【東京大神宮・千代田区】⛩️ 意外な歴史!|ここは大隈重信の邸宅跡だった?😲

東京大神宮

「神宮」といえば正式には伊勢神宮のことを指しますが、東京で神宮と聞くと、明治神宮を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
しかし、東京にはもう一つ、気になる「神宮」があります。「東京大神宮」です。
そして今回も、実際に訪れてみると、思いがけない歴史との出会いがありました。

東京大神宮は、「東京のお伊勢さま」として親しまれている神社です。
御祭神には、伊勢神宮と同じく、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、豊受大神(とようけのおおかみ)が祀られています。
その伊勢神宮を東京にいながら遥拝できるようにと創建されたのが、東京大神宮の始まりです。

ところが、今回驚いたのは御祭神のことではありません。
東京大神宮の歴史を知るうちに、思いがけない人物の名前が出てきました。
「大隈重信」
大隈重信といえば、佐賀藩出身で内閣総理大臣を2度務めた人物。そして何より、早稲田大学の創設者としても有名です。
その大隈重信の邸宅が、かつて東京大神宮の現在地にあったというのです。
これは知りませんでした。

東京大神宮は、最初から現在の飯田橋にあったわけではありません。
もともとは日比谷に創建され、関東大震災で被災した後、現在の場所へ移転しました。
そして、その移転先が大隈重信の旧邸宅跡地だったとされています。
何とも不思議な巡り合わせです。
大隈重信が暮らした場所に、今では伊勢神宮ゆかりの神様が祀られ、多くの参拝者が訪れている。
土地というのは、時代によって本当に役割が変わるものですね。

ここで、乃木神社を思い出しました。
乃木神社には、明治時代の軍人・乃木希典と静子夫人が祀られています。
歴史上の人物が神様として祀られ、その名前が神社の名前になっているわけです。
一方、大隈重信は総理大臣を2度務め、早稲田大学を創設した人物。
ところが、大隈重信の邸宅跡地は、「大隈神社」ではなく「東京大神宮」。
もちろん、歴史上の偉人が暮らしていた場所だからといって、その人物を祀る神社になるわけではありません。
乃木神社と東京大神宮では、創建の経緯もまったく異なります。
それでも、以前訪れた乃木神社と比較すると、何とも面白いものです。
同じ明治時代の著名人にゆかりのある土地でも、その後の歴史はまったく違う。
一方は人物を祀る神社となり、もう一方は伊勢の神様を祀る神社になった。
歴史の巡り合わせとは、不思議なものです。

ちなみに、東京大神宮は縁結びの神社としても知られています。
伊勢神宮ゆかりの神様を祀るだけでなく、結びの働きを司る造化の三神も祀られていることから、良縁を願う参拝者が多く訪れています。
かつては明治の政治家・大隈重信の邸宅があった場所。
それが今では、多くの人が良縁を願って訪れる神社になっている。
大隈重信も、自分の邸宅が将来このような場所になるとは、想像していなかったのではないでしょうか。

今回もまた、神社を訪れたことで、思いがけない歴史を知ることになりました。
東京大神宮といえば、「東京のお伊勢さま」。そして、「縁結びの神社」というイメージが強いかもしれません。
しかし、その土地の歴史をたどっていくと、明治時代の大政治家・大隈重信につながっていました。
東京の街を歩いていると、幕末から明治にかけて活躍した人物が次々と登場します。

神社には神様に会いに行っているはずなのに、明治の偉人にも次々と出会いますね。😂

東京大神宮

【住所】〒102-0071 東京都千代田区富士見2丁目4−1

【主祭神】天照皇大神、豊受大神、天之御中主神、高御産巢日神、神産巢日神(造化の三神)、倭比賈命(天照皇大神の御杖代 第十一代垂仁天皇皇女)

