
曹洞宗には二つの大本山があります。
一つは福井県の永平寺、そしてもう一つが横浜市鶴見区にある總持寺です⛩️✨
永平寺には以前訪れたことがありましたが、總持寺は今回が初めて。
長年「いつか行ってみたい」と思っていた場所に、ようやく足を運ぶことができました😊
總持寺と聞いて、私が真っ先に思い浮かべるのは——
実は石原裕次郎さんです🎬✨
その理由は、昔ワイドショーで見た石原裕次郎さんの大規模法要。
当時の映像では、駅前から總持寺まで本当に大勢の人が集まり、沿道が人で埋め尽くされていました。
そして今回、その總持寺を実際に訪れてみると、テレビで見たあの光景が自然と頭の中によみがえってきました。
もちろん、總持寺そのものも大本山にふさわしい広大な境内と厳かな雰囲気に包まれており、永平寺とはまた違った魅力があります🌿✨
歴史ある禅寺としての格式。
そして石原裕次郎さんにまつわる個人的な記憶。
その二つが重なり合い、總持寺は私にとって特別な場所となりました🙏✨
長年の念願が叶い、歴史と記憶をたどる印象深い参拝となりました⛩️🌿✨
總持寺
【住所】〒230-8686 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2丁目1−1
【宗旨】曹洞宗
【山号】諸嶽山
【寺格】大本山
【本尊】釈迦如来
【開基】行基
【創建年】奈良時代
※Geminiによる解説
福井県の永平寺と並び、曹洞宗の「大本山」として知られる總持寺(そうじじ)。鶴見の広大な敷地にそびえる国際的な禅の道場であり、深い歴史と多くの魅力を備えた名刹です。
1. ご利益
總持寺は、特定の現世利益(目先のお願い事)だけを追求するというよりは、曹洞宗の教えに基づき、「自己の心を整え、感謝を捧げる」ことが基本の参拝姿勢となります。
しかし、広大な境内にはそれぞれ特有の信仰を集めるお堂があり、以下のような具体的なご利益を祈願することができます。
- 心願成就・己を見つめ直す(大雄宝殿・大祖堂)本尊の釈迦如来、そして太祖・瑩山(けいざん)禅師、高祖・道元(どうげん)禅師を祀る中心的なお堂です。ここでは日々の感謝を伝え、自らの誓いを立てる「心願成就」を祈るのが最適です。
- 開運厄除・諸縁吉祥(香積台の「大黒尊天」)総受付にあたる「香積台(こうしゃくだい)」には、日本最大級といわれる大きな木彫りの大黒尊天が祀られています。福を招き、貧困を救う神様として、商売繁盛や開運、諸々の良縁(諸縁吉祥)を願う参拝者が絶えません。
- 火災除け・家内安全(三寶殿)總持寺の守護神である「三寶大荒神」が祀られており、火の災いから家を守る火防(ひよけ)や家内安全のご利益があるとされています。
2. 歴史:能登からの移転と激動の軌跡
總持寺の歴史は、大きく「能登時代(元々の創建)」と「鶴見への移転」の2つの大事件に分けられます。
① 始まりは能登(石川県)
元亨元年(1321年)、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師が、能登半島(現在の石川県輪島市)にあった「諸嶽寺(もろおかでら)」を譲り受け、「總持寺」と改名したのが始まりです。翌年には後醍醐天皇から「曹洞賜紫出世第一の道場」との綸旨(りんじ:天皇の命令書)を受け、永平寺と並ぶ大本山として全国に約1万6,000以上の末寺を持つまでに発展しました。
② 明治の大火と、鶴見への大移動(最大の転換点)
明治31年(1898年)、能登の總持寺は大部分の伽藍を焼失する大火災に見舞われます。この悲劇を契機に、当時の貫首(住職)であった石川素童禅師らは、「禅の教えを国内外へより広く普及させるためには、交通の便が良い首都圏へ移るべきだ」と決断。明治44年(1911年)、現在の神奈川県横浜市鶴見区へと壮大な移転を果たしました。能登の旧地は現在「總持寺祖院」として、今も大切に守られています。
3. 観光する上での魅力
総敷地面積は約50万平方メートル(東京ドーム約11個分)におよび、近代的な大都市・横浜の中にありながら、一歩足を踏み入れると厳かな静寂に包まれます。
