🏯藤堂高虎が築いた瀬戸内に映える名城!🌊✨

今治城

今治城といえば、築城の名手・藤堂高虎によって築かれたことで有名!
そしてなんと、高松城・中津城と並ぶ「日本三大水城」のひとつなんです⚓🏯

瀬戸内海のすぐそばに堂々と佇む姿は、まさに水城の名にふさわしい風格🌊✨
お堀の水面に映る天守の美しさは、まるで絵巻物のよう…📜

海とお城が調和した風景に、歴史ロマンを感じながらのんびり散策。
海風に吹かれながら眺める今治城、最高でした!🌅

今治城

【住所】〒794-0036 愛媛県今治市通町3丁目1−3

(Wikipediaより)

※Geminiによる解説

​今治城の歴史:築城の名手、藤堂高虎の傑作

今治城は、江戸時代初期に「築城の名手」として知られる藤堂高虎によって築かれた、日本屈指の大規模な海城(うみじろ)です。

1. 創建の経緯と「海水」の導入

関ヶ原の戦いの功績により伊予半国20万石を与えられた藤堂高虎は、それまでの居城であった山城(甘崎城など)を廃し、慶長7年(1602年)から平地への新城建設を開始しました。 最大の特徴は、瀬戸内海から直接海水を引き入れた広大な堀です。これにより、軍船をそのまま城内に乗り入れられる「制海権を握るための拠点」としての機能を持たせました。

2. 幻の天守

慶長9年(1604年)頃には完成したとされますが、高虎が伊勢・津藩へ転封(国替え)となる際、この今治城の天守は解体され、京都の丹波亀山城に移築されたと伝えられています。そのため、江戸時代の長い期間、今治城には天守が存在せず、櫓(やぐら)がその役割を果たしていました。

3. 久松松平氏による治世

高虎の後は養子の高吉が治めましたが、寛永12年(1635年)に松平定房(徳川家康の甥)が入封しました。これ以降、幕末まで久松松平氏が今治藩3万石の居城として統治を続けました。


観光としての魅力:日本三大海城の威容

今治城は「日本100名城」に選定されており、特にその独自の構造と美しさが評価されています。

1. 珍しい「海水魚」が泳ぐ内堀

今治城の堀は現在も海と繋がっており、潮の満ち引きによって水位が変化します。堀の中には鯛(タイ)やチヌ、ボラなどの海水魚が泳いでおり、城郭の堀としては全国的にも極めて珍しい光景を見ることができます。

2. 再建された天守と櫓(やぐら)群

現在の天守は1980年に再建された「文化施設」としての復興天守ですが、2000年代に入り、多聞櫓(たもんやぐら)や武具櫓などが当時の工法(木造)で忠実に復元されました。これにより、往時の鉄壁の防御力と美しさを体感できるスポットとなっています。

3. 夜間のライトアップ

照明デザイナーの石井幹子氏が手がけたライトアップは必見です。約100個の照明が城郭を照らし出し、夜の闇に浮かび上がる白い城壁と水面に映る「逆さ城」は、非常に幻想的な美しさを誇ります。

4. 藤堂高虎の銅像

本丸跡には、築城主である藤堂高虎が馬に跨った堂々たる銅像が立っています。名軍師・築城家として名を馳せた高虎の視線の先を感じながら、歴史に思いを馳せることができます。

藤堂高虎

藤堂高虎(とうどう たかとら)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、「築城の名手」として名高い人物です。

彼の人生は非常にダイナミックで、主君を何度も変えながら自らの実力で道を切り開き、最終的には徳川家康の深い信頼を得て、幕府の安泰を支える重鎮となりました。


1. 「築城の名手」としての圧倒的な功績

高虎の最大の功績は、近世城郭の礎を築いたその技術力にあります。彼は実戦経験に基づき、機能性と美しさを兼ね備えた城を次々と手がけました。

  • 層塔型(そうとうがた)天守の考案: それまでの天守は、下の階の上に小さな建物を乗せる「望楼型」が主流でしたが、高虎は下から上まで規則的に組み上げる「層塔型」を普及させました。これにより、建築期間の短縮と構造的な強度が向上しました。
  • 直線的な高石垣: 敵の侵入を防ぐため、反りを抑えて垂直に近い角度で積み上げる「高石垣」を得意としました。伊賀上野城の石垣は日本で一、二を争う高さを誇ります。
  • 主な手掛けた城: * 今治城: 海水を引き入れた日本初の本格的な海城。
    • 宇和島城: 五角形の複雑な縄張り(設計)で知られる名城。
    • 江戸城・二条城: 徳川幕府の権威を象徴する天下普請の総奉行として、改修や縄張りを担当しました。

2. 独自の生存戦略:主君を7回変えた「渡り奉公」

高虎は「主君を7人変えねば武士とは言えぬ」という言葉を残した(あるいは象徴するとされる)ほど、多くの主君に仕えました。

  • 実力至上主義: 最初は浅井長政に仕えましたが、浅井家滅亡後は阿閉氏、磯野氏、織田信澄などを経て、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長に仕えます。ここで行政や築城の才能を開花させ、頭角を現しました。
  • 徳川家康との絆: 秀吉の死後、いち早く家康の器量を見抜き、東軍に加わります。関ヶ原の戦いでは伊予20万石の大名となりました。家康からは「困ったことがあれば高虎に相談せよ」と言われるほど絶大な信頼を寄せられ、外様大名でありながら幕政の中枢に関わりました。

3. 政治・軍事における功績

単なる技術者ではなく、優れた軍略家・政治家でもありました。

  • 関ヶ原の戦いでの調略: 西軍の脇坂安治らを寝返らせる工作を成功させ、東軍勝利の決定機を作りました。
  • 大坂の陣での奮戦: 徳川方の先鋒として激戦を繰り広げ、多大な犠牲を出しながらも勝利に貢献しました。
  • 上野寛永寺の創建: 家康の遺言を受け、江戸の鬼門を守るための寛永寺建立に尽力しました。

4. 高虎の哲学とエピソード

彼の行動の根底には、徹底した「誠実さ」と「先見の明」がありました。

  • 餅屋のエピソード: 浪人時代、空腹で倒れそうになった高虎に餅を振る舞った店主に、出世した後に再会して恩を返したという話があります。義理堅い一面が伺えます。
  • 家康への忠誠: 家康が亡くなる直前、高虎は家康と同じ「天台宗」に改宗しました。「あの世でもお仕えしたい」という強い忠誠心の表れと言われています。

藤堂高虎は、変化の激しい時代を「技術」と「忠義」で生き抜いた、極めて現代的なビジネスセンスを持つ武将とも言えます。

藤堂高虎公

吹揚神社

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Kazma-S