
日本プロ野球の中心的存在といえば、やはり「東京ドーム」。
読売ジャイアンツの本拠地であり、数々の名勝負が繰り広げられてきた、日本を代表する野球場です。
これで2度目の訪問です。
しかし、残念ながら今回も野球観戦の機会はありませんでした。
東京ドームには2度来ているのに、まだ一度も試合を観ていない。
野球場に来て、野球を観ずに帰る。
何とも不思議な東京ドームとのお付き合いが続いています。😂
一塁側の「王ゲート」
三塁側の「長嶋ゲート」
言うまでもなく、日本プロ野球を代表する二人のスーパースター。
王貞治と長嶋茂雄。
その名前が東京ドームのゲートに刻まれているのです。
これは野球ファンとして、一度は見ておきたい場所でした。
まずは、一塁側の「王ゲート」。
王貞治といえば、通算868本塁打という大記録を打ち立てた、世界のホームラン王。
一本足打法で数々のホームランを放ち、日本プロ野球の歴史にその名を刻みました。
その名前を冠したゲートを目の前にすると、改めて王貞治という選手の偉大さを感じます。
今では球場の入口の名前になっていますが、かつては多くのファンを熱狂させた大打者。
「静」の王貞治と言われているそうですが、微動だにしない一本足打法のモニュメントがそのイメージにマッチしていました。
そして三塁側には、「長嶋ゲート」。
長嶋茂雄といえば、言わずと知れた「ミスタープロ野球」。
記録だけでは語り尽くせない、圧倒的な存在感を持ったスターです。
「動」の長嶋茂雄と言われているそうですが、こちらはヘルメットを飛ばすフルスイングのモニュメント。こちらもイメージにマッチしており、観に来た甲斐がありました。
長嶋茂雄が活躍した時代、日本のプロ野球は国民的な人気を誇るスポーツへと成長していきました。
その中心にいたのが、王貞治と長嶋茂雄。
いわゆる「ON」です。
二人の名前が、それぞれ東京ドームのゲートになっている。
何とも感慨深いものがあります。
ここで改めて考えてみると、面白いことがあります。
王貞治と長嶋茂雄が選手として活躍したのは、東京ドームではありません。
二人の主な舞台は、かつての後楽園球場です。
東京ドームが開場したのは1988年。
長嶋茂雄は1974年、王貞治は1980年に現役を引退しています。
つまり、二人とも東京ドームで現役選手としてプレーしたことはありません。
それでも、その名前は東京ドームのゲートに残されています。
これは、単なる球場の入口というだけではなく、後楽園球場から東京ドームへと受け継がれてきた、日本プロ野球の歴史を象徴しているように感じます。
3度目こそは、ぜひ野球を観たいものです。⚾
東京ドーム
【住所】〒112-0004 東京都文京区後楽1丁目3−61
※Geminiによる解説
歴史:史実に基づいた有名な出来事など
東京ドームが位置する東京都文京区後楽の地は、江戸時代初期には水戸徳川家の藩邸(上屋敷)があった場所です。敷地内にある日本庭園「小石川後楽園」は、水戸光圀(黄門様)の代に完成したもので、徳川ゆかりの歴史ある空間として現在に名を残しています。
その後、この場所には水戸徳川家の敷地から明治時代以降に陸軍の砲兵工廠(東京砲兵工廠)が置かれ、軍事拠点としての歴史を歩みました。第二次世界大戦終戦後は、日本鋼管(現・JFEホールディングス)の工場敷地となり、日本の高度経済成長期を支える工業地帯の一角を担っていました。
1988年、日本初の全天候型多目的ドーム球場として「後楽園球場」の隣接地に誕生しました。こけら落としとなったのは1988年4月のプロ野球開幕戦(読売ジャイアンツ対ヤクルトスワローズ戦)であり、以降「ビッグエッグ」の愛称とともに、日本のプロ野球史における数々の名勝負や伝説的なコンサート(1988年のマイケル・ジャクソン公演をはじめとする海外アーティストの来日公演など)の舞台として、日本のエンターテインメント史を塗り替えてきました。
観光としての魅力
- 日本のエンターテインメントとスポーツの聖地 プロ野球・読売ジャイアンツの本拠地であり、臨場感あふれる試合観戦を楽しめるだけでなく、国内外のトップアーティストによる大規模なコンサートや、世界的なイベントが年間を通じて開催されています。
- 充実した複合エンターテインメント施設「東京ドームシティ」 ドームの周囲には、ジェットコースターなどのアトラクションが揃う「東京ドームシティ アトラクションズ」や、天然温泉を使用したスパ施設「スパ ラクーア」、多彩なショップやレストランが集まる商業エリアが一体となっており、1日中楽しむことができます。
- 歴史的庭園とのコントラスト 近代的な巨大ドームのすぐ隣に、水戸徳川家ゆかりの国指定特別史跡・名勝「小石川後楽園」が広がっています。都会の喧騒を忘れて池泉回遊式の日本庭園の散策ができるほか、春の梅や桜、秋の紅葉など、四季折々の美しい自然を満喫できるのも大きな魅力です。
