなブロンズ胸像が建てられており、今も優しく微笑みながら参拝者を迎えています。
- 妻・まき子夫人が寄せた詩の碑 墓碑には、妻である石原まき子夫人が亡き夫を想って綴った、胸を打つ詩が刻まれています。
- 今も絶えないお花とタバコ 没後35年以上が経過した今でも、命日(7月17日「あじさい忌」)はもちろん、普段からファンによる献花や、裕次郎さんが好きだったタバコ、お酒などが供えられ、お寺のスタッフやファンによって美しく保たれています。
3. 「石原軍団」と總持寺の深い絆・有名エピソード
裕次郎さんの存在とお墓をきっかけに、總持寺と石原プロモーション(石原軍団)は、長年にわたり家族のような深い交流を続けました。
① 伝説の「二十三回忌法要」(国立競技場での催しとの連動)
2009年の二十三回忌法要の際には、總持寺での本法要のほか、東京の国立競技場に總持寺の本堂を原寸大で再現した巨大なセットが組まれ、大々的な追悼イベントが行われました。お寺の枠を超え、日本中を巻き込むスケールは、總持寺と石原軍団の絆の強さを象徴する出来事でした。
② 三十三回忌(弔い上げ)に集結した5万人
2019年7月17日、仏教において一つの区切りとなる「三十三回忌」の法要が總持寺で営まれました。 これが公式な「弔い上げ(最後の大きな法要)」となり、妻のまき子夫人をはじめ、舘ひろしさん、神田正輝さんら石原軍団の面々が勢揃いしました。この日は全国から数万人ものファンが鶴見に押し寄せ、總持寺の広大な境内が裕次郎カラー一色に染まりました。
③ 鶴見の名物だった「節分の豆まき」
かつて總持寺の冬の風物詩といえば、2月3日の「節分会(せつぶんえ)」でした。 裕次郎さんとのご縁から、毎年、渡哲也さん、舘ひろしさん、神田正輝さんといった石原軍団のスターたちが特設舞台から豆をまくのが恒例となっていました。このニュース映像を毎年楽しみにしていた方も多く、地域住民やファンが何万人も集まる大イベントでした。(※三十三回忌の節目と石原プロの解散等に伴い、現在は軍団としての参加は終了しています)。
まとめ:お寺の歴史に刻まれた「昭和の残り香」
700年以上の歴史を持つ大本山總持寺の長いタイムラインの中で、石原裕次郎さんという一人の大スターと過ごした数十年は、非常に華やかで、かつ温かい人間味に溢れた1ページとなっています。
厳格な禅の道場でありながら、裕次郎さんを慕う大勢のファンをいつでも温かく迎え入れる總持寺の懐の深さ。そして、大好きなボスの眠る場所を、何十年も大切に守り続けた石原軍団の「誠実さ」。
總持寺を参拝する際、大雄宝殿で静かに手を合わせた後に裕次郎さんの墓所へ足を運ぶと、厳かさの中にどこか昭和の熱い情熱と優しさを感じることができます。
曹洞宗 大本山
「能登にあった一つの寺院(總持寺)が、皇室や幕府から認められ、全国の末寺を束ねる曹洞宗の『大本山』へと上り詰めた」という歴史の展開をたどります。
大本山への歩みは、前身のお寺の寄進から始まり、「後醍醐天皇の認め(綸旨)」と「明治時代の鶴見への移転」という2つの決定的な出来事によって形作られました。
1. 始まり:真言宗の寺院から曹洞宗への「改変」
元々、石川県能登の地には「諸嶽寺(もろおかでら)」という真言律宗のお寺がありました。
鎌倉時代末期の元亨元年(1321年)、このお寺の住職だった定賢(じょうけん)律師が、素晴らしい徳を持っていた曹洞宗の僧侶・瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師に深く帰依し、こう申し出ます。
「このお寺をあなたに全てお譲りします。どうか曹洞宗の禅の道場にしてください」