【創建】明治13年(1880年)4月17日

【Wikipedia】

※Gemini による解説

1. ご利益

東京大神宮は「東京のお伊勢さま」と称され、伊勢神宮の神々をはじめとする強力な神様が祀られています。

  • 主な祭神とご利益
    • 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ):伊勢神宮内宮の祭神であり、日本の総氏神です。
    • 豊受大神(とようけのおおかみ):伊勢神宮外宮の祭神であり、衣食住や産業の神様です。
    • 造化の三神(天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神):天地万物の生成化育(物事を生み出し、育て、結びつける力)を司る神々です。
    • 倭比賣命(やまとひめのみこと):天照皇大神の御杖代として伊勢の地に神宮を定められた皇女です。
  • 参拝時のポイントとおすすめのお願い
    • 造化の三神が「万物の結び」を司ることから、「縁結び」や「恋愛成就」のご利益が特に有名で、全国から多くの参拝者が訪れます。
    • 恋愛だけでなく、仕事の良縁、友人関係、商売繁昌、家内安全など、「人生におけるあらゆる良いご縁を結んでほしい」と願うのが最適です。

2. 歴史(創建の時期・由緒・史実に基づいた出来事)

  • 創建の経緯
    • 明治13年(1880年)、当時東京府内にあった有楽町(大隈重信邸跡)に、伊勢神宮の遥拝殿(遠く離れた場所から伊勢神宮を拝むための場所)として創建されました。当初は「日比谷大神宮」と呼ばれていました。
  • 現在の場所への移転
    • 大正12年(1923年)の関東大震災で被災しましたが、昭和3年(1928年)に現在の千代田区富士見へと移転し、戦後に「東京大神宮」と社名を改めました。
  • 神前結婚式の発祥
    • 史実における最も大きな特徴は、日本で初めて「神前結婚式」を行った神社であるということです。明治33年(1900年)に行われた、のちの大正天皇の御結婚の礼に倣い、一般の人々に向けて神社の神前で行う婚礼儀式を創始しました。これが現在の日本の神前式のスタンダードとなりました。

3. お勧めの参拝時期

  • 平日の午前中や、季節の変わり目
    • 都内屈指の縁結びスポットであるため、土日祝日や日中は大変混雑します。じっくりとお参りしたい場合は、平日の午前中や夕方の静かな時間帯がおすすめです。
  • 四季折々の景観が楽しめる時期
    • 境内には桜や梅の木、新緑、秋の紅葉など、都会にありながら四季の自然を感じられる木々が植えられています。特に春の桜の季節や、初詣、新緑の季節は社殿の佇まいが一層引き立ちます。

4. 観光としての魅力

  • 都会のオアシスのような洗練された境内
    • オフィス街の一角にひっそりと佇んでおり、一歩足を踏み入れると静かで厳かな空気が流れています。ヒノキ造りの美しい神明造の社殿は見る人を魅了します。
  • 「ハート型」の隠れモチーフ(猪目)
    • 社殿の装飾などに、古くから伝わる伝統的な建築装飾「猪目(いのめ)」というイノシシの目をかたどった文様があります。これが綺麗なハート型に似ているため、探して写真を撮るのも密かな楽しみとなっています。
  • 多彩で可愛らしいお守り・おみくじ
    • 可憐な鈴蘭(すずらん)をモチーフにした「縁結び鈴蘭守」や、お花の香りがする「縁結びみくじ」「恋みくじ」など、女性の心をくすぐる授与品が充実しており、これを目当てに訪れる観光客も多くいます。
  • 境内社「飯富稲荷神社(いいとみいなりじんじゃ)」
    • 衣食住や商売繁昌の神様だけでなく、昭和の名優・九代目市川団十郎が篤く信仰したことから芸能・芸術の神様としても知られています。あわせて参拝することで、より深い東京の歴史や文化に触れることができます。

主祭神: 天照皇大神、豊受大神、天之御中主神、高御産巢日神、神産巢日神(造化の三神)、倭比賈命(天照皇大神の御杖代 第十一代垂仁天皇皇女)