読売ジャイアンツ(巨人軍)
東京ドームと読売ジャイアンツ(巨人軍)は、日本のプロ野球界において切っても切り離せない「本拠地」と「球団」の関係であり、東京ドームの歴史そのものがジャイアンツの歴史とともに歩まれてきました。
1. 「切っても切れない本拠地」の関係
東京ドームは、1988年の開業以来、一貫して読売ジャイアンツの専用球場(フランチャイズ)として使用されています。 それまで巨人の本拠地だった「後楽園球場」のすぐ隣(老朽化に伴い解体された旧球場の跡地の一部を含む)に建設され、1988年4月3日のオープン戦(対横浜大洋ホエールズ戦)および同月8日の公式戦開幕戦(対ヤクルトスワローズ戦)から現在に至るまで、巨人のホームゲームの大半がここで開催されています。
2. 「巨人戦のため」につくられた日本初のドーム
東京ドームが誕生した背景には、当時の巨人戦の圧倒的な人気とチケット入手困難な状況がありました。 屋外球場だった旧・後楽園球場は、雨天中止や暑さ・寒さによる観戦環境の課題があり、年間を通じて安定して数万人規模を収容できる「全天候型の巨大スタジアム」の建設が急務でした。アメリカのメジャーリーグなどで主流になりつつあった空気圧で屋根を支えるドーム構造(エアドームシステム)を取り入れ、日本のプロ野球の観戦スタイルを全天候型へと一変させたのが東京ドームです。
3. 「ジャイアンツの歴史」と重なる数々の名場面
東京ドームの歴史は、そのまま巨人の歴史の舞台でもあります。
- 長嶋茂雄監督・原辰徳監督・高橋由伸監督・阿部慎之助監督らの歴代監督が指揮を執り、数々のリーグ優勝や日本一の歓喜がこのグラウンドで生まれてきました。
- 個人の記録においても、王貞治氏や長嶋茂雄氏の時代から受け継がれる伝統のユニフォームを纏ったスター選手たちが、数々の本塁打や名プレイをこのドームの観客席を埋め尽くすファンに届けてきました。
4. 球団と施設の一体的な運営・エンターテインメント化
東京ドームは単なる「野球場」にとどまらず、球団親会社である読売新聞グループや関連企業とも密接に連携しながら、ジャイアンツのブランド価値を高める拠点となっています。
- ジャイアンツの歴史に触れる「野球殿堂博物館」がドーム内に常設されているほか、試合日には周辺の「東京ドームシティ」全体がジャイアンツのチームカラー(オレンジ)に染まり、ファン向けのイベントやアトラクションが展開されます。
- 近年は大型ビジョンのリニューアルや音響・演出のデジタル化が進み、観戦体験そのものがエンターテインメントとして進化を続けています。
東京ドームと読売ジャイアンツは、単なる「球場の貸し借り」という関係を超えて、「日本のプロ野球の象徴的なブランド」を共に形づくってきたパートナーと言えます。
日本ハムファイターズ
東京ドームと日本ハムファイターズの間には、実は巨人(読売ジャイアンツ)と同じかそれ以上に深い、「かつての東京における本格的な本拠地」としての歴史があります。
1. 「初代・準本拠地」から「第2のフランチャイズ」へ
ファイターズの前身である「日本ハムファイターズ」は、1988年の東京ドーム開業当時から非常に深い関わりを持っていました。
- 当時、ファイターズは神宮球場や後楽園球場などを主な東京の拠点としていましたが、1988年の東京ドーム誕生とともに、巨人戦に次ぐ「第2の主催試合開催球場(準本拠地)」として東京ドームを使用し始めました。
- 後楽園球場の時代からパ・リーグの球団でありながら「東京を保護地域」としていたファイターズにとって、全天候型の最新鋭ドームである東京ドームの誕生は、観客動員や興行面において非常に大きな意味を持っていました。
2. 1988年〜2003年までの「正式な専用球場(フランチャイズ)」
2004年に日本ハムファイターズが大きな転換期を迎えます。本拠地をそれまでの東京から北海道(札幌ドーム)へと移転することを発表し、実行しました。
- それまでの1988年シーズン開幕から2003年シーズン終了までの16年間、ファイターズは東京ドームを正式な本拠地(フランチャイズ球場)として戦っていました。
3. 移転後の東京ドーム(現在の関係)
2004年に北海道へ移転して以降、ファイターズのメイン本拠地は札幌ドーム、そして現在は北広島市の「エスコンフィールドHOKKAIDO」へと移っています。 そのため、現在では東京ドームでファイターズの主催試合が開催されることは基本的にありませんが、パ・リーグのビジターチームとして(対巨人戦の交流戦や、主催権の振替試合などごく稀なケースを除き、現在はセ・パ交流戦などで巨人のホームゲームの対戦相手として)東京ドームに戻ってくることがあります。
