
東京から大阪へ向かう新幹線。
品川駅を過ぎたあたりで、車窓からふと見える神社が気になっていた方も多いのではないでしょうか🚄⛩️
私にとって、その神社がまさに品川神社でした。
これまで何度も新幹線の中から見かけては、「いつか行ってみたいな」と思っていたのですが、今回ようやく参拝する機会を得ることができました✨
実際に訪れてみると、都心の中にありながら、しっかりとした歴史と存在感を感じさせる神社。
「いつも新幹線から見ていたあの神社に、今こうして立っているんだ」と思うと、それだけで少し感慨深いものがあります😊
そして今回、品川神社について調べていて特に印象に残ったのが、主祭神の一柱である天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)です📜
この神様、他の神社ではあまり見かけることのない、かなり珍しい御祭神とのこと。
神社巡りをしていても、こうした“ここならでは”の神様に出会えると、なんだか得をした気分になります✨
さらに品川神社は、源頼朝や徳川家康ともゆかりがある神社として知られています⚔️
頼朝や家康といえば、まさに日本史を動かした人物。
そんな歴史上の大人物たちが、この神社を頼り、信仰していたと思うと、境内の空気まで少し特別に感じられてきます。
新幹線の窓から何度も見ていた景色が、ようやく自分の足で訪れる場所になる。
それだけでも嬉しいのに、歴史や神様のことを知ることで、参拝の意味がさらに深くなりました🙏
旅先で神社に立ち寄ると、ただ観光するだけでなく、その土地の歴史や人々の思いに少し触れられる気がします。品川神社も、まさにそんな場所でした⛩️✨
長年気になっていた神社にようやくお参りできて、
またひとつ、新しいパワーをいただいたような気持ちになりました😊✨
品川神社
【住所】〒140-0001 東京都品川区北品川3丁目7−15
【主祭神】天比理乃咩命、宇賀之売命、素盞嗚尊
【社格等】東京十社他
【創建】文治3年(1187年)
※Gemini による解説
東京都品川区に鎮座する「品川神社」は、源頼朝や徳川家康といった歴史上の偉人たちからも深く崇敬された、非常に格式高い神社(東京十社の一つ)です。
1. ご利益
品川神社には三柱の神様(主祭神)が祀られており、それぞれの神徳(しんとく)が合わさることで、「願望成就」「金運・商売繁盛」「厄除け・健康」の強力なご利益があるとされています。
| 御祭神 | 神様の特徴と由来 | 参拝時に祈願するとよいこと |
| 天比理乃咩命 (あめのひりのめのみこと) | 洲崎明神(千葉県館山市)の女神。源頼朝が海上安全を祈って勧請した、品川神社の中心的な存在。 | 【祈願成就・交通安全】 大願成就、旅や通勤の安全、新しい挑戦の成功。 |
| 宇賀之売命 (うがのめのみこと) | 鎌倉時代、国守護職の二階堂氏が勧請したお稲荷様(食物・豊穣の神)。 | 【金運上昇・商売繁盛】 ビジネスの発展、財運アップ、出世開運。 |
| 素盞嗚尊 (すさのおのみこと) | 室町時代、太田道灌が風水害や疫病除けのために勧請した天王様(荒ぶる神)。 | 【厄除け・病気平癒】 厄払い、健康長寿、災害除け、悪縁切り。 |
💡参拝時のポイント
本殿前では**「自分の目標や願い事の成就」をまっすぐに祈り、境内奥にある阿那(あな)稲荷神社の「一粒萬倍(いちりゅうまんばい)の泉」では「金運や商売繁盛」**を願って、お札や硬貨を洗い清める(種銭にする)のが定番の参拝方法です。
2. 歴史と由緒
品川神社の歴史は平安末期から始まり、時代の転換期に変革をもたらした天下人たちと深く結びついています。
- 文治3年(1187年)臨海宿場の守護として創建源頼朝が、源氏の再興への感謝と、これからの海上交通安全・大願成就を祈るため、安房国(現・千葉県南部)の洲崎明神から神様を招いたのが始まりです。
