
東京の「王子神社」を訪れた時のこと。
末社の「関神社」を見落としていました。
末社を調べていると、そこには思いがけない人物の名前が。
「蝉丸法師(せみまるほうし)」
まさか東京の王子神社で、この名前に出会うとは思ってもいませんでした。
蝉丸法師と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは百人一首。
有名な和歌は、「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」
人々が行き交い、出会いと別れを繰り返す逢坂の関を詠んだ歌です。
しかし、子どもの頃の私にとって、蝉丸法師といえば和歌よりも「坊主めくり」でした。
そんな遊びの中で、なぜか特に印象に残っていたのが蝉丸法師でした。
子どもの頃から名前だけはしっかり覚えていた人物。それが蝉丸法師です。
そんな蝉丸法師と、大人になって思いがけない形で出会うことになります。
以前、京都市山科区を訪れた時のこと。
そこで蝉丸法師のお墓と伝わる場所に出会いました。
「えっ、あの蝉丸法師のお墓?」京都で蝉丸法師のお墓に出会っただけでも驚きでした。
ところが、今回の王子神社です。境内の関神社に、またしても蝉丸法師の名前。
「えっ、今度は東京ですか!?」
思わず、そんなことを考えてしまいました。
そして、なぜ見落としたのか?
ちょっとばかりの後悔の念があります。
まさか、東京の王子神社の末社に祀られているとは。
しかも、今回の目的は蝉丸法師ではなく王子神社への参拝。
まったく予想していなかったです。
さらに調べてみると、関神社にはもう一つ興味深い特徴がありました。
実は、髪の毛にゆかりのある神社としても知られているのです。
関神社では蝉丸法師とともに、逆髪姫や古屋美女が祀られています。
蝉丸には、乱れた髪を整えるためのかつらにまつわる伝承があり、関神社は髪に関係する人々からも信仰を集めてきたそうです。
百人一首の蝉丸法師が、まさか髪の毛の信仰につながっているとは。
子どもの頃には想像もしなかった蝉丸法師の一面を、また一つ知ることができました。
子どもの頃は、百人一首の絵札の中の人物でしかありませんでした。
それが何十年も経って、京都でお墓に出会い、今度は東京の神社で祀られていることを知る。
歴史というのは、こういうところが面白いものです。
王子神社
【住所】〒114-0022 東京都北区王子本町1丁目1−12
【主祭神】伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命
【創建】不詳 【再興】元亨2年(1322年)
※Gemini による解説
ご利益
王子神社の主祭神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさけのおのみこと)の5柱です。これらは紀州(和歌山県)の熊野権現(熊野三山)の神々に由来しています。
- 縁結び・夫婦円満・家内安全: 伊邪那岐命と伊邪那美命は日本神話における国産みの夫婦神であり、家庭円満や良縁成就の御利益があるといわれています。
- 開運厄除・諸願成就: 天照大御神は皇室の祖神であり日本全体の総氏神であるため、あらゆる開運や厄除けの神徳をもたらします。また、速玉之男命・事解之男命は熊野の結びの神であり、災いを断ち切り新たな物事を進める力を授けてくれます。
参拝時のお願いのポイント: 夫婦神や熊野の神々が揃っていることから、日々の感謝を伝えた上で、「家庭の平穏や健康」「良縁や人間関係の円満」「人生の新しい一歩や事業の成功(開運・厄除け)」を祈願するのが最適です。
歴史(創建と史実に基づいた歩み)
- 創建時期: 平安時代後期、豊島氏が領地であるこの地に紀州の熊野権現を勧請して祀ったのが始まりと伝えられています。当時は「若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)」と称されていました。
- 地名の由来: 室町時代以降、この神社が祀られていたことから、周辺一帯の地名が「王子」と呼ばれるようになりました。つまり、「王子」という地名の発祥となった非常に由緒ある神社です。
- 江戸時代の隆盛: 徳川家康をはじめとする江戸幕府の手厚い保護を受け、徳川家光が社殿を再建するなど深く信仰されました。また、江戸庶民の行楽地・参詣地としても大いに栄え、江戸名所図会などにもその姿が描かれています。
お勧めの参拝時期