① 圧倒的なスケールを誇る「木造建築群」
大正から昭和にかけて建てられた伽藍の多くが登録有形文化財に指定されています。
- 三門(さんもん): 鉄筋コンクリート造りとしては日本最大級。左右には巨大な金剛力士(仁王)像が安置されており、その圧倒的な存在感に息をのみます。
- 大祖堂(だいそどう): 千畳敷(床が畳1000枚分)の広さを持つ巨大な本堂。これほど巨大な木造大建築は国内でも滅多に見られません。
② 石原裕次郎さんをはじめとする有名人のお墓
總持寺の広大な墓地には、昭和の大スター・石原裕次郎さんが眠っていることで非常に有名です。今でも多くのファンが献花に訪れます。その他、清浦奎吾(元首相)や、漫画家・前谷惟光など、歴史的な著名人の墓所が点在しています。
③ 開かれた禅寺としての体験
總持寺は「国際的な禅の道場」として、一般の参拝客にも広く門戸を開いています。
定期的に開催される「坐禅会」に参加して本格的な禅の精神に触れたり、予約制の「精進料理」をいただいたり、修行僧(雲水)の方々が慌ただしく、しかし静かに立ち居振る舞う日常の風景そのものが、他では味わえない深い魅力となっています。
御本尊:釈迦如来
大本山・總持寺において、御本尊である「釈迦如来(しゃかにょらい)」は、お寺の信仰の最も中心に位置する存在です。
曹洞宗という宗派の成り立ちから見ると、釈迦如来と總持寺(ひいては参拝する私たち)の間には、非常に深いつながり(関係性)があります。その結びつきを踏まえた上で、どのような御利益を願うべきなのか、分かりやすく丁寧に紐解いていきましょう。
1. 總持寺と釈迦如来の「関係性」
① 仏教の開祖であり、「直系の師匠」
釈迦如来は、約2500年前にインドで実際に生き、仏教を開いたお釈迦様その人です。 曹洞宗において、お釈迦様は単なる「遠い過去の偉大な神様」ではありません。お釈迦様が悟った正しい教え(正法)は、弟子から弟子へと途切れることなく、2500年間バトンリレーのように手から手へ受け継がれてきたと伝承されています。
そのバトン(面授:めんじゅ)を受け継ぎ、日本に伝えたのが高祖・道元禅師であり、それを全国に広げたのが太祖・瑩山禅師です。つまり總持寺にとってお釈迦様は、「自分たちの教えの源流であり、直系の偉大なる大師匠」という極めて密接な関係にあります。
② 本尊として祀られる「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」
總持寺の境内で、釈迦如来が安置されているのが「大雄宝殿」です。 「大雄(だいゆう)」とは、偉大な英雄、すなわちお釈迦様の別名です。このお堂の中央に釈迦如来が、その左右に脇侍(わきじ)として「迦葉尊者(かしょうそんじゃ)」と「阿難尊者(あなんそんじゃ)」というお釈迦様の二大弟子が並び、總持寺の最も厳かな中心地を形成しています。
2. 釈迦如来からいただける「御利益」とは?
仏教において、釈迦如来は「現世(今、私たちが生きているこの世界)の苦しみから人々を救う仏様」です。 他力本願で「宝くじが当たりますように」といった即物的な願いを叶える神様というよりは、「生きる苦しみを取り除き、心に平穏をもたらす」という、人生の根本に関わる大きな御利益(功徳)をいただけます。
主には以下のようなお導きをいただけます。
- 「精神の安定・心の平穏(息災)」 お釈迦様は心の迷いや怒り、不安を鎮める名医(大医王)に例えられます。日々のストレスや迷い、人間関係の悩みなどで波立った心を穏やかに整えてくれる御利益があります。
- 「智慧(ちえ)の開現」 物事の本質を正しく見極める「智慧」を授けてくれます。人生の選択を迫られたときや、ビジネス、学びにおいて、正しい道を見つけ出す力を内側から引き出してくれます。
- 「自己の成長(福徳智慧)」 曹洞宗の禅の精神に基づき、お釈迦様の前で手を合わせることは「自分自身の仏の心(仏性)」に気づくことでもあります。自らを律し、人間性を高めていくという大きな成長の後押しをいただけます。
3. 参拝する際は、何をお願い(誓い)するとよいか?