- 慶長5年(1600年)徳川家康の関ヶ原の戦勝祈願徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣する際、品川神社に立ち寄って戦勝を祈願し、見事に天下を分け進む大戦に勝利しました。そのお礼として、家康から「天下一嘗の面(てんかいちじょうのめん)」(仮面)や神輿が奉納されました。この時家康が奏上させた「太々神楽(だいだいかぐら)」は、今も東京の重要文化財として受け継がれています。
- 明治元年(1868年)「准勅祭社」への指定明治天皇が京都から東京へ居を移される際、東京(江戸)を守護する重要な10の神社(准勅祭社、現在の「東京十社」)の一つとして定め、国家の安泰を祈りました。
3. お勧めの参拝時期
いつ訪れても凛とした空気を感じられますが、特に以下の時期は品川神社の歴史やエネルギーを五感で堪能できます。
- 6月上旬:例大祭(品川天王祭)品川神社が最も熱気に包まれる時期です。徳川家康が奉納した神面「天下一嘗の面」を神輿の正面に据え、独特の「品川拍子」という小気味よい太鼓と笛の音に乗せて、急な石階段を神輿が上り下りする姿は圧巻です。
- 春分の日・秋分の日:七つ石鳥居くぐり境内に立つ7つの鳥居を順に巡ってくぐることで、半年の無病息災を祈る特別な神事が行われます(当日限定のお守りも授与されます)。
- 元旦、または「甲子(きのえね)の日」金運をより高めたい場合、東海七福神の大黒天が祀られていることにちなみ、大黒様のご縁日である「甲子の日」の参拝や、元旦の初詣のタイミングが大変おすすめです。
4. 観光としての魅力
品川神社は、京急線「新馬場駅」から徒歩1分という都会の真ん中にありながら、ダイナミックな見どころが凝縮されたワンダーランドのような魅力を持っています。
① 昇り龍と降り龍が目を引く「双龍鳥居」
境内入り口の石階段に立つ鳥居の柱には、左に「天に昇る龍」、右に「天から降りる龍」が緻密に彫刻されています。この双龍鳥居(そうりゅうとりい)は、東京全体でも高円寺や馬橋稲荷神社を含む「東京三鳥居」の3つしか存在しない、非常に珍しく美術的にも価値の高い鳥居です。
② 都内最大級の富士塚「品川富士」
階段の途中から左手に折れると、富士山を模して造られた人工の山「富士塚」があります。標高(高さ)約15メートルと都内でも屈指の規模を誇り、実際にゴツゴツとした岩場を「1合目、2合目…」と登ることができます。頂上からの見晴らしは抜群で、「ここに登れば、実際の富士山に登ったのと同じご利益が得られる」とされています。
③ 板垣退助の墓
境内裏手の墓地には、「板垣死すとも自由は死せず」の名言で知られる明治の政治家・板垣退助の国葬されたお墓があり、歴史ファンにとっても見逃せないスポットとなっています。
主祭神:天比理乃咩命、宇賀之売命、素盞嗚尊
品川神社に祀られている三柱の神様(天比理乃咩命、素盞嗚尊、宇賀之売命)は、それぞれ出自も性格も全く異なる、非常に個性豊かな神々です。
品川神社が「大願成就」「厄除け」「金運」のすべてを網羅する強力なパワースポットと呼ばれる理由は、この三柱の絶妙な組み合わせにあります。それぞれの神様のバックグラウンドや神徳(しんとく)を詳しく紐解いていきましょう。
1. 天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)
〜源頼朝が宿場町に招いた、開運と海上安全の女神〜
品川神社の「一の宮(中心となる神様)」です。全国的にも祀られている神社が少ない、大変希少な女神様です。
- どんな神様? 古代日本の朝廷で祭祀(占い・神事)を司った「忌部(いんべ)氏」の祖神・天太玉命(あめのふとだまのみこと)の后神(妃)とされています。安房国(現在の千葉県南部)を開拓した忌部氏の守護神であり、千葉県館山市の「洲崎神社(洲崎明神)」に祀られている神様です。
- 品川神社との結びつき(史実・由緒) 文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎明神から神領(神社が所有する領地)であった品川へ神様を勧請(お招き)したのが始まりです。当時、挙兵して間もない頼朝が、海上交通の安全と、平家打倒・源氏再興という「人生の大勝負(大願成就)」を祈願するために祀りました。