- 初夏(新緑の季節): 神社の境内には東京都の天然記念物にも指定されている樹齢約600年の大イチョウがあり、新緑の時期は青々とした葉が美しく、清々しい空気に包まれます。
- 秋(11月下旬〜12月上旬): 樹齢600年の大イチョウが鮮やかに黄金色に色づき、境内が美しい黄色い絨毯に彩られる紅葉のシーズンは特におすすめです。
- 8月(例大祭 / 槍祭): 例年8月に行われるお祭りでは、色鮮やかな「槍祭(やりまつり)」などの伝統行事が開催され、地域の活気と江戸の歴史の面影を同時に感じることができます。
観光としての魅力
- 東京の歴史・地名発祥の地を巡る: 「王子」という街の名前のルーツを肌で感じることができ、下町情緒と歴史が融合したエリアの散策拠点として楽しめます。
- 圧倒的な存在感を放つ御神木: 境内にある東京都指定天然記念物の大イチョウは、戦災をくぐり抜けてきた生命力あふれる巨樹であり、その場に立つだけで厳かなパワーを感じられます。
- 周辺の散策スポットとの組み合わせ: すぐ近くには滝の流れる「名主の滝公園」や、日本の近代製紙業発祥の地としての歴史を伝える「飛鳥山公園」などがあり、歴史探訪や自然を楽しむ散策ルートの一部として充実した時間を過ごすことができます。
主祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命
東京都北区に鎮座する王子神社と、その主祭神である5柱(伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命)との間には、「熊野権現(熊野三山)の勧請(かんじょう)」という深い歴史的・神道的なつながりがあります。
この5柱の神々は、紀伊国(現在の和歌山県)にある熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の主要な神々そのものであり、王子神社が「関西の熊野の神様を江戸の地に迎えて祀った神社」であることに由来しています。
それぞれの神々と王子神社の関係性を詳しく見ていきます。
1. 熊野権現の神々としての構成
王子神社の主祭神5柱は、それぞれ熊野三山を構成する代表的な神々です。
- 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)
- 神格・関係: 日本の国を生んだとされる根本の夫婦神であり、熊野本宮大社(主祭神:家津御子大神=伊邪那岐命とされることが多い)をはじめ、熊野の神々の親神・根源として信仰されています。
- 王子神社における意味: すべての生命や国土を生み出した始源の神として、神社全体の「母体・根幹」をなす神様として祀られています。
- 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
- 神格・関係: 日本の総氏神であり皇室の祖神。熊野の神々と神仏習合(本地垂迹)の考え方の中で深く結びつき、熊野信仰の中枢にも組み込まれました。
- 王子神社における意味: 日本の最高神である天照大御神を合祀することで、国家鎮護や万物の繁栄を祈る格式高い神社としての性格が強められています。
- 速玉之男命(はやたまのおのみこと)・事解之男命(ことさけのおのみこと)
- 神格・関係: 熊野速玉大社(新宮)の主要な神々です。伊邪那美命が黄泉の国で変わり果てた姿になった際、伊邪那岐命が黄泉国の穢れを祓ったときに生まれた神々とされています。
- 王子神社における意味: 「縁結び」や「悪縁切り・厄除け」の神として知られ、物事のけじめをつけ、新しい良縁や再生へと導く力を司ります。
2. なぜこの5柱が「王子神社」に祀られているのか(歴史的背景)
- 熊野信仰と「王子」の誕生 平安時代後期、日本全国で熊野信仰が爆発的な広がりを見せました。上皇や貴族だけでなく、武士や庶民も「熊野詣(くものもうで)」を行い、その途中で参拝する遥拝所や御子神(みこがみ)を祀る神社が各地に建てられました。これらが「熊野九十九王子」などと呼ばれる「王子」たちのルーツです。
- 豊島氏による勧請と社名の由来 平安時代後期、この地を治めていた豊島氏が、紀州の熊野権現の神々(上記の5柱)をこの地に勧請(分霊を迎えて祀る)したのが、王子神社の始まりです。 当初は「若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)」と呼ばれていましたが、この「王子」という社号自体が、熊野の神の御子神を祀る社に由来しています。そして、この神社が地域で非常に重んじられた結果、周辺の地名そのものが「王子」に変わっていきました(つまり、東京の「王子」という地名の発祥そのものが、この熊野の神々を祀ったことに由来しています)。