1. 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
  • 神様としての位置づけ:日本の最高神であり、皇室の祖神(ご先祖様)とされる太陽の神様です。伊勢神宮の内宮(ないくう)にお祀りされています。
  • 神話におけるエピソード:神話では、弟である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴な振る舞いに怒り and 悲しみ、「天の岩戸(あめのいわと)」という洞窟に隠れてしまいました。その結果、世界が闇に包まれ大混乱に陥りましたが、他の神々の知恵によって再び外に出てきてくれたことで、世界に光と平和が戻りました。
  • 東京大神宮における意味:日本全体の総氏神であり、すべての日本人の源を照らす神様として、中心的な存在として祀られています。
2. 豊受大神(とようけのおおかみ)
  • 神様としての位置づけ:衣食住や、すべての産業(農業・漁業・商工業など)の繁栄を司る神様です。伊勢神宮の外宮(げくう)にお祀りされています。
  • 神話・由緒におけるエピソード:元々は丹後国(現在の京都府北部)にお鎮まりでしたが、天照皇大神が「一柱だけでは食事を安らかにいただくことができないので、豊受大神を近くに呼び寄せなさい」とお告げになったため、伊勢の山田原へと迎えられました。今でも内宮の神様に毎日の食事を供える「日別朝夕大御饌(ひびとしゅうゆうおおみけ)の儀」という神事が、外宮の神職によって絶やさず行われています。
  • 東京大神宮における意味:私たちが日々暮らしていくための豊かさや、生活の基盤を守り、育んでくださる神様です。
3. 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
  • 神様としての位置づけ:宇宙の根源そのもの、または最初に現れた「最高位の神様」です。『古事記』の冒頭、天地が初めて分かれたとき(天地開闢)に、高天原(たかまがはら)に一番最初に単独で出現しました。
  • 神話におけるエピソード:一番最初に現れたものの、具体的な活動の描写がほとんどなく、のちに身を隠してしまう「造化の三神」の筆頭です。形のない、しかし宇宙のすべてを包み込む絶対的な存在として捉えられています。
  • 東京大神宮における意味:万物の始まりをつかさどる神であり、次に紹介する高御産巣日神・神産巣日神とともに、物事を新しく生み出し、結びつける根源的なエネルギーを与えてくれます。
4. 高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
  • 神様としての位置づけ:天之御中主神の次に現れた、ものすごい「生産・創造の力」を持った神様です。「ムスヒ」とは、生命や物事を「結び、生み出す」力を意味します。
  • 神話におけるエピソード:国生みや神々の子孫繁栄、さらには天孫降臨(ニニギノミコトが地上へ降りる神話)の際にも中心的になって采配を振るうなど、神話の裏のキーパーソンとして非常に重要な役割を果たしています。
  • 東京大神宮における意味:エネルギーや生命力を盛んにし、あらゆる物事を成し遂げるための「結びの力」を授けてくれる神様です。
5. 神産巢日神(かみむすひのかみ)
  • 神様としての位置づけ:高御産巣日神と対をなすように現れた、同じく「生産・創造の力」を持った神様です。
  • 神話におけるエピソード:大国主命(おおくにぬしのみこと)が意地悪な兄弟神にいじめられて命を落としたとき、この神様の母神や使いたちが蘇生術を用いて大国主命を生き返らせたという、「命を救い、再生させる」重要なエピソードを持っています。
  • 東京大神宮における意味:失くしたものを取り戻す力、新たな命やご縁を育む力を司り、あたたかく育てる「母なる創造のエネルギー」を象徴しています。

※「造化の三神(ぞうかのさんしん)」について 上記の「天之御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」の3柱をまとめてこう呼びます。形のない宇宙の始まりから「物事を生み出し、育て、結びつける」という究極の根源パワーを持つため、東京大神宮において「強力な縁結び(人と人、運命と人を結ぶ)の御利益」の根拠となっている神々です。