- 主なご利益 【大願成就、海上安全、交通安全、祈願成就】 海に面した宿場町・品川を見守ってきたことから、現代では航海だけでなく、旅行や通勤・通学の安全、そして頼朝にあやかった「ここ一番の勝負事への勝利」「新しい挑戦の成功」に強い力を貸してくださるとされています。
2. 宇賀之売命(うがのめのみこと)
〜鎌倉の重臣が豊かな社会を願った、食と財を司るお稲荷様〜
いわゆる「お稲荷様」として親しまれている、日本の豊かさと経済を支える大人気の神様です。
- どんな神様? 日本書紀に登場する食物の女神で、古事記では「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」と呼ばれています。名前の「うか」とは穀物や食べ物を意味し、私たちが生きていくために不可欠な「食」を司る神様です。のちに農業だけでなく、商業や産業全般の神様(お稲荷様)として広く信仰されるようになりました。
- 品川神社との結びつき(史実・由緒) 弘安4年(1281年)、鎌倉幕府の重臣であった二階堂氏(国守護職)が、領内の豊穣と繁栄を願って勧請しました。現在も品川神社の境内に佇む「阿那(あな)稲荷神社」として祀られており、その床下には「一粒萬倍(いちりゅうまんばい)の泉」が湧き出ています。
- 主なご利益 【商売繁盛、金運上昇、家内安全、五穀豊穣】 ビジネスの成功や財運アップに絶大なご利益があるとされています。一粒萬倍の泉の水で印鑑やお金を洗い清め、門前のお店などでそれを使うことで、何倍もの福となって戻ってくると言われています。
3. 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
〜太田道灌が疫病退散を祈った、武勇と厄除けの荒神〜
日本神話(古事記・日本書紀)の中でも、一、二を争うほど知名度が高く、ダイナミックな活躍をする男神です。
- どんな神様? 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の鼻から生まれた神様で、太陽の女神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟にあたります。出雲の国で人々を困らせていた怪物「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」を見事な知略と武勇で退治し、世界を救った英雄です。非常に力が強く荒々しい一面(疫病や災害を象徴)を持ちますが、それを鎮めることで「強力な守護神」となります。
- 品川神社との結びつき(史実・由緒) 室町時代の文明10年(1478年)、江戸城を築城したことで有名な武将・太田道灌(おおたどうかん)が、品川周辺を襲った風水害や疫病を鎮めるために勧請しました。これがいわゆる「天王様(てんのうさま)」であり、6月に行われる品川神社の例大祭(品川天王祭)は、この素盞嗚尊を称えるお祭りです。
- 主なご利益 【厄除け、災難除け、病気平癒、悪縁切り】 大蛇を退治した圧倒的な強さから、あらゆる「悪霊、病魔、災い」を打ち払う神様として信仰されています。人間関係のトラブルや不運を断ち切りたいときに参拝すると良いとされています。
💡 三柱の神様への参拝の心構え
品川神社の拝殿(本殿)に向き合ったときは、これら三柱の神様が並んであなたを迎えてくれています。
- まず、天比理乃咩命に「これから挑む仕事や人生の目標(大願)」を誓い、
- 次に、境内奥の宇賀之売命(阿那稲荷)で「日々の生活が豊かになり、ビジネスが繁栄しますように」と祈り、
- 最後に、素盞嗚尊に「それを邪魔する災いや厄を祓ってください」と願う。
このステップを意識して参拝すると、それぞれの神様の個性をより深く感じられ、御神徳をしっかりと受け取ることができるでしょう。
