【氷川神社・赤坂】⛩️勝海舟につながった東京十社巡り

赤坂氷川神社

東京十社巡りの一つとして、今回訪れたのは「赤坂氷川神社」。
東京メトロの「赤坂」駅から、いつものようにGoogle Mapを頼りに歩いて向かいます。

ところで「赤坂氷川神社」という名前なので、境内にも当然そう書かれていると思っていたのですが、実際に訪れてみると目に入るのは、「氷川神社」の文字。
どうやら「赤坂」は、各地にある他の氷川神社と区別するために付けられている呼び名のようです。

そして今回も、現地を歩いたからこそ知ることになる思わぬ歴史との出会いがありました。
赤坂駅からGoogle Mapを見ながら歩いている途中、気になる文字が目に入りました。
「勝海舟邸跡」
赤坂氷川神社へ向かっていたはずが、突然ここで幕末の大物が登場です。
勝海舟といえば、やはり思い浮かぶのは江戸城無血開城。
西郷隆盛との会談によって江戸での大規模な戦闘を回避し、江戸の町を戦火から救った人物として知られています。
調べてみると、勝海舟は赤坂に住み、晩年をこの地で過ごしていました。
これは知りませんでした。
歴史上の人物については、どうしても教科書に登場する「大事件」とセットで覚えています。
しかし、勝海舟も江戸城無血開城を成し遂げて、そのまま歴史の教科書から消えていったわけではありません。
その勝海舟が晩年を過ごした場所の一つが、ここ赤坂だった。
実際にその場所に立ってみると、急に勝海舟が「歴史上の人物」から「この辺りで生活していた人」に変わったように感じます。

そんな思わぬ発見をしながら、目的地の赤坂氷川神社へ。
静かな境内を歩いていると、ここでさらに勝海舟とのつながりが出てきます。
どうやら赤坂で暮らしていた勝海舟にとって、赤坂氷川神社周辺は散歩コースの一つだったようです。
先ほどまで、「勝海舟が赤坂に住んでいたのか!」と驚いていたところなのに、今度は、「この神社にも来ていたのか!」となりました。

さらに境内には、面白い名前の神社があります。
「四合(しあわせ)稲荷神社」です。
「四合」で「しあわせ」。
なかなか縁起の良い名前です。
そして、この名前を付けた人物が――勝海舟。
ここでもまた登場しました。

四合稲荷は複数の稲荷社を合祀したことに由来し、その「四社を合わせる」ことから「四合(しあわせ)」と名付けたと伝わります。
勝海舟というと、幕末の難局を乗り切った政治家・軍人という硬いイメージがありますが、「四合」と書いて「しあわせ」。
こんな洒落の利いた名前を付けていたと知ると、少し人物像が身近に感じられます。

今回の目的は、あくまで東京十社巡りで赤坂氷川神社を参拝することでしたが、気がつけば勝海舟巡りのようになっていました。
こういうことがあるから、実際に現地を歩くのは面白い。
今回もまた、現地を訪れなければ知らないままだった事実に出会うことができました。

赤坂氷川神社

【住所】〒107-0052 東京都港区赤坂6丁目10−12

【主祭神】素盞嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命
【正式名称】氷川神社
【創建】天暦5年(951年)

【Wikipedia】

※Gemini による解説

赤坂の都市部にありながら豊かな緑に囲まれた赤坂氷川神社は、徳川八代将軍・吉宗公ゆかりの社殿を今に残す江戸の歴史を深く宿した神社です。

祭神とご利益

赤坂氷川神社には、神話において強い絆で結ばれた三柱の神様が祀られています。

  • 素盞嗚尊(すさのおのみこと):ヤマタノオロチを退治した英雄神。
  • 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと):素盞嗚尊の妃神(妻)。
  • 大己貴命(おおなむちのみこと):二神の子孫であり、出雲大社の神様として知られる「大国主命(おおくにぬしのみこと)」。