まとめ
王子神社の主祭神である5柱は、単にバラバラの神様が祀られているのではなく、「紀州の熊野三山に鎮まる本源の神々(熊野権現)」がそのままワンセットで江戸の地に移植されたものです。
国産みの神(伊邪那岐・伊邪那美)、最高神(天照大御神)、そして黄泉の穢れを祓い結びを司る神(速玉之男・事解之男)という強力な神々が揃っているからこそ、家内安全・縁結びから開運厄除に至るまで、幅広いご利益をもたらす神社として現在も厚い信仰を集めています。
東京十社
王子神社は、都内でも特に格式の高い神社群である「東京十社(とうきょうじっしゃ)」の一社に数えられています。
1. 「東京十社」とは
明治元(1868)年、明治天皇が京都から東京(江戸)へお移り(遷都)になる際、新しい首都である「東京の平安と国家の鎮護」を祈願するために定めた10の神社のことです。
当時は「准勅祭社(じゅんちょくさいしゃ)」と呼ばれ、皇室(国家)からの勅使(使い)が派遣される「勅祭社」に准ずる格式高い神社として選定されました。その後、明治時代の制度変更を経て、昭和50(1975)年の昭和天皇即位50年を記念して「東京十社めぐり」として制定され、巡拝の霊場として親しまれるようになりました。
2. 王子神社が「東京十社」に選ばれた背景・理由
東京十社に選ばれた神社は、いずれも当時の東京の周囲(都心および主要な街道沿い)を護るように配置されています。その中で王子神社には以下の役割と特徴がありました。
- 東京の「北の守護神」王子神社は十社の中で最も北側に位置し、旧日光街道や奥州街道に通じる交通の要衝・北方の守りを担う重要拠点でした。
- 徳川将軍家・幕府からの厚い崇敬江戸時代、徳川家康が紀州熊野の神々を祀る王子神社を親しく参拝して以来、代々の徳川将軍家から「江戸城の鬼門(あるいは北方)を護る社」として崇敬を受けました。明治政府もこの歴史的格式や地域での影響力を重視して准勅祭社に指定しました。
- 祈願の地としての霊験八代将軍・徳川吉宗が紀州出身であったことから紀州ゆかりの王子神社を特に崇敬し、飛鳥山を整備して市民に開放した歴史など、江戸・東京の街づくりや庶民信仰と深く結びついていました。
3. 東京十社めぐりにおける王子神社の見どころ・特徴
- 「元准勅祭十社」の御朱印王子神社で頂く御朱印には、東京十社であることを示す「元准勅祭十社」という特有の印が押されます。十社めぐりの専用絵馬や朱印帳を手に参拝する巡礼者も多く訪れます。
- 唯一無二の御神徳十社の中でも、和歌山・熊野権現の神々(伊邪那岐命・伊邪那美命・天照大御神・速玉之男命・事解之男命)を祀る神社は王子神社のみです。そのため、「開運・厄除」や「結び(縁結び)」の力が特に強い社として十社巡りの中で独自の存在感を放っています。
まとめ
王子神社にとって「東京十社」とは、明治以降の東京の平安を司る北の要(かなめ)として、国家・皇室からその格式の高さを認められた歴史的証明といえます。
東京十社めぐりを行う際にも、東京の北側の起点として欠かせない重要な一社となっています。
摂社・末社
東京都北区の王子神社の境内には、本殿の神々(熊野権現)を補佐し、それぞれに深い歴史や強力な信仰を持つ摂社(せっしゃ)や末社(まっしゃ)が鎮座しています。
中でも必ず参拝しておきたい有名な社として、「関神社(せきじんじゃ)」と「若御子神社(わかみこじんじゃ)」の2つが挙げられます。それぞれの理由、御祭神、御利益について詳しく解説します。
1. 関神社(せきじんじゃ) —— 全国唯一、髪の祖神を祀る社
王子神社の境内(本殿のすぐ脇)に鎮座する、非常に異色かつ全国的に有名な末社です。
- なぜ参拝した方がよいのか(理由) 全国で唯一「髪の毛(理美容・髪の健康)」に関する信仰を集める神社だからです。百人一首で有名な蝉丸法師(せみまるほうし)を祀っていることから、全国の美容師、理容師、そして抜け毛や髪の健康に悩む人や美髪を願う参拝者が絶えず訪れる特別な聖地となっています。
- 御祭神
- 蝉丸法師(せみまるほうし):百人一首の「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 奥山(おくやま)の桂(かつら)…」の歌でも知られる平安時代の歌人・音楽家。伝説において「カツラ(かつら・鬘)の起源」や「髪の祖神」とされています。