源頼朝
品川神社と源頼朝(みなもとのよりとも)には、単に「頼朝が造った神社」というだけでなく、「頼朝が人生最大の勝負に出たときの、命がけの祈りとお礼」という、ドラマチックな深い結びつきがあります。
1. すべての始まり:挙兵の失敗と、千葉での「女神」との出会い
時計の針を、品川神社が創建される7年前、治承4年(1180年)まで戻します。
平氏を倒すために伊豆(静岡県)で挙兵した頼朝ですが、最初の大きな戦い(石橋山の戦い)で大敗してしまいます。命からがら小舟で海へ逃げ出し、命からがら辿り着いたのが安房国(現在の千葉県南部)でした。
再起をかけて千葉を奔走していた頼朝は、この地域の非常に格式高い一の宮であった「洲崎(すさき)神社」に参拝します。そこで祀られていたのが、のちに品川神社の主祭神となる天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)でした。
頼朝はここで、震える手で次のように強く祈ったとされています。
「どうか私に力を貸し、平氏を討ち果たし、源氏を再興させてください。もし願いが叶ったなら、御社(神社)に広大な領地を寄進します」
2. 文治3年(1187年):願いが叶った頼朝の「お礼」と品川神社創建
その後、歴史が動きます。頼朝は千葉で味方を集めて瞬く間に大軍を率い、鎌倉を本拠地とし、ついに文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしました。
実質的に天下を掴み、武士の頂点に立った頼朝は、あの苦しかった時代に千葉の神様と交わした「約束(誓い)」を忘れていませんでした。
頼朝は、神様への感謝を込めて、自分の支配下となった武蔵国荏原郡品川郷(現在の品川神社がある場所)の広大な土地を、千葉の洲崎神社へ「御厨(みくりや:神社に供物を納める直轄領)」として寄進します。
そして文治3年(1187年)、 「これほど霊験あらたか(ご利益が強い)な女神様なら、これからの関東の発展と、重要な港湾・宿場町になる品川の海上安全のために、この地にもお迎えしてお祀りしよう」 と考え、洲崎神社から天比理乃咩命の御神霊を正式にグラウンド(勧請)して創建したのが、現在の「品川神社」です。
3. なぜ「品川」の地だったのか?
頼朝が鎌倉ではなく、わざわざ東京湾の「品川」に神社を建てたのには、当時の政治・軍事的な深い理由がありました。
- 鎌倉の「東の門番」としての品川 当時の品川は、鎌倉へと続く重要な街道(古東海道)が通り、物資を運ぶ船が行き交う、関東最大の重要拠点(港・宿場町)でした。
- 海上交通の安全と防衛 自分の命を救ってくれた安房(千葉)と、本拠地である鎌倉を結ぶ海のルート上にある品川に、海の守り神でもある天比理乃咩命を祀ることで、「交通の安全」と「国の防衛」を同時に一石二鳥で叶えようとしたのです。
💡 現代に受け継がれる「頼朝のストーリー」と参拝の極意
品川神社の歴史の第1ページを開いたのは、紛れもなく源頼朝です。
頼朝が一度はどん底に落ちながらも、千葉の女神に祈り、そこから奇跡的な大逆転を果たして鎌倉幕府を開いたことから、品川神社の天比理乃咩命は「どん底からの這い上がり」「大願成就」「起死回生」に途方もないパワーを貸してくれる神様として信仰されるようになりました。
もしあなたが、
- 「いま、人生の大きながんばり時を迎えている」
- 「新しいビジネスや挑戦を絶対に成功させたい」
- 「一度失敗したけれど、もう一度這い上がりたい」
そう思うとき、品川神社の拝殿に立ち、かつて源頼朝が千葉の海辺で誓ったように、「自分の決意と目標」をまっすぐに神様へ伝えてみてください。頼朝を天下人へと導いた女神様が、きっとあなたの背中を力強く押してくれるはずです。
徳川家康
品川神社と徳川家康(とくがわいえやす)の間には、「天下分け目の大戦(関ヶ原の戦い)での命がけの戦勝祈願」と、「天下統一を果たした後の、破格の恩返し」という、これまたドラマチックな歴史的エピソードが残されています。