こうして寺院の譲渡を受けた瑩山禅師は、お寺を曹洞宗に改め、名を「諸嶽山 總持寺(そうじじ)」と改称しました。これが總持寺としての第一歩です。
2. 大本山への決定打:後醍醐天皇からの「綸旨(りんじ)」
總持寺が単なる地方の禅寺ではなく、国家レベルの「大本山」として公認された最大の理由は、改称の翌年に起きた出来事にあります。
元亨2年(1322年)、後醍醐天皇より公式な命令書である「綸旨(りんじ)」が下賜されました。そこには次のように記されていました。
- 「曹洞賜紫出世第一の道場」となすこと
- 「官寺(国家のお寺)」と同等の格を与えること
「曹洞宗のお坊さんが紫の衣(最高の格を示す紫衣)を着て、世に出て活躍するための第一の道場である」と、天皇直々に公認されたのです。
これにより、開祖・道元禅師が開いた「永平寺」と並び、總持寺は全国の曹洞宗寺院を統括する最高峰の「大本山」としての地位を完全に確立しました。
3. 全国への大発展:「門流(派閥)」の形成
大本山となった總持寺は、瑩山禅師とその弟子たちの手によって、全国へ急速に勢力を広げていきます。
- 直系弟子(五哲)の活躍: 瑩山禅師の優れた弟子たち(峨山韶碩など)が全国各地に新しいお寺を開き、その傘下のお寺(末寺)がすべて「大本山總持寺」を頂点として結束しました。
- 1万6千を超える末寺: 庶民の信仰や祈祷を柔軟に取り入れた總持寺のスタイルは広く愛され、江戸時代までに全国の曹洞宗寺院の約8割以上が總持寺の傘下に属するほどの一大勢力となりました。
4. 現代への転換点:明治時代の大火と「横浜・鶴見への大移転」
大本山として君臨し続けた總持寺ですが、明治時代に最大の危機と転換期を迎えます。
明治31年(1898年)、能登の總持寺は大火災により主要な建造物の大半を焼失してしまいました。
この悲劇に直面した当時の第67貫首・石川素童(そどう)禅師は、単にお寺を元通りに再建するのではなく、時代を見据えた英断を下します。
「これからの時代、禅の教えを日本全国、そして世界へ広めるためには、交通の便が良く首都に近い場所へ拠点を移すべきである」
明治44年(1911年)、總持寺は大本山としての地位と権威をそのままに、能登から現在の神奈川県横浜市鶴見区へと本拠地を全面移転しました。(※能登の旧地は「總持寺祖院」として現在も存続しています)。
まとめ
總持寺が曹洞宗の大本山となった経緯をまとめると、以下の3ステップとなります。
- 1321年: 能登の「諸嶽寺」が譲られ、瑩山禅師によって曹洞宗「總持寺」が誕生。
- 1322年: 後醍醐天皇から綸旨を賜り、永平寺と並ぶ曹洞宗の「大本山」として公認される。
- 1911年: 近代化とグローバル化を見据え、横浜・鶴見へ移転し、現代の大国際禅道場へと結実する。
お釈迦様から続く純粋な禅を守る永平寺に対し、時代や人々のニーズに合わせて柔軟に教えを広げてきたからこそ、總持寺は大本山として今日まで多くの信仰を集め続けています。
鎮守社・鎮守堂
大本山・總持寺の広大な境内には、本尊である釈迦如来を祀るお堂だけでなく、お寺やその土地を守護する「鎮守社(ちんじゅしゃ)・鎮守堂(ちんじゅどう)」が複数点在しています。
参拝すべき有名な鎮守社・鎮守堂 4選
1. 三寶殿(さんぼうでん)
境内全体の火災除けと守護を司る、最も重要な鎮守堂
- どんな場所・理由? 總持寺の広大な敷地を守る一番の鎮守堂です。明治時代に能登で起きた大火災の悲劇を経て鶴見へ移転した歴史を持つ總持寺において、「火の災いから守る」という役割を持つこのお堂は極めて重要な意味を持っています。三門をくぐって右手方向の小高い場所に鎮座しています。