大本山總持寺の大雄宝殿で、釈迦如来に向き合うとき。心の中で何を唱えるのが最もお釈迦様の御心に叶うのでしょうか。
おすすめしたいのは、単に「〜してください」とお願いするだけでなく、「感謝」と「誓い」を伝える参拝です。
【参拝時の心構えの例】 「今、こうして生かされていることに感謝いたします。 私はこれから、〇〇(仕事や家族、目標など)に対して、誠実に、一生懸命に取り組んでまいります。 どうか迷うことなく、正しい道を歩めるようお見守りください。」
このように、「自分の足でしっかり生きていくので、どうか進むべき道を照らしてください」と祈ること。それこそが、2500年前に自らの足で歩み、悟りを開いたお釈迦様(釈迦如来)と最も深く響き合う、最高のご縁の結び方です。
永平寺
曹洞宗(そうとうしゅう)の歴史を語る上で、總持寺(そうじじ)と永平寺(えいへいじ)は、切っても切り離せない特別な関係にあります。
一言でいうと、両者は「曹洞宗のツートップ」であり、正式には「両大本山(りょうだいほんざん)」と並び称されます。
一つの宗派に最高峰のお寺が2つあるのは、日本の仏教界でも非常に珍しい形です。。
1. 例えでわかる「二大巨頭」の関係性
両者の関係を分かりやすく現代の組織やシンボルに例えると、以下のようなイメージです。
- 「車の両輪」や「鳥の両翼」:どちらが欠けても曹洞宗という大きな組織は前に進みません。
- 「お父さんとお母さん」:厳しく基盤を作った父(永平寺)と、優しく皆を包み込んで広げた母(總持寺)。
- 「最高裁判所(法と伝統)」と「行政府(展開と実践)」:教えの純粋性を守る場所と、それを社会に広く活かす場所。
曹洞宗では、この2つのお寺を全く同等のものとして等しく敬うことが定められています。
2. なぜ「大本山」が2つあるのか?(歴史的背景)
これには、曹洞宗を開いた2人の偉大な祖師(お坊さん)の役割の違いが関係しています。
① 永平寺:教えの源流を作った「高祖(こうそ)」
鎌倉時代、中国から禅の教えを持ち帰った道元(どうげん)禅師が、福井県の山奥に開いたのが永平寺です。道元禅師は、ひたすら座禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」の純粋なスタイルを追求しました。権力に近づかず、厳しい修行のルールを確立したため、永平寺は「曹洞宗のふるさと(源流)」と位置づけられています。
② 總持寺:教えを全国に広げた「太祖(たいそ)」
道元禅師から数えて4代目にあたる瑩山(けいざん)禅師が、石川県(能登)に開き、後に横浜へ移転したのが總持寺です。瑩山禅師は、道元禅師の厳しい教えをベースにしつつも、一般の人々の祈祷や地域の信仰なども柔軟に取り入れ、親しみやすい形で教えを全国に広めました。これにより、曹洞宗は日本最大級の宗派へと大躍進したため、總持寺は「曹洞宗の育ての親(大発展の祖)」と仰がれています。
【一仏両祖(いちぶつりょうそ)】
曹洞宗では、御本尊の**「釈迦如来」、お父さんのような「道元禅師(高祖)」、お母さんのような「瑩山禅師(太祖)」**の3尊を、等しく最も大切な存在として信仰しています。
3. 永平寺と總持寺の「違い」を比較
同じ最高峰のお寺ですが、その「まとう空気」や「役割」にははっきりとした違いがあります。
| 項目 | 永平寺(えいへいじ) | 總持寺(そうじじ) |
| 場所 | 福井県吉田郡永平寺町 | 神奈川県横浜市鶴見区 |
| 開山(創設者) | 道元禅師(教えの源流) | 瑩山禅師(教えの普及) |
| 立地と環境 | 深い山の中、樹齢数百年の杉木立に囲まれた**「山の道場」** | 大都市・横浜の交通の要所に位置する**「都市の道場」** |
| 主な役割・雰囲気 | 伝統的な厳しい修行の規律を、当時のまま厳格に守り伝える | 国際社会や現代社会に門戸を開き、禅の精神を広く発信する |
| 聖地としての性格 | 道元禅師の御廟(お墓)がある精神的聖地 | 全国の末寺(約1万5千)を統括する宗務の中心地としての機能 |
まとめ:対立ではなく「調和」
歴史の途中(明治時代など)では、どちらがトップかを巡る本山争いのような摩擦が起きた時期もありました。しかしそれを乗り越え、現代では「一山(いっさん)の如く」、つまり2つで1つのお寺であるかのように強い絆で結ばれています。