源頼朝が「創建の祖」なら、徳川家康は「現代まで続く品川神社の格式を決定づけた恩人」と言えます。
1. 慶長5年(1600年):天下分け目の関ヶ原へ、家康の「命がけの戦勝祈願」
1600年、日本を二分する「関ヶ原の戦い」が勃発します。
石田三成(西軍)を討つため、本拠地である江戸城(現在の皇居)を出陣した徳川家康(東軍)は、東海道を下る道中、品川の地で足を止めました。当時、品川神社は源頼朝ゆかりの「勝負事に強い東海道の守護神」として名高かったため、家康は戦勝祈願のために参拝したのです。
このとき家康は、ただお祈りをしただけではありませんでした。
神職に「太々神楽(だいだいかぐら)」を奉納させ、必勝を祈りました。そして参拝を終えた家康は、神社の境内にそびえ立つ木々を見上げ、こう言い残して戦地へ向かったと伝えられています。
「この度の戦、もし我が勝利に終わったならば、この境内の木々を使って、必ずや見事な社殿を造営(再建)してお礼参りに戻ってこよう」
2. 破格の恩返し:家康が納めた「天下人の証」
結果はご存知の通り、東軍の大勝利。家康は瞬く間に天下を掌中に収め、1603年に江戸幕府を開きました。
天下人となった家康は、品川神社の神様との約束を忘れていませんでした。彼は戦いでの勝利の感謝(御礼)として、次のような破格の恩返しを実行します。
① 約束通りの「社殿の再建」と「朱印地(しゅいんち)」の寄進
家康は約束通り、境内の木々を伐採させて社殿を立派に再建しました。さらに、徳川幕府の公認として「朱印地(幕府から税金を免除された特別な土地)」を神社に与え、品川神社を国を挙げて守るべき特別な神社へと引き上げました。
② 天下一嘗の面(てんかいちじょうのめん)の奉納
家康が戦勝のお礼として品川神社に奉納した、一風変わったお面(鬼や猛霊の形相をした仮面)です。 「天下一」という名前が付けられたこのお面は、「これを持つ者は、天下をすべて手中に収める(嘗める)」という意味を持つ、まさに天下人・徳川家康を象徴する究極の縁起物です。
3. 現代に生きる「家康の足跡」
家康が品川神社に残した遺産は、400年以上経った現代でも、非常に大切な文化財や伝統行事として受け継がれています。
- 品川天王祭(6月上旬の例大祭)での「御神面神輿」 毎年6月に行われる品川神社の例大祭では、家康が奉納した「天下一嘗の面」を神輿(みこし)の正面にガッチリと取り付け、町を練り歩きます。このお面をつけた神輿は「御神面(ごしんめん)」と呼ばれ、品川天王祭の最大のハイライトとなっています。
- 品川神社太々神楽(しながわじんじゃだいだいかぐら) 家康が出陣の際に奏上させた神楽は、徳川将軍家直系の特別な神事として江戸時代を通じて大切に守られました。現在では、東京都の指定有形文化財(無形民俗文化財)として、今も例大祭などの限られた節目に境内で奉納されています。
💡 現代の参拝に活かす「家康の必勝パワー」
源頼朝が「起死回生(どん底からの復活)」のパワーなら、徳川家康は「ここ一番の大勝負に勝ち、自分の時代を築く(天下統一・大願成就)」という、圧倒的な成功のパワーを品川神社にもたらしました。
もしあなたが、
- 「人生を左右するような、大きくて絶対に負けられない勝負(受験、転職、起業など)を控えている」
- 「いま手掛けているプロジェクトやビジネスを、業界トップへと押し上げたい」
- 「組織のリーダーとして、揺るぎない基盤を作りたい」
そう決意しているなら、品川神社の拝殿で、関ヶ原に向かう家康と同じように「絶対に勝つ」という強い覚悟を胸に手を合わせてみてください。天下分け目の大戦を制し、260年続く泰平の世の基盤を作った家康の強運が、あなたの勝負運を力強く後押ししてくれるはずです。
板垣退助墓所
源頼朝や徳川家康といった武将たちとの深い結びつきを持つ品川神社ですが、境内(社殿の真裏)には明治の大政治家である板垣退助(いたがきたいすけ)の大きなお墓とお馴染みの名言碑がひっそりと佇んでいます。