主なご利益と祈願内容

  • 良縁祈願・縁結び:災厄を払って固い絆で結ばれた素盞嗚尊と奇稲田姫命の夫婦神、そして出雲の縁結びの神である大己貴命が揃っているため、恋愛・結婚・対人関係の良縁を結ぶご利益が顕著です。
  • 厄除け・家内安全:荒ぶる神としてヤマタノオロチを退治した素盞嗚尊の神威により、邪気払いや災難除け、家内安全のご加護を受けることができます。
  • 商売繁盛:大己貴命(大黒様)は国造りの神であり、事業繁栄や人脈・ビジネスの縁をもたらすとされています。

歴史と由緒

  • 創建(天暦3年・949年):武蔵国豊島郡一ツ木村(現在の赤坂4丁目付近)の老人に蓮の池から氷川明神の神託があり、お祀りしたのが始まりと伝えられます。
  • 幕府からの崇敬と遷座(享保15年・1730年):徳川八代将軍・吉宗公が将軍職を継承するにあたり、自らの産土神(産土様)であったことから建立を命じ、現在の地に社殿を新築して移し祀りました。
  • 奇跡的な奇跡の生存(安政大地震・関東大震災・東京空襲):安政の大地震や関東大震災、第二次世界大戦の東京大空襲の被害を奇跡的に免れました。吉宗公が建立した当時の総漆塗りの社殿(東京都指定有形文化財)が、そのまま現代に残されています。

お勧めの参拝時期

時期見どころ・行事
9月中旬(例大祭):江戸時代の粋を今に伝える例大祭が開催されます。江戸型山車(えどがただし)の巡行や神輿渡行が行われ、境内に大きな活気が戻ります。
11月下旬〜12月上旬:樹齢400年を超える大イチョウが黄金色に染まり、境内全体が非常に幻想的な雰囲気に包まれます。
毎月15日(縁むすび参り):月次祭に合わせて行われる限定祈祷(要予約)で、参拝者に授与される「さくらんぼ結び」やお守りが人気を集めています。

観光としての魅力

  1. 都心に現れる広大な鎮守の森:六本木や赤坂のビル群の中に位置しながら、境内は深い緑で覆われており、歴史ある狛犬や鳥居(江戸時代建設のものを含む)が佇む静寂な空間が広がっています。
  2. 江戸の文化財「江戸型山車」:江戸時代の祭礼で曳き回された貴重な江戸型山車や、巨大な人形が保存・展示されています。
  3. 洗練された授与品と神事:厄を払う「やかん鈴」や、境内のイチョウモチーフのお守りなど、デザイン性豊かな授与品や朱印を取り揃えています。

主祭神:素盞嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命

赤坂氷川神社にお祀りされている三柱の神様——素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)、そして大己貴命(おおなむちのみこと)は、単に有名な神様が集まっているだけではなく、「ひとつの神話の物語(血縁と絆)」で固く結ばれているのが大きな特徴です。

1. 神々の関係性(家系と神話)

三柱は「夫婦」と「その子孫」という深い家族関係にあります。

素盞嗚尊(夫) = 奇稲田姫命(妻)
      │
   (何代かのち)
      │
大己貴命(子孫/大国主命)
  • 素盞嗚尊(すさのおのみこと)天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟神。力強く荒々しい性質を持ち、災厄や邪気を払う英雄神です。
  • 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)稲穂・豊穣の神であり、気品ある女神です。
  • 大己貴命(おおなむちのみこと)素盞嗚尊と奇稲田姫命の直系の子孫であり、一般には大国主命(おおくにぬしのみこと/大黒様)として親しまれています。
2. 神話に見るストーリーと「縁結び・厄除け」の由来

なぜこの三柱が揃うと強力な「縁結び」「厄除け」のご利益があるのかは、日本の『古事記』『日本書紀』に登場する超有名なエピソードに由来します。

① 奇跡の出会いとヤマタノオロチ退治(素盞嗚尊 × 奇稲田姫命)

出雲の国に降臨した素盞嗚尊は、八つの頭を持つ大蛇「ヤマタノオロチ」の生贄にされそうになっていた奇稲田姫命と出会います。

素盞嗚尊は彼女を救うために見事大蛇を退治し、二人は結ばれて夫婦となりました。

  • 厄除け:大蛇(災厄・邪気)を打ち払った力から。
  • 夫婦円満・縁結び:試練を乗り越えて深い愛で結ばれたことから、日本最古の「ピンチをチャンスに変えたハッピーエンドの夫婦」として尊ばれています。
② 国造りと人々の「良縁」を結ぶ(大己貴命)