- 逆髪(さかがみ):蝉丸の姉とされる伝説上の人物。
- 檜歓(ひつまろ)
- 御利益
- 理美容業の繁栄・技術向上
- 髪の健康・発毛祈願・美髪成就(「髪(神)に通じる」ということから、髪にまつわる祈願の総本社として信仰されています)
2. 若御子神社(わかみこじんじゃ) —— 王子神社のルーツに関わる重要なお社
王子神社の境内末社の一つで、熊野信仰との深いつながりを今に伝える由緒あるお社です。
- なぜ参拝した方がよいのか(理由) 王子神社が紀州の熊野権現を勧請した際、その御子神(みこがみ)を祀ったのが神社のルーツ(かつての社名「若一王子宮」)です。本殿の主祭神たちとあわせて参拝することで、王子神社全体の歴史や信仰の背景をより深く体感することができます。
- 御祭神
- 若御子神(わかみこがみ / 天児屋根命などの神々とも伝えられる)
- 御利益
- 子孫繁栄・安産・子供の守護
- 諸願成就・開運(親神である熊野の神々と共に、新たな命の誕生や成長、家庭の安泰を見守ってくださる御利益があるといわれています)
参拝時のワンポイント
王子神社を訪れた際は、まず格式高い本殿(伊邪那岐命や天照大御神など5柱の神々)にしっかりとお参りした上で、
- 髪の毛の健康や美容、技術向上を願うなら「関神社」へ
- 家内安全や子供の健やかな成長、神社発祥のルーツへの敬意を表すなら「若御子神社」へ
このようにそれぞれの背景に思いを馳せながら境内を巡ると、王子神社の魅力をより深く味わうことができます。
蝉丸法師
王子神社の末社である「関神社」に平安時代の歌人・蝉丸法師(せみまるほうし)が祀られている背景には、古典的な伝説(物語)と江戸時代の職人・業界による信仰という2つの側面に起因する経緯があります。
1. 伝説上の経緯:「かつら(髢・鬘)」の発明者とされる説話
蝉丸法師が「髪の祖神」として祀られるようになった最大の理由は、平安時代の伝承や能楽の演目(『蝉丸』など)に伝わる物語にあります。
- 姉「逆髪姫(さかがみひめ)」の悲劇蝉丸には「逆髪(さかがみ)」と呼ばれる姉(または姉宮)がいました。彼女は生まれつき髪の毛が逆立ち、櫛(くし)も通らない異形であったため、周囲から遠ざけられ深く苦しんでいたとされています。
- 「かつら(髢・かもじ)」の考案苦しむ姉を不憫に思った蝉丸法師は、姉のために髪を綺麗に見せるための道具として「かもじ(地毛に添え加える髪)」や「かつら(鬘)」を考案して作ったという伝説が生まれました。
- 髪の祖神としての崇敬この伝説から、蝉丸は「日本で初めてかつら・髪飾りを考案した人物=髪や頭髪加工の祖神(創始者)」として仰がれるようになりました。
2. 歴史的な創始の経緯:近江「関蝉丸神社」からの勧請と業界の信仰
王子神社の関神社がこの地に建てられた背景には、江戸時代の江戸の職人たちの動きがあります。
- 近江国(滋賀県)「関蝉丸神社」からの分霊もともと旧東海道の難所であった逢坂関(おうさかのせき・滋賀県大津市)には、関の守護神であり蝉丸法師を祀る「関蝉丸神社」が鎮座しています。社名の「関」もこの逢坂関に由来しています。
- 江戸の髪結い・かもじ業者による奉斎江戸時代、髪を結う際に用いる「かもじ(添え髪)」を作る職人や業者(かもじ業者・床山など)の間で、髪の祖神である蝉丸法師への信仰が広まりました。彼らが近江の関蝉丸神社の御神徳を敬仰し、江戸の地(王子神社の境内)に勧請して祀ったのが「関神社」の始まりです。
- 現代への継承と戦後の再建太平洋戦争の戦災で社殿は一度焼失しましたが、昭和34年(1959年)に髢(かもじ)・鬘(かつら)・床山・理容・美容・演劇・舞踊などの関係業界の寄付と尽力によって再建されました。社殿の脇には髪への感謝を表す「毛塚(けづか)」も建てられています。
3. もうひとつの顔:「音曲諸芸道の祖神」
蝉丸法師は『百人一首』の「これやこの 行くも帰るも 分かれては…」で知られる歌人であり、盲目の琵琶の名手でもありました。そのため、髪の神様としてだけでなく、「音曲・諸芸道(歌や演奏、演劇など)の上達をもたらす祖神」としてもあわせて崇敬されています。
まとめ
関神社に蝉丸法師が祀られているのは、「髪に悩む姉のために『かつら』を考案した」という温かい伝説と、それを敬った江戸時代のかもじ業者・理美容関係者たちが職人・業界の守護神として奉斎した歴史がしっかりと合致したためです。












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