1. なぜ品川神社にお墓があるのか?(歴史の偶然)
結論から言うと、最初から「神社にお墓を建てた」わけではなく、歴史の変遷による「偶然」が重なった結果、現在の形になりました。
もともとは広大な寺院の墓地だった
江戸時代、品川神社の周辺には「東海寺(とうかいじ)」という、徳川家光が建立した凄まじく広大な仏教寺院がありました。板垣退助のお墓がある場所は、もともとその東海寺の塔頭(たっちゅう:大寺院に所属する個別の小さな寺)の一つである「高源院(こうげんいん)」というお寺の墓地でした。
板垣家はこの高源院を菩提寺(代々のお墓を置くお寺)としていたため、大正8年(1919年)に83歳で亡くなった退助は、この地に埋葬されました。
お寺の移転と、神社の拡大
その後、大正から昭和にかけての区画整理などの影響で、お寺(高源院)自体は世田谷区の烏山へと移転することになりました。その際、他のお墓は一緒に引っ越したのですが、「板垣家の墓所」だけは移動せず、そのまま品川の地に残されることになったのです。
結果として、隣接していた品川神社の敷地が広がるような形で取り込まれ、現代では「品川神社の社殿の裏手に板垣退助の墓がある」という、少し珍しい今のロケーションが誕生しました。
2. 墓所の見どころと「あの有名な名言」
神社本殿の右脇をすり抜け、案内看板に沿ってぐるりと真裏へ回り込むと、緑に囲まれた静かな墓所が現れます。ここには観光・歴史ファンにとって見逃せないポイントがあります。
- 夫婦並んで眠るお墓 墓所には、中央にどっしりと佇む板垣退助のお墓と、その隣に少し小ぶりな絹子夫人の妻のお墓が仲良く並んで建てられています。
- 「板垣死すとも自由は死せず」の碑 お墓のすぐ傍らには、誰もが歴史の教科書で一度は目にしたことがある、あの有名な言葉が刻まれた大きな石碑が立っています。これは明治15年(1882年)、退助が岐阜で演説中に刺客に襲われた(岐阜事件)際に叫んだとされる言葉です。 ちなみに、この碑に彫られた文字は、のちの総理大臣である佐藤栄作氏の筆によるものです。
3. 品川神社が持つ「自由民権のスピリット」
神社という神聖な場所に、日本の近代化と民主主義の礎を築いた「自由民権運動の父」が眠っている。この独特なロケーションは、品川神社に新たな魅力を与えています。
源頼朝の「どん底からの這い上がり」、徳川家康の「天下統一の必勝」という武将たちのエネルギーに加え、板垣退助の「どんな権力や暴力にも屈せず、人々の自由と平等のために生涯を捧げる」という、熱い信念のパワーがこの場所には漂っています。
仕事でのリーダーシップを磨きたいときや、「自分の信念を貫き通したい」という強い決意を固めたいときは、ぜひ本殿への参拝だけでなく、静かな社殿の裏手まで足を伸ばし、板垣退助の熱いスピリットに触れてみてはいずがでしょうか。
摂社・末社
品川神社の境内には、本殿(主祭神)の周りに数多くの摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)が佇んでいます。どれも小さな社殿ですが、それぞれ非常に強力な個性と歴史を持っており、参拝時に「絶対に立ち寄っておくべき有名な境内社」が4つあります。
1. 阿那稲荷神社(あないなりじんじゃ)
〜境内随一の霊地!「金運・一粒万倍」の銭洗いスポット〜
品川神社を訪れたなら、絶対に外せない一番の参拝スポットです。
- 参拝しておいた方がよい理由: 地上にある「上社」と、階段を下りた薄暗い洞窟内にある「下社(霊窟)」の二重構造になっており、境内でもトップクラスのエネルギーを誇ります。下社にある「一粒萬倍(いちりゅうまんばい)の泉」でコインや印鑑を水で洗い清めることで、大きな財運を引き寄せるとされる人気の高い場所です。
- 御祭神:
- 宇賀之売命(うがのめのみこと)[お稲荷様:食物・商売の神]
- 水神(みずがみ)様[命の水を司る神]
- 大徳(だいとく)稲荷神社・八百萬(やおよろず)神社[福徳・縁結びの神]