両神の血を引く大己貴命は、試練を乗り越えて日本列島の国造りを成し遂げました。

後に国土を譲った(国譲り)際、「目に見える世界(現実政治)」は天皇家へ預け、自らは「目に見えない世界(神事・縁)」を治めることになりました(これが現在の出雲大社です)。

  • あらゆるご縁を結ぶ:男女の縁だけでなく、ビジネス、仕事、友人、人脈など「人間社会のあらゆる良い繋がり」を結ぶ神様として君臨しています。
3. 赤坂氷川神社との深いつながり
なぜ「氷川」なのか?

「氷川(ひかわ)」という名称は、素盞嗚尊がヤマタノオロチを退治した出雲国の「簸川(ひかわ:現在の島根県・斐伊川)」に由来します。

氷川神社はもともと埼玉県の大宮(武蔵一宮 氷川神社)を中心とする関東独特の神社ネットワークであり、その多くがこの出雲神話の三柱をお祀りしています。

赤坂氷川神社ならではの象徴的意味

赤坂氷川神社では、この三柱が一緒に鎮座していることから以下の象徴的な意味を持っています。

  1. 家族・一族が揃う最強の「縁結び」神社「困難を祓う夫(素盞嗚尊)」+「守られる妻(奇稲田姫命)」+「良縁を広げる子供(大己貴命)」というファミリー(絆)が完璧に揃っているため、単なる恋愛成就にとどまらず、「結婚」「家内安全」「子孫繁栄」「仕事の人間関係の円満」まで、人生の全般的な縁を結び固めてくれる場所とされています。
  2. 「御櫛預け(みくしあずけ)の儀」に受け継がれる神話素盞嗚尊が大蛇退治に向かう際、奇稲田姫命の姿を「湯津爪櫛(ゆつつまぐし)」という櫛に変身させて自分の髪に挿し、一体となって戦ったという伝承があります。赤坂氷川神社の神前結婚式では、新婦から新郎へ櫛を預ける「御櫛預けの儀」という独自の儀式が行われており、神話の絆が現代の神事にもそのまま息づいています。

この三柱の神様は、「災い(ヤマタノオロチ)を祓い、良縁(夫婦の愛・人との繋がり)を育て、繁栄へと導いてくれる最強のチームワークを持った神様たち」であり、その力が集中している場所こそが赤坂氷川神社なのです。

東京十社

赤坂氷川神社は、明治天皇が定められた「東京十社(とうきょうじっしゃ)」のうちの一社です。

1. 東京十社(准勅祭社)とは?

明治元年(1868年)、明治天皇が京都から東京(江戸)へお遷り(都を遷す「東京鎮座」)になられた際、「東京の街の平安と繁栄(皇城鎮護・都の守護)」を祈願するために定められた、特に格式が高い10の神社です。

もともとは「准勅祭社(じゅんちょくさいしゃ)」と呼ばれ、国家の重要行事の際に皇室からの使者(勅使)が遣わされる神社に准ずる最高位の格式が与えられました。

昭和50年(1975年)、昭和天皇の即位50年を記念して、この10社を巡る「東京十社めぐり」として観光や参拝文化の形で広く親しまれるようになりました。

2. 赤坂氷川神社が東京十社に選ばれた理由

東京十社に選ばれた神社は、いずれも古くから徳川将軍家や江戸の庶民から深く信仰され、東京の主要な方角や拠点を護る由緒ある神社ばかりです。

赤坂氷川神社が選ばれた背景には、以下の理由があります。

  • 徳川将軍家(八代・吉宗公)ゆかりの強い格式:徳川吉宗公が将軍就任に際して建立した現存社殿を有し、江戸幕府から特別に手厚く崇敬された歴史があります。
  • 都心の西(赤坂・皇居周辺)を護る要衝:江戸城(現在の皇居)の西側に位置し、江戸の街や武家屋敷が集まる赤坂の地を護る重要な守護神(鎮守)としての役割を果たしていました。
  • 戦災を免れた奇跡の歴史的価値:関東大震災や東京空襲でも社殿が焼失せず、江戸時代の建造物と森がそのまま残っている稀有な神社である点も、東京を代表する神社としての格を示しています。
3. 東京十社巡りにおける赤坂氷川神社の楽しみ方