東京ドームと日本ハムファイターズは、「北海道へ移転する前の約16年間、東京を熱狂の渦に巻き込んだパ・リーグの歴史的な本拠地」という、切っても切れない深い絆で結ばれています。
後楽園球場
東京ドームと、その前身でありすぐ隣に存在していた「後楽園球場」は、日本の野球史およびエンターテインメント史を語る上で切っても切り離せない「親子」のような深い関係にあります。
1. 東京ドームと後楽園球場の関係性:「バトンタッチ」の歴史
- 「すぐ隣」という物理的な位置関係 東京ドーム(1988年開業)は、老朽化した後楽園球場の敷地の一部およびそのすぐ隣の空き地を利用して建設されました。そのため、東京ドームが完成したとき、古い後楽園球場は役割を終えて解体され、現在の東京ドームシティの敷地(アトラクションズの一部など)へと姿を変えました。文字通り、同じ土地で主役の座が引き継がれた関係です。
- 運営会社のつながり 後楽園球場を所有・運営していた株式会社後楽園スタヂアム(後の株式会社東京ドーム)がそのまま新しいドーム球場を建設・運営したため、事業としても直系の子孫にあたります。
- 「屋外」から「全天候型」への進化 雨天中止や夏の暑さ・冬の寒さに悩まされていた屋外球場の限界を乗り越えるため、「後楽園球場の歴史と伝統」を受け継ぎつつ、日本初の全天候型ドームとして生まれ変わったのが東京ドームです。
2. 後楽園球場の歴史(1937年〜1987年)
後楽園球場は、日本のプロ野球黎明期から発展期、そして黄金期までを支えた「聖地」でした。主な歩みと歴史的な出来事は以下の通りです。
① 誕生と戦争の影(1937年〜終戦)
- 1937年(昭和12年)に開場しました。当時は「後楽園スタヂアム」という名称でした。
- 開業当時は、巨人軍の前身である大東京軍・東京巨人軍などの試合が行われましたが、やがて太平洋戦争が激化すると、球場も軍需工場への資材供出や防空の拠点などとして使われ、一時は野球どころではない時代を迎えました。
② 戦後復興とプロ野球の黄金期(1945年〜1950年代)
- 終戦直後、いち早くGHQから接収を解除され、1945年11月には早慶戦(復活早慶戦)が開催されるなど、戦後日本の復興の象徴となりました。
- 1950年(昭和25年)にセントラル・パシフィック両リーグが分立(2リーグ制の誕生)すると、読売ジャイアンツと毎日オリオンズが日本シリーズの第1戦を行ったのがこの後楽園球場です。日本のプロ野球が爆発的な人気を獲得していく中心地となりました。
③ 日本初のナイターと数々の伝説(1950年代〜1970年代)
- 1948年、日本プロ野球初の本格的な夜間照明(ナイター)設備が導入されました。「仕事帰りに野球が見られる」という画期的なスタイルを生み出し、後楽園のナイターは日本のサラリーマンや子どもたちの最大の娯楽となりました。
- 1956年、川上哲治選手(巨人)が後楽園球場で前人未到の通算2000本安打を達成。
- 1959年天覧試合(巨人対阪神戦):昭和天皇・皇后両陛下が観覧される中、読売ジャイアンツの長嶋茂雄選手が阪神の村山実投手からサヨナラホームランを放つという、日本野球史に永遠に残るドラマが生まれたのもこの後楽園球場です。
- 王貞治選手が世界新記録となる通算756号ホームラン(1977年)に向かってアーチを架けていった舞台もここでした。
④ プロ野球以外の歴史的イベント
後楽園球場は野球だけでなく、日本の近代エンターテインメントやスポーツの歴史的舞台でもありました。
- ボクシングの世界戦:白井義男や海老原博幸、ファイティング原田らの世界タイトルマッチが野外特設リングで行われ、日本中がラジオやテレビにかじりつきました。
- 大規模な音楽コンサート:1978年にクイーン(QUEEN)が初の日本公演を行い、その後もマイケル・ジャクソン(1987年)などの伝説的な海外アーティストが来日公演を行い、巨大スタジアムライブの文化を切り拓きました。
まとめ
後楽園球場は、「日本のプロ野球と近代エンターテインメントの基盤をつくり上げた伝説の野外スタジアム」です。
その歴史と熱気、そして「野球の中心地・後楽園」というアイデンティティは、1988年に隣接地に誕生した東京ドームクリックするとサイドパネルが開き、詳細が表示されますへとしっかりと受け継がれ、現在にいたっています。











ここから下は広告です >>>
投稿者プロフィール
最新の投稿
神社2026-09-28【公智神社・西宮】⛩️ 木の神様は六甲山の森林の守り神?🌳
史跡2026-09-25【小石川後楽園・文京区】⚾ 東京ドームから水戸黄門へ!?「後楽園」の歴史🏯
施設2026-09-24【東京ドーム・文京区】⚾ 試合は観られずとも「王ゲート」と「長嶋ゲート」に感動🏟️
神社2026-09-23【東京大神宮・千代田区】⛩️ 意外な歴史!|ここは大隈重信の邸宅跡だった?😲