- ご利益: 【金運上昇・商売繁盛・事業発展・千客万来】 洗い清めたお金(種銭)を地元の品川でお買い物等に使うことで、一粒の種が万倍の実りとなるように、何倍もの福となって自分へ戻ってくると言われています。
2. 品川富士浅間神社(しながわふじせんげんじんじゃ)
〜富士山の神様が祀られる「品川富士」の登山口〜
正面石段の途中、左手にある「都内最大級の富士塚(品川富士)」のふもとに鎮座しています。
- 参拝しておいた方がよい理由: 江戸時代、本物の富士山へ行くことが難しかった庶民のために造られた富士塚(品川富士)と深くセットになっています。この浅間神社に手を合わせ、富士塚の山頂(高さ約15m)まで実際に登りきることで、「本物の富士山に登頂したのと全く同じ、ダイナミックな大開運のご利益」を授かることができるためです。
- 御祭神:
- 木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)[富士山の女神]
- ご利益: 【安産祈願・子宝・女性の美と健康・良縁結び・才能開花】 火の中で無事に出産を果たしたという力強くも美しい女神様であり、女性の守護や、手掛ける仕事・才能を「花開かせる」強い後押しをしてくださいます。
3. 猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
〜迷いを断ち切り、人生の進路を示す「道開きの神」〜
富士浅間神社のすぐ隣、品川富士の登山口付近に佇むお社です。
- 参拝しておいた方がよい理由: かつて東海道の宿場町(品川宿)を行き交う旅人たちが旅の無事を祈った歴史があり、境内にはたくさんの「草鞋(わらじ)」が奉納されています。人生の岐路に立っているときや、富士塚を登る前の「足元の守り」として参拝するのに欠かせないお社です。
- 御祭神:
- 猿田彦神(さるたひこのかみ)[天孫降臨を先導した道開きの神]
- ご利益: 【道開き・交通安全・進路開拓・健脚祈願(足腰の健康)】 物事を良い方向へと先導してくれる神様です。転職や起業、新しい挑戦を始めるときに「進むべき正しい道」へと導き、足腰を丈夫に保つご利益をいただけます。
4. 御嶽神社(みたけじんじゃ)
〜霊山の厳しいエネルギーを宿す、火災・魔除けの守り神〜
富士塚の周辺エリアに、猿田彦神社などと並んで祀られています。
- 参拝しておいた方がよい理由: 関東の霊峰・武蔵御嶽山(青梅市)の山岳信仰を品川の地に引き継ぐお社です。険しい山へなかなか参拝に行けない江戸の庶民が、山の神様の力を授かるために大切に守り続けてきました。本殿の勝負運とはまた異なる「防衛(厄除け・火災除け)」の強力なパワーをいただけます。
- 御祭神:
- 日本武尊(やまとたけるのみこと)[日本神話屈指の武勇の英雄]
- ご利益: 【火災除け(火伏せ)・盗難除け・魔除け・厄除け・武運長久】 火難や数々の危機を乗り越えた英雄であることから、家や会社を災い・火事・不審者から守り、勝負所での「勝ち運」を授けてくださいます。
💡 参拝のおすすめおすすめルート
品川神社をくまなく巡り、ご利益を最大限に受け取るためのベストルートです。
- 一の鳥居(双龍鳥居)をくぐり、石段を上る。
- 途中の左手で「猿田彦神社」に参拝し、道中と足元の安全を祈る。
- 隣の「品川富士浅間神社」に参拝し、「品川富士」の山頂へ登登・下山する。
- そのまま並びにある「御嶽神社」で厄除け・火災除けを祈る。
- 石段を登りきり、「本殿(拝殿)」で主祭神(源頼朝・徳川家康ゆかりの神々)に大願成就を祈る。
- 本殿の右手奥へ進み、「阿那稲荷神社」の地上(上社)と霊窟(下社)へ参拝し、一粒萬倍の泉で銭洗いを行う。
- 本殿の真裏に回って「板垣退助の墓」や「祖霊社」に立ち寄り、先人たちへ感謝を伝える。
この流れで境内社を巡ることで、品川神社が持つ「勝負運」「道開き」「開運富士」「金運循環」のすべてのパワーを完璧に体感することができます。













庖丁塚



冨士浅間神社