- 永平寺が、時代が変わっても揺るがない「縦の伝統」を守り、
- 總持寺が、時代に合わせて世界へ教えを届ける「横の広がり」を担う。
この絶妙なバランスこそが、両大本山の素晴らしい関係性であり、曹洞宗が今も多くの人々に親しまれている理由なのです。
石原裕次郎
横浜の總持寺(そうじじ)を語る上で、昭和の大スター・石原裕次郎さんの存在は欠かせません。「總持寺といえば石原裕次郎さんのお墓がある寺」として全国的に広く知られており、両者には極めて深い結びつきがあります。
1. なぜ總持寺にお墓があるのか?(結びつきの理由)
一言でいうと、「石原家の菩提寺(代々のお墓があるお寺)が總持寺であったから」です。
石原裕次郎さんは逗子(神奈川県)や成城(東京都)など、海や都心にゆかりが深いイメージがありますが、石原家(父・潔さん、兄・慎太郎さんら)の宗派が曹洞宗であり、横浜・鶴見の広大で厳かな總持寺を墓所に選びました。
1987年に裕次郎さんが52歳という若さで亡くなった際、遺骨の一部は本人がこよなく愛した湘南の海に海洋散骨されましたが、分骨された遺骨がこの總持寺の石原家墓所に埋葬されました。
2. 總持寺における「石原裕次郎さんのお墓」の特徴
總持寺の広大な墓地の一角にある石原家の墓所は、現在も「聖地」として多くのファンが訪れる場所です。
- トレードマークのブロンズ像 墓石の傍らには、生前の裕次郎さんをかたどったリアルなブロンズ胸像が建てられており、今も優しく微笑みながら参拝者を迎えています。
- 妻・まき子夫人が寄せた詩の碑 墓碑には、妻である石原まき子夫人が亡き夫を想って綴った、胸を打つ詩が刻まれています。
- 今も絶えないお花とタバコ 没後35年以上が経過した今でも、命日(7月17日「あじさい忌」)はもちろん、普段からファンによる献花や、裕次郎さんが好きだったタバコ、お酒などが供えられ、お寺のスタッフやファンによって美しく保たれています。
3. 「石原軍団」と總持寺の深い絆・有名エピソード
裕次郎さんの存在とお墓をきっかけに、總持寺と石原プロモーション(石原軍団)は、長年にわたり家族のような深い交流を続けました。
① 伝説の「二十三回忌法要」(国立競技場での催しとの連動)
2009年の二十三回忌法要の際には、總持寺での本法要のほか、東京の国立競技場に總持寺の本堂を原寸大で再現した巨大なセットが組まれ、大々的な追悼イベントが行われました。お寺の枠を超え、日本中を巻き込むスケールは、總持寺と石原軍団の絆の強さを象徴する出来事でした。
② 三十三回忌(弔い上げ)に集結した5万人
2019年7月17日、仏教において一つの区切りとなる「三十三回忌」の法要が總持寺で営まれました。 これが公式な「弔い上げ(最後の大きな法要)」となり、妻のまき子夫人をはじめ、舘ひろしさん、神田正輝さんら石原軍団の面々が勢揃いしました。この日は全国から数万人ものファンが鶴見に押し寄せ、總持寺の広大な境内が裕次郎カラー一色に染まりました。
③ 鶴見の名物だった「節分の豆まき」
かつて總持寺の冬の風物詩といえば、2月3日の「節分会(せつぶんえ)」でした。 裕次郎さんとのご縁から、毎年、渡哲也さん、舘ひろしさん、神田正輝さんといった石原軍団のスターたちが特設舞台から豆をまくのが恒例となっていました。このニュース映像を毎年楽しみにしていた方も多く、地域住民やファンが何万人も集まる大イベントでした。(※三十三回忌の節目と石原プロの解散等に伴い、現在は軍団としての参加は終了しています)。
まとめ:お寺の歴史に刻まれた「昭和の残り香」
700年以上の歴史を持つ大本山總持寺の長いタイムラインの中で、石原裕次郎さんという一人の大スターと過ごした数十年は、非常に華やかで、かつ温かい人間味に溢れた1ページとなっています。
厳格な禅の道場でありながら、裕次郎さんを慕う大勢のファンをいつでも温かく迎え入れる總持寺の懐の深さ。そして、大好きなボスの眠る場所を、何十年も大切に守り続けた石原軍団の「誠実さ」。
總持寺を参拝する際、大雄宝殿で静かに手を合わせた後に裕次郎さんの墓所へ足を運ぶと、厳かさの中にどこか昭和の熱い情熱と優しさを感じることができます。

































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