6. 倭比賣命(やまとひめのみこと)
  • 神様としての位置づけ:第11代・垂仁天皇(すい仁天皇)の皇女(娘)であり、天照皇大神の「御杖代(みつえしろ=神様の御心を代弁し、お世話をする巫女)」です。
  • 歴史・神話におけるエピソード:それまで皇居内で祀られていた天照皇大神を、どこにお祀りすべきか適切な場所を探すため、何十年もの間、日本各地(近江や美濃など)を旅しました。最終的に神様のお告げを受けてたどり着いたのが、現在の三重県伊勢の地であり、そこに伊勢神宮(内宮)を創建した伝説の人物です。
  • 東京大神宮における意味:私たちが今、伊勢神宮や東京大神宮でお参りできるように「神様のお鎮まりになる場所」を定めてくれた、いわば神都・伊勢の生みの親とも言える存在として大切に祀られています。

このように、東京大神宮には「日本の最高神」と「生活の神様」に加え、「宇宙の始まりからすべてを結びつける最強の創造神(造化の三神)」、そして「伊勢神宮の礎を築いた皇女」が揃って祀られています。だからこそ、ただのお参りにとどまらず、人生の大きな転換期や良縁を願う場所として特別な意味を持っています。

大隈重信邸跡

東京大神宮と政治家・大隈重信の間には、「東京大神宮の最初の鎮座地(発祥の地)が、かつての大隈重信の邸宅跡であった」という非常に深い歴史的なつながりがあります。

1. 創設時の場所が「大隈重信邸跡」だった

東京大神宮は、明治13年(1880年)4月17日に「皇大神宮遙拝殿(こうたいじんぐうようはいでん)」として創建されました。 この時、神殿が建てられた場所が、現在の千代田区有楽町・日比谷のエリアにあたる「大隈重信の邸宅跡(旧大隈邸)」でした。当時は「日比谷大神宮」と呼ばれていました。

2. なぜ大隈重信の邸宅跡地に建てられたのか?

明治時代初期、東京に暮らす人々が伊勢神宮(三重県)へお参りするのは、交通手段が発達していなかった当時、非常に大がかりで困難な旅でした。そのため、東京でも気軽に伊勢神宮の神様を拝むことができる場所(遙拝殿)を求める声が高まりました。

その国家的・神道的な一大プロジェクトの敷地として選ばれたのが、当時、政府の要人であった大隈重信が所有していた広大な邸宅の敷地(あるいはその跡地)でした。

3. その後の変遷(現在地への移転)

大隈邸跡地に誕生した「日比谷大神宮」ですが、その後は以下のような歴史をたどります。

  • 大正12年(1923年):関東大震災によって、日比谷にあった社殿が被災・焼失してしまいます。
  • 昭和3年(1928年):現在地である東京都千代田区富士見(飯田橋駅の近く)へと移転・再建され、戦後に「東京大神宮」へと改称されました。

そのため、現在東京大神宮があるのは飯田橋ですが、明治時代の産声をあげた「最初のルーツの地」が、大隈重信の邸宅跡だったということになります。

まとめ

大隈重信自身が神職であったり神社を創建した主導者だったわけではありませんが、「日本の近代化を進めた大政治家・大隈重信の私邸があった場所こそが、東京のお伊勢さま(東京大神宮)の歴史が始まった記念すべき地である」という点で、両者は強く結びついています。

大隈重信

大隈重信(おおくま しげのぶ / 1838年〜1922年)は、明治・大正時代にかけて日本の近代化に大きく貢献した、幕末から明治を代表する大政治家・教育者です。

内閣総理大臣を2度務めたほか、現在の早稲田大学を創設した人物としても有名です。

1. 幕末から明治維新へ:佐賀藩士からの頭角
  • 佐賀藩(現在の佐賀県)の出身
    • 武士の子として生まれ、藩校で学びましたが、伝統的な学問に反発して尊王攘夷論や蘭学・英学を熱心に学びました。
  • 語学力と知識で明治新政府へ
    • 幕末から英語を学んでいた大隈は、新政府が誕生すると外国との交渉役(外交担当)として抜擢されました。キリスト教解禁をめぐる欧米諸国との厳しい外交交渉などで頭角を現し、若くして政府の核心へと加わっていきました。
2. 明治新政府の財政・経済の基礎を築く