「東京十社巡り」を楽しむ参拝者にとって、赤坂氷川神社は人気の高い立ち寄りスポットとなっています。

  • 絵馬とミニ絵馬(十社巡り専用):十社巡りでは、各神社で集める木製の「絵馬」や「木札」が用意されています。赤坂氷川神社でも十社巡り用の授与品が受けられます。
  • 都会の喧騒を忘れる緑の参道:ビル群が立ち並ぶ港区・赤坂の中にありながら、十社の中でも屈指の豊かな鎮守の森と静寂が保たれており、参拝者に強い癒やしを与えています。

赤坂氷川神社は、古くは「江戸の都を守る重要な社」であり、現代においては「東京の歴史と伝統を現代に伝える東京十社の一角」として、今も多くの人々に親しまれ続けています。

勝海舟

赤坂氷川神社と幕末・明治の偉人である勝海舟(かつ かいしゅう)は、切っても切れない非常に深い縁で結ばれています。

1. 晩年の生活拠点と氏神(うじがみ)としての関係

幕末に江戸城無血開城を成し遂げた勝海舟は、明治維新後の明治5年(1872年)から明治32年(1899年)に77歳で亡くなるまでの約27年間、赤坂の地(現在の赤坂6丁目付近)で暮らしていました。

赤坂氷川神社は、海舟の邸跡(勝海舟邸跡・勝安芳邸跡)から徒歩数分という目と鼻の先に位置しており、海舟にとって赤坂氷川神社は日常的に親しむ自らの氏神様でした。境内は海舟の散歩コースでもあったと伝えられています。

2. 名霊の命名:「四合稲荷神社(しあわせいなりじんじゃ)」

海舟と赤坂氷川神社の関係で最も有名かつ歴史的逸話として残っているのが、境内社である「四合(しあわせ)稲荷」の命名です。

  • 経緯:明治31年(1898年)、神社周辺に散在していた4つの稲荷社(古呂故稲荷・地頭稲荷・本氷川稲荷・玉川稲荷)を氷川神社の境内に一つにまとめて合祀することになりました。
  • 海舟の意図:近所に住む氏子であり一目置かれていた海舟に相談が持ちかけられた際、海舟は「4つの社が合わさる」ことと、人々への祝意を込めて「四合」と書いて「しあわせ」と読む素晴らしい名前を授けました。
  • 直筆の額:現在も境内には、勝海舟が書いた「四合稲荷社」の直筆額の写しなどが伝わっており、今なお「しあわせを呼ぶパワースポット」として多くの人に親しまれています。
3. 氷川の地で紡がれた歴史(坂本龍馬との出会い)

勝海舟が赤坂氷川の地に居住していた時期は、日本の歴史が大きく動いた時期と重なります。

  • 坂本龍馬との師弟関係:文久2年(1862年)、坂本龍馬が勝海舟を斬るつもりで訪れ、逆に海舟のスケールの大きな世界観・開国論に感銘を受けて弟子入りしたという有名なエピソードがあります。この歴史的対面が行われた海舟の旧邸も、赤坂氷川神社からほど近い場所にありました(※現在の赤坂氷川神社と目黒電波ビル周辺)。
  • 勝海舟の晩年と氷川:海舟の没後にまとめられた談話集のタイトルも『氷川清話(ひかわせいわ)』と名付けられており、「氷川」という地名・言葉自体が勝海舟の代名詞となっています。
まとめ

赤坂氷川神社にとって勝海舟は、「地域を見守り、神社に『四合(しあわせ)』という幸福の言葉を残してくれた、最もゆかりの深い名誉ある氏子」といえます。

神社を参拝する際は、本殿へのお参りとあわせて、海舟が名付けた「四合稲荷神社」や、周辺に点在する海舟ゆかりの史跡(勝海舟邸跡の案内板など)を巡ると、幕末から明治の歴史の息吹をより深く感じることができます。