- 御祭神:三寶大荒神(さんぼうだいこうじん) 仏(お釈迦様)・法(教え)・僧(修行者)という仏教の3つの宝(三宝)を守護する極めて威力の強い神様です。荒々しい力で悪災を払うとされています。
- 御利益:火災除け・家内安全・災難除け 「火」を司る神様であることから、火事やボヤなどの火難を防ぐ「火防(ひよけ)」のご利益が特に有名です。また、台所(かまど)の神様としても信仰されており、家庭の安全を守ってくださいます。
2. 香積台の「大黒尊天」(こうしゃくだいのだいこくそんてん)
日本最大級のスケールを誇る、福徳の鎮守大黒様
- どんな場所・理由? 総受付や拝観入口となっている大きな建物「香積台(こうしゃくだい)」に入ると、正面で迎えてくれるのが、高径約180cmにも及ぶ大きな木彫りの大黒尊天です。お堂という形式ではありませんが、總持寺の寺内と参拝者の物質的・精神的な豊かさを守るお寺の「鎮守大黒」として絶大な信仰を集めています。
- 御祭神:大黒尊天(だいこくそんてん) インドの開運・財福の神様(マハーカーラ)が日本の大国主命と神仏習合した存在です。
- 御利益:商売繁盛・開運招福・諸縁吉祥 大きな袋と打出の小槌を持ち、人々に福や財をもたらします。さらに、商売の縁だけでなく「良い人や良い機会に恵まれる」という「諸縁吉祥(さまざまな良いご縁を結ぶ)」の御利益でも親しまれています。
3. 横溝屋敷縁の「横溝鎮守」および鎮守鎮守社群
鶴見の土地そのものの神々を祀る地主神
- どんな場所・理由? 總持寺が明治時代に能登から移転してくる際、この鶴見の土地(かつての寺尾城跡や周辺の旧家・横溝家などのゆかりの地)に元々祀られていた地主神(じぬしがみ)や鎮守様を大切に継承し、境内にお祀りした社です。移転先の土地の神様を尊重し、和合して寺院を守ってもらうという大切な意義を持っています。
- 御祭神:地主神・稲荷明神(いなりみょうじん)など 鶴見の地域を古くから見守ってきた土地の産土神や、五穀豊穣を司るお稲荷様などが祀られています。
- 御利益:五穀豊穣・地域繁栄・土地の平穏 「その土地で過ごす人々や訪れる人々の足元を安定させる」という御利益があります。引越しや新しい事業、新しい生活をスタートする際、その土地に根を張り安定させるご加護をいただけます。
4. 穴熊稲荷社(あなぐまいなりしゃ)
異彩を放つ、知る人ぞ知る願掛けの稲荷社
- どんな場所・理由? 總持寺の境内の少し奥まった静かな場所にあり、古くから修験や民間信仰と結びついて親しまれてきたお稲荷様です。「穴熊(あなぐま)」の名が示す通り、深く根を張り、隠れた才能や福を掘り起こすパワースポットとして熱心な参拝者が訪れます。
- 御祭神:穴熊稲荷大明神(あなぐまいなりだいみょうじん)
- 御利益:一勝祈願・隠れた才能の発掘・商売繁盛 特定の願い事(一筋の願い)を強く祈願する際にご加護があると言われており、勝負事やビジネスの突破口を開きたい時にお参りするのがおすすめです。
参拝の順番とポイント
- 大雄宝殿(本堂): まずは御本尊である釈迦如来に「日々の感謝」を伝えます。
- 香積台(大黒尊天): 受付を通る際、大黒尊天に「豊かなご縁と開運」を祈ります。
- 三寶殿など各鎮守社: 境内の散策とあわせて三寶大荒神や各社を巡り、「火災除けや生活の安全、具体的なお願い事」を捧げます。
仏教の中心であるお釈迦様への参拝(お寺の祈り)と、その周りをガードする鎮守の神々への参拝(神道の祈り)をあわせて行うことで、総持寺の深い歴史とご利益を余すことなく授かることができます。




