明治政府で大蔵卿(現在の財務大臣)などを歴任し、近代日本の経済システムをゼロから構築しました。

  • 通貨単位「円(yen)」の導入
    • 江戸時代の複雑な通貨制度(両・分・朱)を改め、「円・銭・厘」という10進法の新しい通貨制度を定めました。
  • 鉄道・電信の開設
    • 「これからは交通と情報伝達の時代だ」と考え、明治5年(1872年)に日本初の鉄道(新橋〜横浜間)を開通させるにあたり、周囲の反対を押し切って強力に推進しました。
  • 地租改正や郵便制度の確立
    • 前島密(郵便制度の父)や伊藤博文らとともに、近代的な税金制度やインフラの整備を主導しました。
3. 明治十四年の政変と「立憲改進党」の結成
  • 政府からの追放(明治十四年の政変 / 1881年)
    • 「一日も早く国会を開き、憲法を作るべきだ」と主張する大隈は、慎重派であった伊藤博文らと対立し、政府を追放されてしまいました。
  • 政党政治のスタート
    • 政府を去った大隈は、翌年に「立憲改進党」を結成。イギリス型の議会政治を目指し、板垣退助の自由党とともに民間の政党運動(自由民権運動)を盛り上げました。
4. 教育への情熱:早稲田大学の創設(1882年)

政府を追放された1882年、大隈は政治活動と並行して教育事業に乗り出します。

  • 東京専門学校の開校
    • 「学問の独立」「学問の活用」を掲げ、東京の早稲田に「東京専門学校」を創設しました。これが現在の早稲田大学です。
  • 自立した人材の育成
    • 政府の権力にねじ曲げられない自由な学問と、社会の役に立つ実用的な知性を備えたリーダーを多く育て上げました。
5. 外交での苦難と暗殺未遂事件
  • 条約改正への情熱
    • 江戸時代末期に結ばれた「不平等条約」を改正するため、外務大臣として復帰し、欧米諸国との粘り強い交渉に挑みました。
  • 爆弾テロによる右脚切断(1889年)
    • 大隈の提案した交渉内容が「妥協的すぎる」と反発した国家主義団体の人物(来島恒喜)によって、爆弾を投げつけられるテロに遭いました。
    • 一命は取り留めたものの、右脚を失う(義足生活となる)という大きな傷を負いました。しかし、大隈は犯人を責めることなく、その後も政治への情熱を失いませんでした。
6. 内閣総理大臣を2度歴任

大隈は生涯で2回、日本のトップ(内閣総理大臣)を務めました。

  • 第1次大隈内閣(1898年)
    • 板垣退助とともに、日本で初めての政党内閣(隈板内閣 / わいはんないかく)を組織しました。藩閥(薩摩・長州出身の官僚)に頼らない内閣として歴史的快挙でした(短期間で退陣)。
  • 第2次大隈内閣(1914年〜1916年)
    • 76歳という高齢で再び首相に就任。第一次世界大戦が勃発する中、対独宣戦布告や中国に対する「二十一ヵ条の要求」などを提出し、激動の国際情勢に切り込みました。
7. 万人に愛された国民的政治家とその最期
  • 抜群の発信力と親しみやすさ
    • 大隈は演説が非常にうまく、ユーモアに富んだ人柄で国民から爆発的な人気がありました。「大隈伯(はく)」の愛称で親しまれ、日本で初めて演説の録音レコードを残した人物でもあります。
  • 日本初の「国民葬」(1922年)
    • 83歳で死去した際、日比谷公園で行われた葬儀には、政界関係者だけでなく約30万人もの一般市民が参列しました。国費で行われる「国葬」に対し、民衆に愛された大隈の葬儀は「国民葬」として行われ、歴史に語り継がれています。
まとめ