摂社・末社

赤坂氷川神社の境内には、本社(本殿)に劣らず魅力的で歴史的に深い意味を持つ摂社・末社(境内社)が鎮座しています。

参拝する際に特に押さえておくべき代表的な神社と、それぞれの御祭神・ご利益・おすすめする理由をわかりやすく解説します。

1. 四合稲荷神社(しあわせいなりじんじゃ)

境内の中で最も有名で、絶対に参拝しておきたい筆頭の境内社です。

基本情報
  • 御祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ/お稲荷様)など
  • ご利益:開運招福、良縁成就、商売繁盛、家内安全
参拝すべき理由と歴史的背景
  • 勝海舟が名付けた由緒 明治31年(1898年)、近隣にあった4つの稲荷神社(古呂故稲荷・地頭稲荷・本氷川稲荷・玉川稲荷)を合祀する際、近所に住んでいた幕末の英傑・勝海舟によって「四合稲荷」と名付けられました。
  • 「四合=合わさって幸福(しあわせ)を呼ぶ」という吉兆 4つの社が合わさったことと、「四合」を「しあわせ(幸福)」と掛け合わせた粋な命名で、非常に縁起が良いパワースポットとして親しまれています。(※現在はさらに鈴降稲荷・縁結稲荷・明神稲荷が合祀され、計7社の神様がお祀りされています)
2. 桶川稲荷神社(おけがわいなりじんじゃ)

本殿脇の奥まった静かな場所に鎮座する、知る人ぞ知る由緒あるお稲荷様です。

基本情報
  • 御祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
  • ご利益:商売繁盛、旅の安全、交通安全、開運
参拝すべき理由と歴史的背景
  • 江戸時代の旅人や商人が祈願した「旅の安全」 もともとは中山道の宿場町(現在の埼玉県桶川市付近)にあった稲荷神社から勧請されたと伝えられています。江戸時代、旅立つ人々や商人が道のりの無事を祈願した歴史があり、「旅路の安全」や「遠方との良い商売の縁」を結んでくれるとされています。
3. 山口稲荷神社(やまぐちいなりじんじゃ)

赤坂の地主神的な雰囲気を醸し出す稲荷神社です。

基本情報
  • 御祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
  • ご利益:地域繁栄、商売繁盛、五穀豊穣
参拝すべき理由と歴史的背景
  • 土地を守り続けてきた歴史 赤坂の旧家や地元の関係者によって大切に守られてきた社であり、赤坂という地域の発展を見守り続けてきた存在です。地元に根ざした事業や仕事の成功、地域の良縁を祈るのに最適な場所です。
4. 九戸稲荷神社(くのへいなりじんじゃ)

境内の落ち着いた空間に佇む稲荷社です。

基本情報
  • 御祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
  • ご利益:商売繁盛、厄除け、諸願成就
参拝すべき理由と歴史的背景
  • 武家ゆかりの武運・勝運祈願 東北地方の九戸(現在の岩手県周辺)に由来を持つとされる説や、武家屋敷の屋敷神として祀られていた伝承があり、仕事での勝負運や災難回避・厄除けのお参りとしても好まれています。
おすすめの参拝順路と心得
  1. まずは本殿へお参り 本社の主祭神(素盞嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命)へ挨拶をして感謝と祈りを捧げます。
  2. 「四合稲荷神社」へお参り 境内社の中で最も格式・話題性が高いため、勝海舟の「しあわせ」の言葉に想いを馳せながら、良縁や開運を祈願しましょう。
  3. 周辺の稲荷社(桶川・山口・九戸)へ周回 静かな森の空気を感じながら、それぞれの神様へお参りすることで、より深みのあるご祈願が叶います。

赤坂氷川神社を訪れた際は、ぜひ境内の奥まで足を伸ばし、勝海舟ゆかりの「四合(しあわせ)稲荷」をはじめとする摂社・末社にも参拝してみてください。

四合稲荷
最寄り駅>>東京メトロ 赤坂駅

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