大隈重信は、「日本の貨幣・鉄道・郵便などの近代基盤を作った経済人」であり、「早稲田大学を創設した教育者」であり、そして「国民に支持された政党政治の先駆者」でした。

東京大神宮の創設地(旧日比谷)に彼の私邸があったのも、当時の彼が明治政府の超重要人物であり、東京の中心地に広大な敷地を所有していたという時代背景を示しています。

摂社・末社

東京大神宮の境内には、本殿(主祭神をお祀りする中心のお社)のほかに、深く関わりのある神様をお祀りした「飯富稲荷神社(いいとみいなりじんじゃ)」という非常に有名な境内社(摂社・末社)が存在します。

東京大神宮を参拝される際は、本殿だけでなく、この飯富稲荷神社にもあわせて参拝されることを強くおすすめします。

飯富稲荷神社(いいとみいなりじんじゃ)
1. 御祭神(お祀りされている神様)
  • 稲荷大神(いなりのおおかみ)
    • 別名:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
    • 全国のお稲荷様と同じく、食物や農業、産業・ビジネス全般を守護する神様です。
  • 宮比神(みやびのかみ)
    • 宮中(皇居)の平安を守る神様であり、宮廷の神事や芸能・舞踊などに深く関わる「神楽(かぐら)」や「技芸」を司る神様です。
2. なぜ参拝しておいた方がよいのか(参拝すべき理由)

① 芸能・芸術・わざの向上をもたらす特別な「神様」だから 飯富稲荷神社は、明治から昭和にかけて活躍し「劇聖(げきせい)」とまで称えられた歌舞伎界の大名優・九代目 市川團十郎(いちかわ だんじゅうろう)が大変篤く信仰した神社として知られています。 團十郎が参拝を重ねて芸道を極めたという史実から、現在でも歌舞伎役者や舞台俳優、歌手、タレント、クリエイター、芸術家、スポーツ選手など、「芸事や技術、表現力を磨きたい」と願う人々がひっきりなしに参拝に訪れる隠れた名社となっています。

② 東京大神宮の歴史(発祥)を直接受け継ぐお社だから この飯富稲荷神社は、かつて東京大神宮が日比谷(現在の大手町・有楽町エリア、大隈重信邸跡近く)に「日比谷大神宮」として鎮座していた時代から、その境内に祀られていた歴史あるお稲荷様です。 関東大震災を経て現在の千代田区富士見へと移転した際も、東京大神宮とともにこの地へとお遷り(遷座)されました。東京大神宮の140年以上の歴史をずっと見守り続けてきた由緒正しきお社です。

3. ご利益
  • 技芸上達・芸道上達
    • 芸能、音楽、絵画、執筆、デザインなどのクリエイティブな活動のスキルアップ、あるいはプレゼンテーションやスピーチなど「表現する力」を高めたい時に絶大なご利益があるとされています。
  • 商売繁昌・事業繁栄
    • お稲荷様本来のご利益である「仕事運・ビジネス運の向上」です。商売の繁栄や、会社・事業の発展を願う方に最適です。
  • 家内安全・衣食住の守護
    • 日々の暮らしに必要な食べ物や生活の基盤を豊かに守ってくださいます。
参拝時のポイント
  • 参拝の順番 まずは正面の大きな手水舎で清めた後、本殿(天照皇大神・造化の三神など)へ先にお参りし、その後に境内右手奥にある「飯富稲荷神社」へお参りするのが丁寧な作法です。
  • 奉納されている絵馬 飯富稲荷神社の鳥居の周囲には、芸能上達や公演の成功、仕事の良縁を願う多くの絵馬が掲げられています。本殿の「恋愛・縁結び」とはまた一味違った、真剣な仕事運・芸道運のエネルギーを感じられる場所です。

東京大神宮を訪れた際は、本殿での「人生や恋愛の良縁祈願」に加え、ぜひ飯富稲荷神社にも足を延ばし、「仕事の成果・技芸の上達・ビジネスでの良縁」を祈願してみてください。

投稿者プロフィール

Yutaka-S
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